第19話Thistle

気まずい沈黙を打ち破ったのは、雷の音だった。近くに落ちたのか、薄暗い工場の照明が一瞬消え、何度か点滅した後に、再びついた。

「知らねぇな」

耳元でそう言われ、驚きのあまり持っていたビールを床に落としてしまった。一瞬の停電の間に、奈緒は俺の背後に回り込んでいた。彼女のタトゥーまみれの腕が俺の首に絡みつき気道を塞ぐ。

「うっ…」

俺は必死に抵抗するが、彼女の細い腕のどこにそんな力があるのか、全くほどけない。それどころか徐々に首が締まっていく。

「あはは、冗談だよ」

彼女はそう言うと腕を解き、俺の髪の毛をくしゃくしゃと少し強めに撫で回してからベッドを降りた。

「冗談って、シャレになんねーっつーの」

「ごめんごめん、悪かったって。代わりに稔もウチの首でも締めてみるか?」

「そんな趣味ねえよ」

「それで?鈴木歌恋がどうしたって?」

彼女は試すような目で俺をじっと見つめている。ストレートに聞くべきか、もっと慎重に進めるべきか、どちらにせよ先程の奈緒の反応から俺は、彼女は歌恋について何かを知っていると判断した。後は、どうやって聞き出すかだ。

「とりあえず飲もうぜ」

俺は前回飲んだ時、彼女が酔っ払って色んな事を話してくれた事を思い出し、酔わせて情報を聞き出す作戦に賭けてみることにした。

「ビールはこれ一本しかねえぞ」

彼女はそう言うと缶ビールを開けて一気に飲み干した。そしていつもの意地の悪い笑顔を浮かべて、棚からウイスキーとグラスを取り出した。

「どっちが先に潰れちまうか、勝負しようぜ」

「分かった」

こうして人気のない工場で、二人だけの勝負が始まった。

飲み慣れないウイスキーをストレートで、彼女と同じペースで胃に流し込んでいく。38度のアルコールに喉が焼けるような感覚を覚え、それと同時に体全体が熱くなっていく。視界がぼやけそうになるのをなんとか理性で押さえつけるが、気が付けば俺は上手く煙草に火をつける事すら出来なくなっていた。

奈緒もかなり酔っている様子で、グラスにウイスキーを注ぐ度に床にこぼしてしまっている。この勝負、勝っても負けてもどっちみちまともに会話など出来そうにない。

「ダメだ…水かお茶をくれ」

「ははは、じゃあ稔の負けだな。ほらよ」

奈緒はそう言って水の入ったペットボトルを投げて寄こした。俺は当然受け取れず、床に落ちたペットボトルを拾い上げて一気に水を飲み干し、そのまま崩れるようにベッドに横になった。工場の天井がグルグルと回っている。この様子じゃ明日は絶対に二日酔いだろう、そんな事を考えながら、俺の意識はまたしても途切れた。

「う…」

ズキズキと痛む頭を押さえ上体を起こす。どのくらい眠っていたのだろう。ここに来てから時間の感覚が全く無くなっている。俺はベッドに腰掛けたままテーブルに置かれたぬるい水を一気に飲んで煙草に火を付けた。

静まり返った工場に微かな寝息が聞こえ、振り向くとベッドの上で眠る奈緒の姿があった。どうやら彼女も酔い潰れて眠ったようだ、それにしても今まで一緒のベッドで寝ていたのに気が付かなかったとは、なんだか勿体ない事をした気がする。

彼女を起こさないようにそっとベッドから立ち上がり、スマホのライトを頼りに薄暗い工場内を歩き回りトイレを探す。ようやく見つけたトイレで用を足し、手と顔を洗ってベッドの近くへと戻る。彼女は相変わらず小さな寝息を立てて眠っている。彼女の寝顔は多少メイクが崩れているせいか普段より幼さを感じ、俺はなんとなく手を伸ばして彼女の長い金髪をそっと撫でてみた。


「私の兄を殺したのは、松本奈緒なんよ」


歌恋の言葉が脳内で再生されるも、俺には目の前ですやすやと寝息を立てて眠る少女が人殺しだとは思えなかった。

「頭を撫でられたのなんて、ガキの頃以来だよ」

奈緒は目を閉じたまま、そう小さく呟いた。

「起きてたのか、ごめん」

「いいよ、もう少しだけそうしてて」

慌てて手をどかそうとした俺に、彼女は小さな声でそう言った。俺はベッドに座り、目を閉じたままの彼女の頭を優しく撫で続けた。しばらくそうしていると、彼女はポツリポツリと自身の過去について話始めた。

「鈴木歌恋を知らないと言ったけど、あれは嘘だ」

「そうなんだな、一体どういう関係なんだ?」

「あいつはウチの一学年下で、同じ小学校に通ってたんだよ」

「じゃあ…歌恋の兄の事も知っているのか?」

「ああ、アイツの兄貴はウチの同級生だった。稔みたいに変わった奴でな、ウチはヤクザの娘だからダチなんて一人もいなかったんだけどアイツだけはウチにしつこく話しかけてくれたんだよ」

「じゃあ歌恋と直接話したことはないのか?」

「うん、いつも兄貴にひっついていたのは覚えてるけど話したことは一度もねえな。鈴木歌恋は、お前になんて言ってた?」

俺は少し躊躇したが、言うなら今しかないと思い、意を決して言うことにした。

「お前が、兄を殺したって」

「ウチが?何かの間違いだろ」

奈緒はそう言うとゆっくりと上体を起こし、俺の隣に腰掛けて煙草に火をつけた。

「前にも話したけどウチは中学に上がってすぐ不登校になったんだよ、その時点でアイツの兄貴とは接点が無くなったんだ」

「こんな事聞くのは悪い気がするけど、お前が不登校になった原因って何なんだ?」

「嫌がらせだよ」

「嫌がらせ?」

「そう、ウチが小学校を卒業する前くらいからかな。地元の掲示板やらウチのSNSにある事ないこと色々書かれるようになってよ、それでただでさえダチがいなかったウチは、周りから余計に避けられたり、まあ簡単に言えば虐められるようになったんだ」

掲示板と聞いて、俺は直感で歌恋が犯人じゃないかと思った。

「誰がやったか奈緒は知ってんのか?」

「さあな、誰でもいいよ。そんな事今更興味もねえよ」

奈緒は煙草の火を消してベッドから立ち上がると、大きく伸びをした。

「稔はウチを疑ってんのか?」

「いや、そういう訳じゃ…」

「言っとくが、ウチは今まで誰も殺しちゃいねぇし、これからも誰も殺したりなんかしねぇよ」

「分かった、俺はお前の事を信じるよ」

「あはは、ありがとな。さてと、そろそろ帰るか。送ってってやるから乗れよ」

そう言うと彼女はシャッターを開け、黒いチェイサーに乗り込んだ。

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