第35話Winter Cherry
喫茶店でトイレを借りて手を洗う。顔を上げると疲れた顔をした俺が映っていて、右側の首筋には小さな歯型がついていた。痛みなど感じなかったはずなのにと思いつつ、ドアを開けてトイレから出る。俺は何かが喉に引っかかっているような違和感を感じつつ、会計を済ませて店を後にした。
首筋、違和感、そんな事を考えながら歩いていると俺は違和感の正体に気が付いた。それは清水凛華がいつも首筋に貼っている絆創膏だった。俺の記憶が正しければ、一緒にバイトをしていた頃には絆創膏はなかった。ほんの些細な事かもしれないが、もしかしたら何かしらの手がかりになるかもしれない。面会時間まではまだ一時間近く時間があったが、俺ははやる気持ちを抑えきれず病院へと歩を進めた。
夕方の面会時間になり、俺は凛華のベッドの隣に椅子を置いて座った。凛華は眠っているようで、起こすのも悪い気がしたので大人しく夕食が運ばれてくるのを待つ事にした。やはり彼女の首筋には少し大きめの絆創膏が貼ってある。彼女が眠っている隙にこっそりと剥がしてしまいたい衝動と格闘していると、看護師が夕食の乗ったトレーを持ってやってきた。
「清水さん、夕ご飯を持ってきたけど食べられそうですか?」
看護師の声掛けに凛華は目を覚まし、小さく頷いた。看護師は台の上にトレーを置くと、名前の確認を済ませ去っていく。
「⋯先輩、寝てたっスよ」
「ああ、あれから痛みはどうだ?」
「まだかなり痛いっスね、けど痛み止めが効いてる間はマシっス」
そう言うと彼女はベッドのリモコンのようなものを操作し、上半身を起こした。昼と同じように俺が介助をしつつ、一時間かけてゆっくりと食事を済ませる。壁に掛けられた時計をチラリと見ると、時刻は18時を少し回った所だ。面会時間はまだまだ残っている。俺は意を決して彼女に言葉を投げかけた。
「清水、一つ聞いてもいいか?」
「いいっスよ」
「お前、いつも首筋に絆創膏貼ってるよな。その下ってどうなってるんだ?」
「ああ、これは⋯」
凛華は話したくないのか、少し困ったような顔をしながら絆創膏を上から撫でた。
「俺は、松本奈緒と何度か会ってる」
俺がそう言うと彼女は少し驚いたような顔をした後、諦めたような表情を浮かべた。俺は初めて奈緒と出会った後、凛華と話す機会があった。だがその時はっきりと奈緒の名前は出さず、自分がタトゥーを入れたことも話さなかった。
「先輩は何でも知ってるんスね」
「なんでもって訳じゃないけどな、それなりに調べたからな」
「じゃあボクも話せる事は話さないとダメっスね」
彼女はそう言うと絆創膏に手をかけ、ゆっくりと剥がす。彼女の首筋に小さな星のタトゥーが現れた。
「それって⋯」
「奈緒さんの店で入れてもらったんスよ」
『犯人はタトゥーの入った人物』
歌恋と初めて掲示板で接触した日に書き込まれていた言葉を思い出す。これで楓花以外全員の体にタトゥーが入っていることが判明した、もちろん俺の体にも。
「先輩はどこまで知ってるんスか?」
「俺は、清水が奈緒から車を買った事や、部屋を借りる時に世話になった事まで知ってる」
「⋯やっぱり何でも知ってるんスね」
凛華は絆創膏を貼り直すと、目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。
「ボクは、部屋を借りる時に奈緒さんに一つ借りが出来たんスよ。それで、その代わりに奈緒さんが困った時には協力するって約束をして、その証としてタトゥーを入れたんス」
「⋯そうだったんだな」
「初めて奈緒さんから連絡が来たのは一月だったっス。中身の分からないダンボールを指定された場所に運ぶだけの簡単な仕事だったんス。でも⋯」
「でも?」
「ボクは中身については聞かなかったし見なかったから何が入っていたかは今でも知らないけど、それでもそれが何かよくないものだってのは分かったっス」
「それからも何度かそういう事を頼まれたのか?」
「はい、ボクは途中で嫌になって断った事もあるんスけど、一度でも関わったんだからもう逃げられないって言われて⋯」
凛華は少し怯えたような表情を浮かべ、心做しか身体も震えているように見えた。
「毎回、ナンバーも付け替えてたんスよ。行先までの順路も細かく指定されてて、だから安全だって奈緒さんは言ってたけど、ボクは怖くて⋯」
俺は震える彼女の手を握りしめ、次の言葉を待った。
「ある日、それまでとは全く違う依頼を任されたんです。ボクが指定された場所に行くと、水色の長い髪の女子高生が待ってて、その子は何も言わずにボクの車に乗って、ボクも何も言わずに指定された場所まで行ってその子を降ろしたっス」
「そいつの名前は知らないのか?」
「はい、何もしらないっス。今ボクが話せるのはここまでっス」
これで凛華と奈緒、そして楓花との繋がりが見えてきた。気が付けば面会時間はあと僅かになっており、俺は帰ろうと立ち上がった。
「先輩」
「ん?まだ何かあるのか?」
「ボクは先輩に謝らないといけないことがあるっス、もしかしたら嫌われるかもしれないけど⋯」
「心配すんなよ、俺は清水が何を言っても嫌いになんてならないからよ」
そう言って彼女の頭を軽くなでる。凛華は一筋の涙を流し、言葉を続けた。
「⋯先輩のアパートの部屋の前にダンボールが置かれてた日の事、覚えてますか?」
俺はドアの前に置かれていた小さなダンボールや中に入っていた猫の死骸の事を思い出し、背中に嫌な汗をかいた。
「ああ、覚えてるよ」
「あのダンボールを先輩の家の前に置いたのはボクなんスよ。もちろん中身は知らなかったっスけど」
「⋯そうだったのか。話してくれてありがとうな。いったい誰の指示で置いたんだ?」
「ごめんなさい、それは今はまだ言えないっス」
「分かったよ、後はこっちでなんとかしてみせるから、清水は心配せずにゆっくり休めよ」
「はい、ごめんなさい」
「謝んなくていいよ、また明日な」
俺はそう言って最後にもう一度彼女の頭を撫でると、病室を後にした。少しずつだが、確実に事件の真相へと近付いている。俺はポケットから残り一本になった煙草を取り出すと、火をつけて夜空をぼんやりと眺めた。
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