第25話China aster
17時、再び病院へと戻った俺は、待機室で面会表を書き内線で面会に来た事を伝えてICUへと入った。ICUでの面会は朝の七時から一時間、昼の12時から一時間、そして夕方の17時からの二時間のみ認められている。
「あ、先輩。また来てくれたんスね」
「ああ、調子はどうだ?」
「身体中が痛くて最悪っスね、特に胸の辺りがヤバいっス」
看護師が椅子を持ってきてくれ、俺はベッドの近くに椅子を置いて座った。どうやら晩御飯の時間らしく、カーテンで仕切られた隣のベッドに食事が運ばれていくのが見えた。
「清水さん、晩御飯の時間だけど食べられそう?」
少し年配の看護師がそう聞くが、凛華は小さく首を横に振った。看護師は「もし食べられそうなら呼んでくださいね」と優しく言い残し、ベッドの足元にあるテーブルのような台に食事の乗ったトレーを置いてカーテンを閉めた。
「あれから何も食べてないのか?」
「はい、食欲もないし体が痛くてそれどころじゃないっス」
「そうか」
彼女の呼吸は相変わらず苦しそうで、痛みに顔を歪ませる姿を見ていると改めて昨日の出来事を思い出し、俺も胸が痛んだ。しばらく会話もせず彼女をみまもっていると、看護師が食事の乗ったトレーを下げ、代わりに医者がやってきて、現在の彼女の症状について詳しく説明をしてくれた。昨日も聞いた通り、肋骨が数本折れており、その内の一本が肺を少し傷つけているらしい。頭部には異常は見られないが、左腕の骨も折れていて、足の骨にも何ヶ所かヒビが入っているようだ。
俺は昨日見に行った事故現場の光景を思い出し、あれだけの事故を起こしながら命が助かったのはある意味奇跡なのかもしれないなと思った。実際に事故車を見た訳ではないので分からないが、もし少しでも当たり所が悪ければ今頃彼女はこの世にいなかったかもしれない。
「先輩」
「ん?どうした?」
「⋯先輩はまだ事件の事を調べるつもりなんスか?」
彼女の質問に対してどう答えるべきか迷ったが、俺は正直に答えることにした。
「ああ」
「あはは、だと思ったっス」
「俺は清水をここまで追い込んだ一連の事件が許せない」
「⋯ボクが辞めて欲しいって言っても、きっと先輩は辞めないっスよね」
「ああ、そのつもりだ」
「⋯ボクは」
そこまで言って凛華は言葉を切り、少し呼吸を整えてから言葉を続けた。
「ボクは先輩の味方だし、できる範囲で先輩に協力するつもりっス。でも⋯」
「でも?」
「⋯今更こんな状況でこんな事言うと怒られるかもっスけど、全部を話すことは出来ないっス」
「そうか、まあ清水には清水の事情があるんだろうな。俺も全部を話してる訳じゃないしな」
楓花の言葉が脳裏を過ぎる。
「でもね、先輩⋯」
「ん?」
「⋯もしも先輩が事件を調べて犯人に辿り着いた時には、ボクの知ってる事を全部話すつもりっス」
「じゃあ頑張って調べねえとだな、そしたら清水も、一人で抱え込んでる事を俺に話して少しは楽になれるかもしれねえしな」
「やっぱり先輩は優しいっスね」
「当たり前だろ、全部解決出来たら清水が背負ってるモノを俺も一緒に背負ってやるからな」
そう言って彼女の右手を握る。彼女も弱い力で俺の手を握り返した。その手は少し冷たく、だけど何故か心が温かくなった様な気がした。
「言いたくなかったら言わなくても良いんだけどよ、一つだけ聞いても良いか?」
「いいっスよ」
「清水はなんで親元から戸籍を抜いたんだ?」
「⋯ああ、その事っスか」
彼女が病院に運ばれてからずっと気になっていた事だ。楓花が俺に告げた事が事実ならば、何かしら関係があると俺は思った。
「⋯ボクがまだ子供だった頃、ボクの家は普通の家だったんス。父と母、それに一つ年上の姉と二つ年下の弟がいて」
凛華は少し懐かしむような目をしながら、言葉を紡いでいく。
「ボクは家の中では怒られる役と言うか、三兄弟の二番目って自然とそうなるんスよね。それで、家の中にはあまり居場所がなくて、人見知りだから学校でも友達が出来なくて、いつも一人だったっス」
「そうだったんだな」
「でも、ホントにたまにだけど父がドライブに連れて行ってくれる時があって、その時だけは父も優しくて、だからボクは今でも車が好きだし、18になったら免許を取って自分の車を買うんだって決めて、高校に入ってから頑張ってバイトでお金を貯めたんスよ」
「清水はホントにバイトばっかしてたもんな」
「はい、話が少し前後しちゃうんスけど、ボクが中一の時に父が飲酒運転で事故を起こして、人を殺してしまったんスよ」
楓花が言ってたことはどうやら本当の事らしい。凛華は懐かしむような目から、悲しそうな目に変わり、少しの間黙り込んだ。俺は彼女の手を握ったまま、次の言葉を待った。
「⋯それで、全部ぐちゃぐちゃになってしまって。母は父と離婚して、姉と弟だけを連れてどこかへ消えてしまって。ボクだけが父の元に残されて、父は事故の示談金とか離婚の慰謝料とか養育費で貯金を全部無くして」
「⋯うん」
「それで、仕事も辞めてアル中になったんス。学校に帰るといつも父が居間で飲んだくれてて、ボクを見つけると蹴ったり、殴ったり⋯」
彼女の目からは涙が流れていた。俺は近くにあったティッシュを手に取り、彼女の涙をふいてあげる。
「⋯ごめんなさい。それで、ボクは家に帰りたくないし、早く家を出たかったからバイトばっかしてたんスよ」
「そうだったんだな、嫌な事聞いて悪かった。でも、話してくれてありがとうな」
「大丈夫っスよ、ボクも初めて誰かに話せて少し楽になれたっス」
そう言うと凛華はニッコリと笑って見せた。化粧の落ちた彼女の笑顔を見ていると、出会ったばかりの地味だった頃の凛華を思い出し、俺は懐かしい気持ちになった。壁に掛けられた時計を確認すると、あと数分で面会終了の時間だ。
「先輩、これだけは約束して欲しいっス」
「約束?」
「はい、もし先輩が危険だと思ったら、その時は絶対に逃げてください。そして、ずっと優しい先輩のままで、ボクの近くにいてください」
「分かったよ、約束する。また明日も顔出すから、ゆっくり体を治せよ」
「了解っス」
そう言って最後に指切りを交わすと、俺は病室を出て病院を後にした。日の落ちかけた空は相変わらずの荒れ模様で、スマホを見ると大雨警報と避難指示が出ていたが、俺は傘をさしてシャッター通りへと向かった。
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