第36話St. John’s wort
病院を離れた俺はスマホを取りだして奈緒に電話をかけた。今日こそはきちんと話をしなければならない。
「もしもし?稔からかけてくるなんて珍しいじゃねーか、どうした?」
「ん、ああ。今日はちょっと真面目な話をしたい」
「⋯なんか言いたげな雰囲気だな。それならウチに来るか、車の中で話そう」
「分かった、車の中で話そう」
「それで?今どこだ?迎えに行ってやるよ」
「いや、大丈夫だ。10分後くらいに奈緒の家の下に行くよ」
「そうか、それじゃあまた後でな」
電話を切り、彼女の家を目指して歩く。迎えを断ったのは、自分自身の気持ちを整理するためだ。
彼女のマンションの下には既に黒いチェイサーが停まっており、俺は助手席側へと回り込みドアを開けた。
「待たせて悪かったな」
「気にすんな、それよりここだと目立つからよ、場所うつすぞ。早く乗れよ」
「ああ」
俺が助手席に座りシートベルトを締めると、奈緒はゆっくりと車を発進させた。車内に会話はなく、やや緊張感がただよっている。車は長いトンネルを抜け、海沿いの工業団地へと進んでいく。辺りに街頭もない場所で、彼女はようやく車を停車させた。ライトを消すと辺りは闇に包まれた。
「それで、話ってなんだ?」
「事件の事だ」
「だろうな、それで何が聞きたい?」
「俺はあれから色々と調べて、今日ようやく清水のタトゥーに辿り着いた」
「ふうん、まあ確かにアレを入れたのはウチだ。それがどうした?」
「お前は、清水に何か仕事をやらせていたんじゃないか?」
車内の空気がピリついたのが分かった。奈緒はエンジンをかけて窓を開けると、再びエンジンを切って煙草に火を付けた。
「仕事?知らねぇな」
「誤魔化すんじゃねぇよ、アイツに何かを運ばせてたんだろ?」
「ああ、一月の話か?」
「そうだ」
「あれはな、ただ単に店の予約が入っててウチの手が離せなくてな、それでちょっと荷物を運んでもらっただけだ」
「⋯中身はなんだった?」
「別に、ただの私物だよ。で?それ以外に何か聞きたいのか?」
彼女は少し苛立った様子で煙草をふかしている。
「それ以降も、清水に仕事をさせてたんだろ?」
「はあ?何の話だ?ウチはアイツと連絡なんて取ってねえし、何もやらせてなんかねえぞ?」
「⋯清水は何度かモノを運ばされたと言ってたぞ。それに辞めようとしたら脅されたとも言っていた」
「確かにウチは凛華にタトゥーを彫った時、冗談半分で「ウチが困った時は協力しろ」と言ったけどな、でも一月の件以外では何もやらせちゃいねぇよ」
「⋯でもお前には」
「ウチには凛華の父親に母を殺された恨みがあるだろうってか?」
彼女は俺の考えなどお見通しと言った感じで言葉を吐き出す。
「前にも言ったけどな、確かにウチはアイツの父親の事を恨んでる。だが凛華は凛華だろ?アイツを恨んで何になるんだよ」
確かに奈緒の言う事には筋が通っている。だが、彼女が言う事が真実なら一体誰が凛華に仕事をさせていたのか?一体だれが凛華と楓花を会わせたのか?俺は煙草に火を付け、混乱しつつある頭の中をなんとか整理して、次の質問を投げかけることにした。
「質問を変えるけど良いか?」
「この際だ、気になる事があるんなら全部言えよ」
「山本楓花とはどういう関係なんだ?」
俺がそう言った瞬間、彼女の顔が一気に強ばった。
「⋯稔、お前は楓花の事を知ってんのか?」
「ああ、何度か会って話をしてる」
「⋯そうか。楓花はな、燃えちまったあの店の客だったんだよ」
「じゃあ楓花にもタトゥーがあんのか?」
「ああ、楓花が初めてウチの店に来たのは去年の九月でな。まだアイツは15歳の子供だったんだ」
「それで?」
「普通、どこの店でも15のガキにはタトゥーなんて彫らないんだよ。ウチも最初は断ったんだ、でも楓花は毎日頼みに来た。それでどうしてそんなにタトゥーを入れたいのか話を聞いてみることにしたんだよ」
奈緒は言葉を切って新しい煙草に火を付けると、窓の向こうに顔を向けたまま懐かしむように言葉を続けた。
「稔は、楓花の両親の事は知ってんのか?」
「ああ、確かもう死んでるんだよな」
「そうだ。表向きは火事による焼死って事になってるがな、家に火を付けて両親を焼き殺したのは楓花なんだよ」
「⋯え?」
あまりにも衝撃的な一言に、俺は思わず驚きの声をあげた。あの幼くてニコニコといつも明るい楓花が、自らの手で両親を殺してるなんて信じられなかった。そんな俺の気持ちを読み取ったかのように、彼女は言葉を続ける。
「ウチも最初は信じられなかったよ。けどな、楓花の背中にある大きな火傷の痕や、楓花が語った過去の話を聞いているうちに、本当の事なんだなって納得したんだ」
「⋯それで楓花にタトゥーを?」
「ああ、火傷の痕が目立たなくなるように、背中全体に時間をかけて彫ってやった。楓花は理由は分からねぇが金を沢山持ってたからな、それで全て彫り終わったのが去年の11月。二ヶ月近く一緒に過ごして、ウチと楓花はすっかり打ち解けてたんだ」
彼女の言葉には嘘がないように思えた。俺は何も言えず、ただ耳を傾ける事しか出来ないでいた。
「⋯それでな、最後のタトゥーを入れ終わった日。楓花がウチに言ったんだ」
「⋯なんて言ったんだ?」
「「もし奈緒ちゃんにとって邪魔な奴がいたら楓花が消してあげるよ」ってな。ウチはその時はほんの冗談だと思った。でも⋯」
「⋯でも?」
「次の日に、神社で不自然な自殺者が出た。そして楓花がウチの店に来て言ったんだ「ほら、あの人は楓花が消したんだよ。だから嫌な奴がいたら遠慮なく楓花に言ってね」ってな」
「⋯それで奈緒は楓花と協力して人殺しをしたのか?」
彼女は俺の問いには答えなかった。俺は全てを聞き出すには今しかないと思い、窓の外を向いたままの彼女の肩に手をかけた。彼女の肩は、震えていた。
「⋯ウチは誰も殺してなんかない。でも、ウチは楓花の過去に同情して、共感してたから、楓花が捕まるのだけは嫌じゃったんよ。じゃけん、ウチは楓花が人殺しをした後の後始末をしとったんよ」
「⋯後始末って?」
「どうやっても他殺にしか見えない死体を、事故に見えるように細工したり、自殺に見せかけたり⋯」
奈緒の声は完全に泣き声に変わっていて、両手で顔を押さえている。彼女はそのまましばらく声もあげず静かに泣くと、涙を拭いて俺の方を向いた。
「ウチは、楓花を刑務所に入れたくない」
「⋯でも奈緒の話が事実ならアイツは人殺しだ」
俺がそう言うと、彼女は足元から何かを拾い上げて俺のこめかみに突きつけた。冷たくて固い感覚、ゆっくりと視線を移すと、涙を流しながら銃を構える奈緒の姿が目に映った。
「今度のは玩具じゃねぇぞ⋯邪魔するんなら、ウチがあんたを始末したる」
「⋯じゃあなんでお前は涙を流してんだよ?」
俺の問に、彼女は自分が涙を流している事に初めて気が付いたようだった。そして力なく銃を下ろすと、俺の肩に顔を埋めた。俺は工場で一緒に酔いつぶれた日のように彼女の頭を優しくなでる。
「もうお前は自分で分かってるんだろ?これ以上こんな事続けてちゃダメだって」
「⋯うん、分かっとる。分かっとるけど⋯」
「けど、なんだ?」
「⋯ウチは楓花が怖いんよ。あの子は淡々と人を殺す、もしウチが邪魔をしたら今度はウチが殺されるんじゃないかって思うと、どうしようもなく怖いんよ」
俺は力なく泣き崩れる彼女の肩をしっかりと掴むと、ゆっくりと押して体を離した。
「顔上げろよ」
俺の言葉に彼女は素直に顔を上げる、涙でメイクが崩れ、いつもの強気な表情は微塵も感じられない。
「俺がこの事件にケリをつけてやる、だから安心しろ。相手が誰であろうと、奈緒には絶対手を出させない。だから」
「⋯うん」
「だから俺を信じて、力を貸してくれ」
「⋯分かった。でもなんでこんなウチを助けてくれるんよ?」
「んなもん決まってるだろ、俺らは友達だからな」
「⋯やっぱ稔はアホやわ」
こうして俺はようやく一連の事件の犯人へと辿り着いた。だがまだ全ての謎が解明された訳ではない。凛華に仕事をさせていた人物を探し出さなければいけない、その為にはまだまだやらなければならない事は沢山ある。ただ今この瞬間だけは、奈緒の傍にいてあげよう、そう思った。
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