ご主人様は家具を調達する。(前編)

 土曜日の朝。それは現代を生きる屈強な戦士たちにとって、この上ない程幸せな時間である。

 私はこの温もりを逃がすまいと薄めの掛け布団を首まで持ち上げて微笑む。ああ、なんて幸せな休日。土曜日に、乾杯。


 私は窓の外で鳴いている可愛らしい小鳥の声を聞きながら二度寝をしようと再び目を閉じる。


「ご主人様、起きてください」


 何か幻聴が聞こえたが無視。私は今絶好調に幸せなものに包まれているのだ。その幸せな空間を邪魔するやつは誰であろうと容赦はしない。

 足元の方から聞こえるこの声はあの白い青年、シロのものだろう。

 だがいくらお前でも私を邪魔することはできまい。なぜなら私はお前の主人だからなぁ!


「色々と家具を買う予定でしたよね。これ以上寝てはどこも行けませんよ?」

「……うるはい」


 若干呂律の回らない口で言う。私の強い意気込みは声に出す前に儚く散った。


 これは昨日の夜のこと。金曜日の夜とはこれから幕を開ける休日という素晴らしい二日間に出会える最高の時間。私が上機嫌に缶ビールを開けようとすると、シロに止められた。

 前々から話してあったシロたちの家具。元々私一人で暮らしていたので、当然全てが一人暮らし用。食器だって紙皿で代用している。このままじゃいけないと、二人と次の休日に家具を揃えようと約束していた。

 その約束の日こそ今日である。

 だが、休日だ。休日くらい午前中は寝かせて欲しい。何のための休みであるのか。猫諸君らは毎日が休日かもしれないが、こっちは朝から夜まで仕事。自分の時間なんて二十四時間中たったの数時間しかないような生活を送っているのだ。

 そこのところ、理解していただきたい。


「ご存知ないようなのでお教えしますね。現在、十三時です」


 前言撤回します。ごめんなさい。

 私は何も言わずに起き上がって、適当にベッドを整える。シロの横を通り過ぎて洗面台へ。冷たい水で顔を洗うことで閉じかけの目を覚まさせる。

 改めてリビングの時計を見てみるとちゃんと十三時だった。まずい。てっきり九時頃かと思っていたが、まさかもう昼を越していたとは。がっくりと肩を落とした。


「全く。これだから駄目人間のレッテルを貼られるんですよ。人間失格ですね」

「う、うるさい。まだ許容範囲よ」

「でも私が起こさなければ二度寝する気でしたでしょう。呆れて何も言えない。昼ご飯とっとと食べて着替えて準備してください。一時間以内に」


 私は縮こまりながら椅子に座って少し冷めた白米を口に入れる。おかずのチキンソテーは爽やかな味つけで食べやすい。夏っぽくていいな。

 ぺろりと食べて、私はすぐに着替えるためにリビング横の部屋に来た。ここは部屋という名の物置部屋である。


 クローゼットを開けて、スーツを横にずらして掛けてある私服を取る。持っている服が上と下それぞれ二着ずつしかないので迷わずに着替える。おしゃれなんてものはできないけれど、外に出て恥ずかしくなければ何でもいいと思うのは、少しまずいかもしれない。まだ一応二十代なのに。

 櫛で軽くとかした髪をアイロンを使って緩く巻き、崩れないようスタイリング剤を少しつける。胸元まで伸びる髪。そろそろ切り時かもしれない。そんなことを思いながら顔もナチュラルメイクでささっと仕上げる。

 財布やらを小さめのショルダーバッグに入れたら準備は終わり。なんとか一時間以内に準備を終えることができた。

 急いでリビングに向かう。


「準備、終わりました」

「では、近場のホームセンターに行きましょうか。最近は食器なんかも一緒に売られているので一石二鳥です」

「確かに、新生活とか一式揃えるのに便利だよね」


 私が手を合わせながら微笑んで言うも、無視された。さっきの腹いせだろうか。にしても主人を無視とはいい度胸である。

 歯ぎしりをする私を放ってとっとと歩いてしまうシロ。この態度がどうしても気に食わない。初めてこの家に来たときはもっと主人に従順で、私たちは下僕だとも言っていたのに。これじゃあ私が下僕じゃないか。

 くそぅ、騙された。


「ただでさえ普通の顔が不細工になってますよ。ほら、早く靴履いて。置いていきますよ」

「ぶ、不細工言うな!」


 玄関先に立つシロは冷たい声で決してレディに向かって言ってはいけない禁句を言う。

 私は怒りに頬を膨らませながら厚底のスニーカーを履く。


 平均身長である私は少しでも背を高く見せるために、なるべく底が厚めの靴を買うようにしている。

 まあでも、なぜだか身長が高いこの二人と並ぶと、チビに見えてしまうのが嫌なところ。これでは厚底の意味が全くない。

 なぜ猫のくせに身長が百八十を超えているのか。私はアマゾンの奥地へと……。


 そんなことは置いておいて。

 今日買うのは二人分の食器と布団。あと服とか生活必需品など。

 色々買うと荷物が重くなるので、シロとクロで分担することになった。シロはホームセンターに着いてくる係。クロはショッピングモールに着いてくる係。私はお財布係。

 この計画は全てこの隣にいる賢い白猫が考えてくれたのである。


「そういえば外でもシロと呼ぶのですか?」

「どうして?」

「どうしてって、仮にも人間の大人がシロと呼ばれていたら何だか不気味でしょう」


 不気味って。

 まあでも確かに明らかに人の名前ではない。だけど、あだ名と思えばそう聞こえなくもないし、別に変ではないだろう。


「別にいいんじゃない?」


 と、私は心で思ったことをまとめて言う。しかし、当の本人は納得していないようだ。


 シロとクロというのは、あくまで仮の名前である。猫であればまだしも、人間の姿をした人に名前をつけるのはなんだかとてつもない責任を感じたので、とりあえず白猫のシロ、黒猫のクロ、というなんともありきたりな名前で呼ぶことにしている。正式な名前をまだ彼らに渡していないのだ。

 昔いたという彼らの前の主人に何と呼ばれていたか聞いても、首を横に振るだけ。名前はないという。 彼らのことはよく分からない。

 でも、そろそろちゃんとした名前をつけてあげるべきではある、と考えてはいる。


「どんな名前がいいの?」

「ご主人様がつけてくれるものならなんでも」

「な、なんでもって。じゃあドブって呼んでも文句ないのね」

「ご主人様が言うなら私は今日からドブです」


 涼しい顔でシロはそう言う。なんだか無性にムカつく。私を怒らせようとしているのか? それとも本当になんでもいいのか? だとしてもドブはさすがにないだろう。


 名前、名前。どうしよう。色んな候補が頭に浮かぶ。白を連想するもの。性格とか。誕生日っていつなんだろう。クロと似たものがいいのかな。

 創作の登場人物に名前をつけるんじゃないんだからすごく悩む。


「……今日は我慢してシロって呼ばせて」

「そんな優柔不断で、社会人やれるんですね」


 いちいち嫌味ったらしい。優柔不断な社会人くらいこの世にごまんといるわ。


 こうして私が怒りながらシロの隣を歩いている間にも、このシロの美貌に女たちがざわざわと盛り上がる。そんな声には全く気にせず前だけ見て歩くシロ。関係のない私ばかりが周りの声を気にして縮こまっていた。


「背筋を伸ばして歩けないんですか」

「言葉の槍に刺されてるのよ」


 何言ってるんだか、とでも言いたげに短く鼻で笑う隣のイケメン猫。ムカつく。顔いいのもムカつく。これで猫なのもムカつく。

 まだ猫の姿なら可愛いから許せるけど、人間の姿ってだけでこうも腹立つのか。


 私は澄ました顔をする青年を睨みながら、都会の大通りを歩いていたのだった。

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