第17話Deutzia
くたびれたネオンの看板、薄汚れた壁、とうの昔に閉店したと思われる小料理屋、道沿いに置かれたゴミ箱、視線に飛び込んでくる全てを振り払うように、俺は細く入り組んだ路地裏を全力で走った。まだそう遠くには行っていないはずの鈴木歌恋を探し、息を切らせ路地裏を駆けていく。しかし、どれだけ探しても彼女を見つける事は出来なかった。
体力の限界を感じた俺は、近くにあった電柱に寄りかかってそのまま崩れるように座り込んだ。荒い息をなんとか整え、煙草に火をつける。そしてポケットの中の線香花火を取り出してぼんやりと眺めた。走り回ったせいでくしゃくしゃになった線香花火を慎重に指で真っ直ぐ伸ばし、先端に火をつける。最初こそ順調にパチパチと小さな火花が散っていたが、完全に弾ける前に風に揺られて火が消えてしまった。
無力。その二文字が頭をよぎる。
「花火大会の日に一人ぼっちで、こんな路地裏で線香花火するなんて、雨宮くんはホントに面白い人だね」
顔を上げると、歌恋が無表情で俺を見下ろしていた。
「お前…!」
立ち上がろうとするが、自分が思っている以上に体力を消耗していたせいで、体に上手く力が入らない。
「最初に言っておくけど、あの店を燃やしたのは私じゃない」
「じゃあ誰がやったのか歌恋、お前は知ってんのか?」
「さあね、そんな事知って雨宮くんはどうするつもり?」
「どうって…」
犯人に辿り着いた時、俺はどうするのか、一番大事なことを俺は全く考えていなかった。
「キミが優しくて世話焼きなのはよく分かったし、それはそれで別に悪いことじゃないけど。でもね、それだけの理由で好き勝手に行動して、結果全部を引っかき回すなんて無責任だと思わない?」
彼女は淡々と正論を並べ、俺は何も言い返せないまま自分の愚かさと無力さを痛感した。
「まあ、いいや。私はね、個人的には雨宮くんの事嫌いじゃないよ」
「なんだよそれ」
「キミは、死んだ兄に似てるから」
そう小さく呟いた彼女の頬には、一筋の涙が流れていた。
「キミなら分かってくれるかな?」
「家族を失った悲しみだよ」
数日前に神社の階段に座り込んで歌恋が俺に問いかけた言葉を思い出し、それと同時に彼女の放った言葉の意味を理解した。
「それが、今この町で起きている事件に何か関係してるのか?」
「さあ、どうだろうね」
「お前が、人を殺してるのか?」
「残念だけどそれは違う、私は誰も殺してなんかいないし、最初に言った通りビルに火を付けたのも私じゃない。ただ…」
「ただ、なんだ?」
歌恋は流れ落ちた涙をパーカーの袖で拭うと、再び俺の目を真っ直ぐに見据えた。この日最後の花火が夜空に打ち上げられ、大きな破裂音の後、町はしんと静まり返った。
「私の兄を殺したのは、松本奈緒なんよ」
彼女が放った一言は、ちっぽけな俺には受け止めきれない程大きく、そして強い衝撃を俺に与えた。
「アイツが、お前の兄を殺したのか?」
「そうだよ、あの女が私の大好きだった、たった一人の兄を殺したんよ」
信じられないと言うよりも、信じたくない気持ちが強く、俺はどんな言葉を返せば良いのか分からなかった。歌恋はそんな俺の事など気にも止めていない様子で、くるりと体ごと後ろを向くと、まだ黒煙が立ち込める夜空を見上げた。
「あはははははははははは!」
突如として大声で笑いだした彼女に、俺の体は一気に強ばった。
「それにしてもいい気味だよね、あの女の店が焼けて無くなるなんて、あははははは!」
「歌恋、お前…」
「ねえ知ってた?あの女の店の名前、『金盞花』を英語になおすとカレンデュラって言うんだよ?わざわざ私の名前を入れてるなんて、初めて知った時どんなに悔しかったか、雨宮くん、キミに分かる?あははははは!」
彼女の一言一言に狂気を感じ、俺は未だに指一本動かせずにいる。
「兄を亡くしたあの日から、あはは!私がどれだけ苦しんで、どれだけ悲しんで、地獄のような日々を送ってだと思う?あははははははは!」
歌恋は笑い続けながらパーカーの袖をまくり、右の手首を俺の前に差し出した。彼女の手首には、ハートと心電図を合わせたような小さなタトゥーが施されている。
「これ、アイツに入れてもらったんだよ。あはははははは!あの女、目の前に殺した相手の妹が座ってるのに、気づきもしないでさ、あははははは!」
彼女は笑いながら泣いていた。彼女の両目からは大粒の涙がボロボロと零れ落ち、俺の靴を濡らした。さっきまで晴れていた夜空にどす黒い雲がかかり、やがてポツポツと雨が降り始める。雨は次第に激しさを増していき、あっという間に土砂降りになる。それはまるで歌恋の心を表しているようだった。
「まあ、いいや」
びしょ濡れになった彼女は力無くそう呟くと、パーカーの袖を元に戻して歩き出す。そのまま数メートル歩いた彼女は、街灯の下で立ち止まり俺に背を向けたまま言葉を続けた。
「雨宮くん、キミがこれ以上首を突っ込むんだとしたら、キミもそれ相応の覚悟を決めなよ」
「それは…どう言う意味だ?」
「そのまんまの意味だよ、例え最後がどんな形になろうとも、全てを受け止められる覚悟がキミにあるんだったら、この一連の事件を止めてみなよ」
歌恋はそう言い残して、土砂降りの町へと消えていった。俺はこれからどうすればいいのか分からないまま、道に落ちた線香花火をぼんやりと眺めていた。
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