第31話Dendrobium

「稔〜、あははは」

店を出た俺たちは再びシャッター通りを歩いていた。奈緒はかなり酔っ払ったようで、今回の勝負はギリギリ俺の勝ちと言ったところか。それにしても彼女が酔うと甘え上戸になるとは思いもしなかった。

放っておくとどこかへフラフラと行ってしまいそうな彼女の手を引き、コインパーキングへと向かう。この様子だと今晩は車の中で寝ることになりそうだ。

「おい、奈緒。ついたぞ、開けてくれ」

「はぁい」

彼女は覚束無い手つきでキーを取り出し、鍵を開けた。運転席に彼女を押し込み、俺も助手席へと座る。シートを倒せば仮眠くらいなら取れそうだ。そんな事を考えていると、奈緒は車を降りて助手席側へとフラフラと歩いてきて、ドアを開けた。

「どうした?」

「えへへ、ウチは稔と一緒に寝る」

「なっ」

彼女はそう言うと助手席のシートを無理矢理倒し、俺の上に覆い被さるように乗り込むと、ぎゅっと抱き締めてきた。煙草や酒の匂いに混ざって微かな香水の香りが漂い、彼女の長い金髪が顔にかかる。俺はどうにかして奈緒をどかそうともがいてみたが、ガッチリと抱きしめられているのでろくに身動きも取れない。

「ったく、しゃーねぇな」

俺は諦めて今の状況を受け入れる事にした。奈緒は既に眠ってしまったようで、耳元で小さな寝息が聞こえている。俺もかなり酔っていたので、彼女の温もりを感じながら自然と眠りに落ちていった。

翌朝、車内に差し込む朝日の眩しさに目を覚ました俺は、未だに俺の上に乗っかって眠っている彼女の体を揺さぶった。

「⋯うーん」

「朝だぞ、起きろ」

「⋯あと5分だけ寝る」

彼女は子供みたいな事を言っていたが、ようやく今の状況を理解したのか、ガバッと起き上がりその勢いのまま車の天井に頭をぶつけ、再び俺の上に倒れ込んだ。

「うー、痛い」

「大丈夫か?」

「⋯もしかしてウチはずっとこうやって寝てたのか?」

「だな、昨日のお前はかなり酔っ払って甘えてたからな」

「言うな!それ以上言ったら殺す!」

彼女は恥ずかしいのか顔を上げる事も、俺から離れることも出来ずにいる。そのまましばらく俺の胸に顔を埋めて声にならない唸り声をあげていたが、ようやく落ち着いたのか、奈緒は俺の上から降りて運転席へと座った。顔は真っ赤なままだが。喉が渇いていた俺は車を降り、駐車場の端に置かれている自販機でお茶を二本買って車に戻った。

「ほら、お茶飲めよ」

「⋯ありがとう」

彼女はまだ照れているのかなるべくこちらを向かないようにしながらお茶を受け取った。スマホで時間を確認するとまだ8時前だった。完全に酒が抜けるのは昼前くらいだろう。

「⋯稔はこの後予定とかあんのか?」

「ん?ああ、昼になったら病院に行かないとだな」

「そうか、その⋯」

「なんだ?」

「⋯ウチの家がここから近いから、シャワーでも浴びて行けよ」

「それは助かるよ、トイレにも行きたいし」

そうして車を降り、奈緒に着いて歩く。町には通勤中のサラリーマンや通学中の学生がちらほらと歩いていて、タトゥーまみれの奈緒は嫌でも目立つようで皆一様に目を背けたり道を開けてくれる。俺も全くの他人なら同じ様な対応をしただろう。ヤクザの娘と言うのは、生きづらく孤独なのかもしれない。

「ここだ」

そう言って彼女は家賃の高そうなマンションに入り、エレベーターに乗り込んだ。彼女の部屋は10階の角部屋で、俺は案内されるがままに彼女の部屋へと上がり込んだ。部屋の中は良く言えば整理整頓が行き届いていて、悪く言えば殺風景だった。トイレを借り、奈緒がシャワーを浴びるのをリビングのソファに座って待ち、交代で俺もシャワーを浴びた。

「シャワーありがとな、助かったよ」

「いいよ別に」

「てかあれだな、女の子の部屋っぽくないな」

「なんだお前喧嘩売ってんのか?」

「あはは、別にそう言う訳じゃないよ」

「まあウチにとって家はただ寝る場所だからな。余計な物はいらないんだよ」

「仕事してた頃は俺もそんな感じだったな」

俺は市内の飲食店で働いていた頃を思い出していた。あの頃は毎朝早くに家を出て、帰るのはいつも夜中の一時を過ぎていた。家に帰ってやる事といったら洗濯とシャワー、そして簡単な料理くらいのもので、後は寝るだけだった。

「稔は何の仕事してたんだ?」

「俺は飲食店で働いてたんだよ」

「じゃあ料理出来るのか?」

「ああ、一応調理師免許も持ってるからな」

「マジか、じゃあ何か朝飯作ってくれよ」

「えっ、いきなり?」

「いいからいいから、シャワー浴びさせてやったんだからそれくらい良いだろー」

そう彼女に急かされ、俺はキッチンへと向かった。冷蔵庫を開けるがろくな食材がない。俺は仕方なく米を洗って炊飯器にセットすると、ハムやレタスを取り出して刻み、米が炊けるのを待った。

30分後、米が炊けたのでフライパンと卵を用意し、二人分のチャーハンを作って皿に盛り付け、奈緒の待つリビングへと戻る。

「おお、チャーハンか、いい匂いだな!」

「だろ?一時期はチャーハンばっか食べてたからな」

「でもこれレタス入ってんのか?チャーハンにレタスって変な組み合わせだな」

「これが意外と合うんだよ」

奈緒は立ち上がり二人分のグラスとお茶を持って戻ってくると、俺の向かいに座って「いただきます」と言いチャーハンを食べ始めた。

「⋯マジでめちゃくちゃ合うな。てかめちゃくちゃ美味い」

「あはは、だろ?俺の唯一の特技だよ」

「あはは、稔は今すぐにでも嫁に行けるな」

「なんで俺が嫁に行く側なんだよ」

そんな事を言いつつチャーハンを食べ、食器を片付けて昼までゆっくりと過ごした。

「そろそろ病院行くんだろ?」

「ああ、昨日、今日とありがとな」

「こちらこそ、酒も抜けたから送ってってやるよ」

「助かる」

こうして俺は奈緒の部屋を後にして、彼女の黒いチェイサーに揺られ凛華の入院している国立病院へと向かった。

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