第2話
目を覚ました私は、とりあえず今までのは夢オチだと言い聞かせた。猫がベランダにいたのも、味噌ラーメンも大きなプロジェクトも。今日がまた月曜日でも構わない。夢だと言ってくれるなら二回目の月曜日も今日だけは受け入れてやろう。
そう思ってスマホを探す。ぺたぺたと手をさまよわせるが、いつもの感覚がない。ゴミ袋のガサガサ音が聞こえない。
私は異様な寝心地の良さを感じて飛び起きた。すると、何年ぶりかのベッドで寝ていたのだ。ゴミ袋ベッドではなく、マットレスのあるちゃんとしたベッド。スマホはちゃんとベッドの上の台で、充電された状態で置かれている。
「一体、誰がこんなことを」
少なくとも自分ではない。だとしたら、誰なのだろう。
すると足元の方にあるドアが開いた。不審者侵入の場合は、まず警察に連絡すべきなのだろうか。というかこのマンションのセキュリティはそんなものだったのか。全く期待はずれだ。
ああもう頭が回らない。
「ご主人様、起きましたか。ちょうど起こそうかと思ってたんです。朝ご飯の支度は終わっていますよ。一人で起きれますか?」
ドアを開けて現れたのは真っ白な青年。髪が白くて天使のようだ。パジャマみたいなラフなパーカー姿が似合わないくらい上品な話し方。もちろんだが誰かは存じ上げない。私の生き別れた兄弟だろうか。そうしたら父も母も違う人だろう。
「あ、あなたは誰ですか?」
「あれ、言ってませんでしたっけ。僕はご主人様の忠実なる
「……んと、名前は? 本名で」
「ありません」
「ない?」
「はい。まだ名をもらってませんので」
出生届を出してもらってない、のはありえないか。名がないって冗談なのだろうか。でもそうしたら今までどうやって生きていたのだろう。まさか、お化けの類なんじゃ。
そもそも下僕とか言われると、私が変な性癖持ってる人みたいで少し……だいぶ嫌だ。
とりあえず私は口を開いて、今頭にあることを全て外に出す。
「どこから来たの? どうして私を主人と呼ぶの? 何者なの?」
つい質問攻めしてしまったが、青年は困った素振りを見せずに少し目を伏せた。
突然家に入ってきた不審者に対して思いたくもないことだが、美しい。さてはその正体、国宝だな。
「不安にさせてしまい、申し訳ありません。質問に答えましょう。京都の方からやってきました。私は昔よりただ貴方だけに仕えると誓ったので、理由はありません。あと、私は猫です」
分かったようで全く、これっぽっちも分かっていない。余計に謎が深まっただけ。もはや怖くなる。
お母さん助けて!
「ご主人様、震えてらっしゃいます。私が、怖いですか?」
白い青年は私にさりげなく近づいて目の前に膝立ちになる。そして私の両手にその白い手を重ねた。その手つきがまるで紳士のように慣れていて、私はつい見入ってしまう。
近づいてきた青年の顔はモデル顔負けに整っていて、思わず固まってしまった。
サラサラとした真っ直ぐな髪にグレーの目。まつ毛が長くて大きな目は少し鋭くて、可愛い顔だと思っていたが近くで見ると思ったより綺麗な顔立ちだった。高い鼻にほんのりと赤づく唇。白くて透き通る肌はもう国宝だ。百二十点。
浮世離れした、この世のものとは思えないその美貌に私は拍手した。
「驚かないで欲しい。それが、私たちの願いです。やっと見つけたご主人様なんです。私も、あいつも嬉しくて、つい」
「ねえ、そのご主人様ってやつは私で間違いないの? 顔が良く似た人とか、勘違いとか」
「それはありえません。匂いも気も全てがご主人様のものです。これを、何年待ちわびていたか」
猫アレルギーだから猫を飼ったことはない。祖母の家にも猫はいなかった。野良はたくさんいたけど触ったことも関わったこともない。
この人たちが本当に猫だとしても、私はきっとそのご主人様ではない。でも、この幸せそうな顔を押し退ける勇気は、私にはなかった。そもそもこんな国宝に気持ち悪いだなんて言えない。顔が良いって罪なこと。
しかし、仕事に行かなければいけないのもあって、勢いよく立ち上がって青年の体から離れた私はリビングの方へ歩いていく。ドアの目の前で振り返る。その美しい顔を見たらぐへぐへと青年に対して心を許してしまいそうなので、あえて斜め四十五度の方角を見上げる。
「十九時には帰る。それまでに、家から出ていって。でないと本当に警察を呼ぶからね」
突き放すような私の言葉に反論するためか何か言いたげに青年は口を開く。だが、私はそれを制するように睨んだ。悲しそうに、でも諦めたように目を閉じたその姿に私は胸がちく、と痛んだ。
私は自分の気持ちに蓋をするよう、ベッドルームのドアを閉めて深呼吸する。そこで目の前に広がった光景につい短い叫び声をあげた。隣人に心配されてはいけないと少し大きめの声で咳払いした。
リビングにあったゴミ袋の山が全て片付いている。これは、どういうことなのだろうか。
まさか、ゴミ屋敷も全て夢だったとか!
「ご主人様、おはよう。昨日は驚かせてごめん」
いつ買ったか忘れた黒い革のソファの上で小さく体育座りしていたのはさっきの青年とは対象的に真っ黒な青年。黒いふわふわとした髪にグレーの目。キリッとつり上がった目は猫っぽい。肌が白いのでその闇のような黒髪が輝いて見えた。
どちらも芸能界を制覇しててもおかしくない顔面をしている。この子も、自分を猫だと言うのだろうか。
「俺、頑張って片付けした。偉い?」
「……あれを?」
私が恐る恐る尋ねると小さく頷く。生ゴミはまだしもペットボトルとか瓶とかはどうしたのだろう。もしかして置く場所があったりするのだろうか。
一年は住んでる私でさえ知らないことを知っているなんて、私がおかしいのか青年がおかしいのか。
私か。
「大変そうにしてたから、喜んでもらえるかと思って」
確かに、あのゴミ山には苦労していた。仕事の疲れで片付けする気分になれず、この世で一番汚い大きな山を作り上げていた。最近は特に残業続きで家のことなんかに手をかけてられなかった。なんて、甘い言い訳だろうか。この世に生きる人間は本当に偉すぎる。
だが問題というか、嫌なことというか。私が百悪いので思い切り反論することはできないが、ゴミ袋の中にはプライバシーな物も入ってたかもしれない。見られたくないいかがわしい物なんて買ってない。けれど、着なくなった下着とかそういうのを国宝の目に映したかと思うとさすがに恥ずかしすぎる。確認さえ取ってくれればそういうのは隠したのに。
そうなる前に捨てておけば良い話だけれど。
「なんで、勝手にやったの?」
恥ずかしさを隠すように少し強い口調でそう言うと、私の言葉にびくりと青年は体を揺らした。
「ご、ごめんなさい。ご主人様が喜んでくれると思って、俺、勝手に」
私が怒ったと勘違いしたのか、泣き出しそうになりながら自分の服を掴みながら言う青年。
泣かれてしまうのは大変だと、私は慌てて謝って誤解を解くために青年に駆け寄って優しく肩を掴む。怒ったわけでなくて恥ずかしかっただげだと謝ろうと。
青年の、髪で隠れてしまった顔を見るために上を見上げた。
だが、そこにあったのは泣きそうな顔ではなく意地悪な顔。まるで狙っていた獲物を獲得した時のような。
「ご主人様、優しぃね」
にやにやと笑い、最後に満足したように微笑むと私の顔を両手で包み込んでまるで猫にやるように首あたりをいじる。くすぐったくて私はすぐに離れた。
彼はころころと楽しそうに笑うが、私は何も楽しくない。
少し怒りながら久しぶりにその姿を目にした黒い椅子に座って、ちょっと冷めた味噌汁を体に入れる。美味しい。焼き魚の出てくる朝ご飯なんて何年ぶりだろうか。白米もまさか炊いたのだろうか。家に炊飯器なんてあっただろうか。
私は勢いよく食べ進める。もうこの際、不審者が作ったからといって食べないなんてことはしない。毒が盛ってあるなら上等だ。食らい尽くしてやる。
家に入ってきた不審者が作ったご飯を堂々と食べる人間なんて私くらいではないだろうか。
お母さんお父さん、こんな人間に育ってしまってすみません。
毒があるどころかとても美味しくて、おかわりが欲しいところだが時間の関係もあるので食器を片付けて、会社へ行く支度を終わらせる。
会社から帰ったらもう二人はいない。もういない。そう暗示をかけるように何度も心の中でも唱えていた。早く出ていってもらわないと困る。正体も全てが不明なものが家にいるなんて信じられない。 自分を猫だという、頭のおかしい人たち。
逆になんで今まで警察を呼ばなかったのだろう。
私はカバンを持ってジャケットを着て玄関へ向かう。会社なんて行きたくない。でもだからといって家で何かしたいかと言われるとそれほどのことはない。安心できる家にいたいが、今家も変な男が二人来ていて安全ではないし、そもそもあんなゴミ屋敷では安心できるはずもない。
まあ、ゴミ屋敷は嘘のように片付いていたけれども。
「待って、ご主人様」
後ろから呼び止める声がして少しだけ振り返る。また、余計なことをするんじゃないかと疑いながら。
「これ、お弁当です。節約にもなるし、貴方の健康のこと考えて作ったので、良かったら食べて欲しい、です」
途切れ途切れの言葉で白い青年は私に木箱のお弁当箱を渡した。こんな物あっただろうか。というかお弁当なんて、いつぶりだろう。高校生以来、多分手作りお弁当なんて食べていない。
……いやいや、そういうことじゃなくて。
私はその受け取りを拒否するべく、カバンを持っていない左手を青年の前に出す。お弁当を持つ両手が震えたのが見えた。
また私の心に棘が刺さる。
「私が、嫌いですか」
「嫌いというか怖いのよ。急に見知らぬ男が家にいて、私が主人ですって? 信じられない。普通なら警察を呼ばれててもおかしくないのよ。もう余計なことしないで早く出ていって」
「ですが、私はずっとご主人様を……!」
「鬱陶しいって言ってるの。色々してくれたことには感謝してる。ありがとう。でももういいから。私はそんなこと誰にも頼んでない」
「そんな、じゃあ……どうしたら」
「知らないわよ、勝手にして。じゃあ行くから」
私はドアを勢いよく開けて外に出た。施錠はドアが閉まったところでされるので、そのままエレベーターホールに向かう。
胸に刺さったものは自分から取れてくれないから同じ痛みがずっと残っているけど、気にしない。
なぜ他人のせいで私が心を痛めないといけないのか。初めて会ったはずの、赤の他人なのに。どうしてこんなに気になるんだろう。
私は思わず立ち止まった。
さすがに言いすぎてしまっただろうか。いや、私は正論を言ったはずだけど。そう、心の中でけじめをつけようとするけれど、どこかでは納得していない。
こんなんだから、周りの人に怖がられて話しかけられなくなって孤立するんだ。あの時、反省したはずなのに全然治ってない。
家に戻って謝ろうか。でも、そんなことしている時間の余裕はない。
私が出した答え。
心が私の鈍い体をいつの間にか動かしていた。
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