第22話Marigold

電話越しに凛華の声が聞こえなくなってから今までの記憶は正直曖昧で、あの後も彼女との電話は繋がったままで、救急隊の人と少し話した後、俺はタクシーに乗って国立病院へ向かった。電話越しに聞こえていたクラクションの音や、パトカーや救急車のサイレンの音が、今も俺の頭の中でうるさく響き続けている。

「雨宮さんで合ってますか?」

救急外来の廊下の椅子に座っていた俺に、若い婦人警官が話しかけてくる。俺は呆然としたまま質問に答えていたが、自分がついさっき何を言ったのかさえ分からない程に頭が混乱していた。なんとか警官との会話を終え、再び一人になる。清水凛華は、18歳の誕生日に親元から戸籍を抜いており、スマホの連絡先に登録してあったのは俺だけだったらしい。

どうして彼女を止められなかったのか、もし俺がバイトを無断欠勤でクビになっていなかったとしたら、迎えに来た彼女と会って止められたのではないか、そんな後悔がぐるぐると頭の中を巡り、今はただ彼女の無事を祈ることしかできなかった。

それからどのくらい時間がたっただろうか、看護師が俺を呼びに来て、本来なら家族以外面会出来ないのだが、事情が事情なだけあって特別に面会することが許された。血の滲んだ包帯や酸素マスク、腕から伸びる点滴と心電図モニター、痛々しい彼女の姿に思わず涙が出そうになるのを俺はぐっとこらえた。

「⋯先輩」

苦しそうな声で凛華が俺を呼んだ。俺は彼女の顔に自分の顔を近付ける。

「⋯結局また迷惑かけちゃいました。ごめんなさい」

「そんな事気にすんな、今はゆっくり休めよ」

彼女は俺の言葉に微かに頷くと、ゆっくりと目を閉じた。俺は再び看護師に呼ばれ、今度は医者から話を聞かされる。医者の話では、命に別状はないようだ。凛華は大量の睡眠薬を服用した状態で車を走らせ、人気のない峠道で事故を起こしたそうだ。医者は敢えて事故と言う言い方をしたが、実際には自殺未遂と言うのが正しいのだろう。

まだ全ての検査が終わった訳ではないので詳しい事は言えないらしいが、肋骨や腕など複数の骨が折れ、事故の衝撃からか、はたまた睡眠薬のせいなのか、多少の記憶障害があると医者は説明した。どっちにしろ今日俺に出来る事は何もなく、明日改めて面会に来て詳しい症状を聞く事になった。

最後にもう一度彼女の傍に寄り、そっと手を握る。当然だが彼女の手はまだ温かく、俺は少しだけ安心した。眠っているのか彼女からの反応は無かったが、俺は小さな声で「また明日な」と言って病院を後にした。

救急外来専用の出口を出ると、外はパラパラと小雨が降り始めていた。俺は警察から聞いた、凛華の事故現場へと傘もささず歩いて向かった。一時間程かけてようやく辿り着いたその場所にはもう車はなく、歪に折れ曲がったガードレールと、電柱に残る白い塗料、そして僅かな血の跡と細かなフロントライトの破片だけが残されていた。俺はしゃがみこんで欠片を集めると、ポケットにそれをしまいこんだ。

ポケットの中で手を強く握る。拾った破片が手に刺さり、鋭い痛みと血の流れる温かさを感じた。俺はブレーキ痕の一切ないアスファルトを見つめながら、一つの決意を固めた。

「清水、お前をここまで追い込んだこの事件を、俺が絶対に解決してやる」

誰もいない、雨の降る夜道で俺は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。彼女は確かに「人を殺していない」と言った。その言葉が本当なのだとしたら、どこかに真犯人がいて、何らかの形で凛華を巻き込んだ事になる。もしそうだとしたら、俺は彼女を事件に巻き込んだ相手を絶対に許せないし、必ずこの手で証拠を掴んでやる、そう強く誓った。

家に着く頃には、小雨だった雨は土砂降りに変わっていた。俺はシャワーを浴びて着替えを済まし、看護師から渡された入院の手引きを見ながら買わなくてはならないものをメモにまとめていった。凛華の家に行けばある程度の物は揃うのだろうが、俺は彼女の家を知らない。

窓の外がぼんやりと明るくなり、雨音に混ざって強い風の音が聞こえるようになった。眠気なんて全くない、相変わらず後悔は残ったままだが、それでも俺の頭は昨晩に比べればかなり冷静だ。

クビになったバイト先のあるショッピングセンターが開店する時間に合わせて家を出て、メモを見ながら買い物を済ませて、12時の面会時間に合わせて病院へ向かう。

凛華が入院しているICUに入るには、待機室で手を洗い熱を測った後、面会表に名前や風邪の症状の有無、ワクチンの接種歴等を書き込む必要があった。待機室には俺以外にも数人が座っていて、皆時計を見ながら12時になるのを待っている。面会表を書いた俺は、椅子に座ってスマホの画面で時間を確認した。どうやらここでは電波が全く入らないようだ。

12時丁度に誰かが立ち上がり、ナースステーションへと繋がる内線で面会に来た事を伝え、廊下の奥へと入っていった。残った人間も次々に内線をかけて廊下の奥へと消えていく。そうして待機室に誰も居なくなってから、俺も内線をかけて「入ってください」との看護師の言葉に従い、廊下の奥へと進んで行った。やや薄暗い廊下を進んでいくと、目の前に厳重で重そうな扉が現れ、俺が近付くと大きな音を立てて扉が開いた。


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