第23話Indigo plant
看護師に案内され、カーテンで仕切られた部屋と呼ぶには大きすぎる空間へと向かう。凛華は昨日と変わらずベッドに横たわったままで、苦しそうに呼吸をしている。看護師が彼女に俺が来たことを伝えて去ると、彼女はゆっくりと目を開けた。
「先輩⋯あれから寝ました?」
「ああ、仮眠したよ」
「⋯あはは、嘘が下手っスね」
彼女はそう言うと酸素マスクを少しズラして弱々しい笑顔を俺に向けた。俺は黙って彼女の手を握った。今何かを言おうとすると涙も一緒に出てきてしまいそうで、何も言えなかった。
それから凛華はまた目を閉じて、何度か看護師が様子を見に訪れ、面会時間の一時間はあっという間に過ぎ去った。
「着替えとか、必要そうなものはここに置いとくからな。また夕方来るよ」
「⋯ありがとうございます。先輩も無理しないで休んで下さい」
「いいよ、それじゃあまた後でな」
病院を出た俺は、敷地外にあるバス停まで歩き煙草に火を付けた。バス停の屋根を雨が強く打ち付け、強い風によって横殴りに降りつける雨が俺の服を濡らした。次の面会までは四時間、それまでどこで時間をと思案していると、誰かがバス停の屋根の下に入ってくるのが分かった。横目でチラリと見やるが、相手は傘をさしたままなので姿は良く見えない。目に映る女物の傘と、傘の高さから、相手が俺よりも背の低い女性である事だけは推測出来た。俺は特に気にする必要は無いと判断し、二本目の煙草に火を付ける。
「花火大会、特等席で見れたかな?」
声に驚いて再び横を見ると、彼女はゆっくりと傘を閉じていつもの幼い笑顔を俺に向けた。
「⋯楓花、なんでお前がここに?」
「さあ、なんででしょう?」
彼女は俺をからかうようにそう言った。それが今の俺にはとても悪意のある言い方に聞こえ、同時に凛華の事を思い、楓花への苛立ちが募った。
「そんなに怖い顔しないでほしいな、みーくんは楓花の友達でしょ?」
「⋯それはお前の答え次第だ」
「うーん、今日はなんだかご機嫌ナナメだね。ここじゃ濡れるから場所を移さない?」
「分かった」
先に歩き出した彼女の後を追い、俺も傘を開いて歩き出す。楓花は無言でしばらく歩き、一軒の寂れた喫茶店の前で立ち止まった。パッと見では営業中なのかすら分からないその店に、彼女はなんの躊躇もなく入っていく。
「おばちゃーん!今日も来たよー!」
そう彼女が元気よく呼ぶと、店の奥から年老いた女店主が顔を出し、にっこりと微笑んだ。
「おや?今日は珍しくお連れさんがいるんだねぇ」
「うん、みーくん。楓花の友達なんだよ」
「そうかいそうかい、ささ、お兄さんも遠慮なく座って」
俺は入口で傘を閉じると、促されるままにソファに腰掛けた。狭い店内は隅々まで綺麗に掃除されていて、なんとなくレトロな雰囲気を感じさせる内装だ。俺の向かいに楓花が座り、「いつもの!」と元気よく注文をする。どうやらかなりの常連客らしい。
「みーくんは何飲む?大人だからコーヒーかな?」
「ん?ああ、コーヒーでいいよ」
「おばちゃーん!アイスコーヒー追加で!あと灰皿もね!」
「はいはい」
待つこと数分、目の前にコースターとアイスコーヒー、そして灰皿が置かれ、女店主は再び店の奥へと引っ込んで行った。楓花の前には生クリームの乗ったアイスココアが置かれている。
「あ、ダメだよ!ちゃんといただきますしないと」
コーヒーに口をつけようとすると、彼女にそうたしなめられた。楓花といるとどうにも感覚が狂う。彼女の独特の雰囲気に飲まれ、さっきまで感じていた苛立ちは消え去っていた。
「⋯いただきます」
「あはは、召し上がれ」
別に彼女が淹れた訳ではないのだが。とりあえずコーヒーを一口飲んで、どうやって話を展開するべきか考えることにした。
「みーくんはあの晩に起きた火事の事で楓花を疑ってるんだよね?」
俺が中々言い出せずにいた事を、彼女は事も無げに言ってのけた。
「そりゃあな、前日にあんな事言われたら疑うだろ普通」
「でも楓花は花火が綺麗に見えるよって言っただけだよね?」
「それがそもそもおかしいんだよ、あんなアーケードの下で花火なんか見える訳がねえだろ」
「別に楓花は商店街の中で見てとは言ってないよ?」
「それは確かにそうだけど、でもあの言い方だとそう思うだろうが。それに」
「それになに?仮にみーくんがあのビルに火を付けたとして、わざわざ前日に誰かにそれを伝えたりする?」
「いや、それは⋯」
確かに、わざわざ自分が放火をする前日にそれを誰かに仄めかすような事を言うだろうか?普通なら言わないはずだ。だが、目の前に座りニコニコと笑う彼女は、どこか普通ではないようにも思える。
「じゃあみーくんが疑うように楓花が犯人だとしよう、みーくんはあの晩楓花を商店街で見たのかな?」
「いや、見てない」
「だよね、だって楓花はあそこには居なかったんだもん。でも、代わりにみーくんはあの晩誰かと会ったよね?」
彼女が何故それを知っているのか、そして彼女の言う誰かとは、鈴木花恋の事なのか、それとも松本奈緒の事なのか。俺は彼女の質問に答えられずにいた。
「あはは、そんなに困った顔されるとなんだか楓花が悪者みたいだね」
俺は居心地の悪さを感じ、壁にかけてある時計を見た。まだ時間は14時前、次の面会時間までは三時間近くある。
「まだまだ時間はあるはずだよね?今日はゆっくりお話しようよ」
楓花はそう言うと、いつもの無邪気な笑顔とは違う、不敵な笑みを浮かべた。
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