第14話Lobelia
「くそっ、やられた!」
サイドブレーキを一気に引いて車をスピンさせながら停車させると、奈緒は吐き捨てるようにそう言って車の外へ出た。フロントガラスにはヒビが入り、そして真っ赤な鮮血が広がっている。目の前に広がる光景から、何かの生き物をはねてしまった事だけは理解できた。
「おい!稔も降りろ!」
外から怒鳴るような声でそう言われ、俺も車を降りる。奈緒のMR2はボンネットとバンパーが大きく凹んでおり、ライトは血で真っ赤に染まっていた。
「こっちだ!」
声のする方へ視線を移す。徐々に暗闇に目が慣れていき、やがてはっきりと道に転がる何かの姿が確認できた。頭部から血を流しピクリとも動かないそれは、人間だった。おそらくはもう死んでいる。
「きゅ、救急車よばねえと」
俺は慌ててポケットからスマホを取り出す。
「待て」
震える指で電話をかけようとしていた俺を、彼女が落ち着いた声色で制止した。
「良く見てみろ」
そう言って奈緒がスマホのライトで道に転がるそれを照らした。そしてそれを見た俺は背筋が冷たくなった。血を流し倒れる茶髪の女、その腕と足には結束バンドが巻かれていた。
「これって…」
「誰かがコイツの手足を縛って、わざわざウチの車が通り過ぎるタイミングに合わせて突き落としたって所だろうな」
にわかには信じがたいが、この状況に説明をつけるには、確かにそれ以外ないように思える。
「逃げるぞ」
奈緒はそう言うと運転席に乗りこみ、ボロボロになった車のエンジンをかける。このまま逃げれば轢き逃げになるのではないかと思ったが、もし彼女が言うように誰かに嵌められたのだとしたら、一刻も早くこの場から逃げるべきだと思った。例えそれが人の道を外れていたとしても。
「飛ばすぞ」
彼女はそう言って強くアクセルを踏み込んだ。遠くでサイレンの音が聞こえる、おそらく誰かが死体を見付けて通報したのだろう。車は市街地を抜け、山へと向かう。彼女は街灯もない山奥で車を停め、車をおりてどこかへ電話をかけている。
それから30分くらいたった頃、一台の真っ黒なセダンがやってきた。中から如何にもガラの悪そうな男が降りてきて、奈緒と何やら会話を交わしている。俺はその様子を助手席からぼんやりと眺める事しか出来ないでいた。
数分後、話が終わったのか奈緒が車に戻ってきた。
「おい稔、お前はコイツの車に乗って帰れ」
「お前はどうするんだよ」
「ウチは車を処分したり、まあ色々やらなきゃならねぇ事があるからな」
「一人で大丈夫なのか?」
「心配すんな、ウチはヤクザの娘や。ここから先は裏のやり方で片をつける。稔はちゃんと表の世界に帰れ」
「でも…」
「だから心配いらねぇって。色々片付けたらまた連絡するからよ」
そう言うと彼女は俺の腕を引き、強引に車から降ろした。俺が混乱したまま黒いセダンの後部座席に座ると、男は何も言わずに車を発進させる。俺は男と一言も言葉を交わさなかったのに、車は自宅アパートの前に停車した。
「ありがとうございます」
そう一言だけ礼を言って車を降りる。結局男は最後まで何も言わずに去っていった。
「この町では、まだまだ人が死ぬよ。キミがどれだけ事件を探ろうが、決して止められない」
数日前の鈴木歌恋の言葉が頭をよぎる。今年の一月に始まった不可解な連続不審死事件での死者は、月に一人のペースだった。それが俺が事件を調べ初めてからの短い期間に、新たに三人の死者が出た。自宅アパートの裏での首吊り、電車での人身事故、そしてついさっき起きた奇妙な飛び降り。その全てが同じ事件だという証拠は、今のところ何もない。
ポケットからスマホを取り出しメッセージを確認するが、凛華からの返事はまだない。煙草が残り数本しかない事に気付いた俺は、近所のコンビニに煙草を買いに行くとこにした。正直煙草を買いに行くのはただの建前で、家に帰るのが怖いというのが俺の本心だった。
コンビニで缶ビールといつも吸っているセブンスター、そして初めて吸った銘柄のマルボロメンソールライトを購入し、駐車場の隅にある灰皿の近くでビールを開けて煙草に火を付けた。
久しぶりに吸ったメンソールの煙草はとても軽く、物足りなかった。ただ、メンソール特有の清涼感により缶ビールがいつもより少しだけ冷たいように感じた。何かあるとすぐに酒に逃げるのは、俺の悪い癖だ。仕事で嫌なことがあった日も、大好きだった彼女に振られた日も、両親が亡くなった日も。友達はいつもそばに居てくれるとは限らない、予定が合わなかったり、そもそも友達がいなかったり、誰かに会いたくて寂しくて仕方がない夜にいつも変わらず傍に居てくれたのは、酒と煙草だけだった。
あっという間に缶ビールを一本飲み干した俺は、財布の中身を確認して再びコンビニに入って追加の缶ビールを購入した。そしてまた煙草に火を付け、フラフラとあてもなく歩き出す。
車も人も、俺以外に誰もいない道路の真ん中で立ち止まり、白いセンターラインに沿って歩く。程よく酔いもまわり、まるでこの世界に自分一人しか存在しないような感覚に陥る。
そうやって深夜の住宅街で現実逃避をしている俺の耳に、鈴が鳴るような綺麗な声が背後から聞こえた。
「みーくん、煙草変えたの?」
山本楓花、彼女はいつも街灯の逆光に照らされて現れる。
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