第33話Summer snowflake

一時間かけて歩いて帰った俺は、手術が無事に終わった安堵感から緊張の糸が切れたのか、一気に疲れが押し寄せてきてベッドへと倒れるように横たわった。時刻はもう深夜の一時をまわっており、今から睡眠薬を飲んで眠ったら明日の昼の面会時間には起きられない。眠れるかどうかと少し心配したが、そんな俺の心配を他所に疲れきった体は自然と眠りに落ちていった。

翌朝、やや遅めに目覚めた俺はシャワーを浴び、支度を済ませて家を出た。駅まで歩き、電車に乗りこむ。昼前の電車内はガランと空いており、俺は誰も座っていない長椅子に腰を下ろした。

病院につき、いつものように面会表を書いてICUへと入る。凛華は昨日とは違う場所に移動しており、ややベッドを起こして窓の外を眺めていた。

「ようやく体を起こせるようになったんだな」

「あっ、先輩。はい、まだ胸の当たりが痛むし、手術した腕には激痛が走ってるっスけどね」

「手術した後ってめちゃくちゃ痛むよな」

「痛み止めを何種類か出してもらってるんスけど、全然効かないっスね」

そんな事を話していると、看護師が昼食の乗ったトレーを持ってやってきた。

「名前の確認を御願いします」

「清水凛華です」

「はい、それじゃあここに置いておくのでゆっくり食べてくださいね」

そう言って看護師が去る。

「少しは食べられそうか?」

「⋯そうっスね。あれ以来なんにも食べて無かったんで腹ぺこっス」

「そかそか、ちょっとまっててな」

俺はそう言うと、ベッドの隣にある棚を開け、いつだったか差し入れた箸のセットを取り出し、部屋にある洗面台で洗ってからトレーの上に置いた。

「先輩、ボク左手動かないんでその、少し手伝って貰えますか?」

「ああ」

俺はトレーの乗ったテーブルのような台を彼女の近くに寄せ、食器に被せてある蓋を取っていく。今日のメニューはおかゆと謎の煮物、そして魚の南蛮漬けのようなものと、少しのフルーツだ。

「なんか、あんまり美味しくなさそうっスね」

「まあな、病院食だし諦めるしかねえな」

俺はそう言いながら魚を小さく食べやすいように分け、スプーンに乗せて彼女の口元へと運んだ。

「が、頑張れば自分で食べられるっスよ」

「良いから、たまには甘えろよ。ほら」

凛華は諦めたのか、少し顔を赤くしながら口を開けた。俺は少しずつ料理を凛華の口へ運び、彼女はゆっくりと時間をかけて噛んでから飲み込む。飲み込む際に胸が痛むのか、少し苦しそうな表情を浮かべる。

全体的に少しずつ食べた彼女は、もう大丈夫と言って最後にお茶を欲しがった。俺はこぼれないように慎重にコップを傾け、彼女は少しずつお茶を飲み込んだ。

「えへへ、なんか恥ずかしいっスね」

「あはは、俺もだよ」

「それにしても参っちゃいますね、何食べても味が薄いっス」

「まあそればっかりは我慢するか慣れるしかねぇな」

昼食の介助をしているとあっという間に一時間が経ち、面会時間の終わりが近付いてきた。

「それじゃあまた夕方な」

「はい、またっス」

そう短い別れの言葉を交わし病室を出る。俺はここ数日で凛華はもちろんの事、鈴木歌恋と話し、松本奈緒と話した。新しい情報もいくつか仕入れたし、そろそろ山本楓花と会って話をする番なのかもしれない。

病院を出た俺は、台風の日に楓花と行った寂れた喫茶店を目指して歩き始めた。数分歩き喫茶店の目の前まで到着した俺は、相変わらず営業中なのかすら分からない喫茶店のドアに手をかけ、ゆっくりと開けた。店内には明かりがついているが客は誰もいない。あの年老いた女店主も店の奥に引っ込んでいるのか見当たらない。俺はとりあえず店内に入り、少し大きめの声で店主を呼んでみることにした。

「あの、すみません」

「はいはい、ちょっと待って下さいね」

それから少しして店の奥から女店主が顔を出し、俺の顔を見て少しだけ驚いたような顔をした。

「あらあら、楓花ちゃんのお友達さん、いらっしゃい」

「どうも」

「ささ、座って座って」

促されるままにソファに座り、アイスコーヒーを注文する。前回のことを覚えていてくれたのか、何も言わなくても灰皿を持ってきてくれた。

「はい、どうぞ」

そうニコニコしながらコーヒーを置くと、彼女はカウンターに置かれた黒電話を手に取りどこかへと電話をしはじめた。

俺は特に気に留めず、コーヒーにミルクを入れて一口飲む。そしてスマホを眺めながらぼんやりと煙草をふかし、一人きりの落ち着いた時間を過ごしていた。

時計の針が二時を回った頃、突然店のドアが勢いよく開き、聞きなれた幼い声が店内に響き渡った。

「みーくん!来るんなら来るって言ってよもー!」

入口に立っているのはもちろん楓花で、今日もまた前回と違う制服に身を包み少し不貞腐れたような表情を浮かべている。

「おばちゃーん、電話ありがとね!あと、いつものおねがいね!」

「はいはい」

彼女があらわれた途端、一気に店内が賑やかになった。どうやらあの女店主が楓花に電話をしたようだ。楓花は勢いよくソファに座ると、再び不貞腐れたような表情で口を開いた。

「来るなら前もって言っといてよねー」

「んな事言っても俺ら連絡先交換してねえだろ」

「あ、そっか!そうだったね、ごめんごめん!」

そんな会話をしていると彼女の前にアイスココアが置かれ、店主は再び店の奥へと引っ込んだ。

「さあて、今日のみーくんは楓花のお友達として会いに来てくれたのかな?それとも、探偵さんとして会いに来たのかな?」

俺の答えを待つ彼女の表情は、相変わらず幼く、ニコニコと笑っていた。

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