第13話Chamomile

翌日、バイトを終えた俺は着替えを済ませてスマホを確認した。いつもなら「到着っス」と凛華からメッセージが来ている時間だが、今日はまだ連絡がない。

店を出て煙草に火をつけ、凛華に電話を掛けてみるが「電波の届かない場所にあるか電源が入っていません」と無機質な機械音声が流れるだけで彼女からの応答はない。忙しいのか、それとも何かトラブルに巻き込まれているのか。どちらにせよ今の俺に出来ることは何も無いので、大人しく駅へと歩いて向かうことにした。

駅に着くと、普段では有り得ないほど沢山の人間で溢れかえっていた。

「電車止まってるとかマジ最悪」

「なんかまた人身事故があったらしいよ」

「マジ?それってあの連続不審死に関係してるのかな?」

たまたま近くにいた女子高生二人組がそんな事を話していた。なるほど、人身事故で電車が止まっているせいでこんなに人で溢れかえっているのか。どうしたものかと思案していると、ポケットの中でスマホが振動した。凛華から連絡が返ってきたのかと思い急いで画面を見る。画面に表示されていた名前は、松本奈緒だった。俺は人混みから離れ、駅の歩道橋で電話に出た。

「もしもし?」

「稔、今暇か?」

「ああ、ちょうど人身事故かなんかで電車が止まっててな、帰れなくて困ってた所だ」

「じゃあ今駅にいるんだな?」

「おう」

「それじゃあ駅のロータリーで待ってろ、五分で迎えに行ってやるよ」

電話を切ってからきっかり五分後に、爆音のエンジンを唸らせながら真っ赤なMR2が駅のロータリーに入ってきた。うるさいエンジンの音に周囲の人間の視線が一気に集まる。

「何してんだ、早く乗れよ」

助手席側の窓を開け、少し苛立ったような声で彼女がそう言う。俺は背中にいくつもの視線を浴びながら、真っ赤なボディのドアを開けて助手席へと乗り込んだ。

「ちょっとドライブでもしようぜ」

奈緒はそう言うと、俺の返事を待たずにアクセルを踏み込んだ。彼女の運転は凛華の運転とは違って荒々しい運転だ。法定速度などお構い無しな所は、流石ヤクザの娘といったところか。

30分程車は走り続け、そろそろ荒い運転に疲れてきた頃に彼女はようやく車を停車させた。そこは市街地から離れた海沿いの町、俺が通っていた高校の近くの真っ赤な橋の上にある広い駐車場だった。この橋を渡れば俺の母校がある小さな島に繋がっている。車を降りた俺は、遠くに母校を見付け、少しだけ懐かしい気分に浸っていた。

「何か飲むか?」

「車出してもらってるんだからそれくらい俺が出すよ」

「悪いな、それじゃ有難くご馳走になるよ」

駐車場の端にぽつんと佇む自販機に向かい、二人分の缶コーヒーを買って一つを奈緒に渡す。俺はそのまま近くにあったベンチに腰掛けて煙草に火を付けた。奈緒も隣に腰掛け、同じく煙草に火をつける。

「今日はいきなりどうした?」

「別に、ただなんとなく暇だったからな。一人でドライブしても楽しくも何ともねえだろ」

「そんなもんなのか?」

「なんだ、稔は免許もってねーのか?」

「ああ、ウチは貧乏だったからな。免許取りに行く金も出して貰えなかったし、俺自身金にかなりルーズと言うか、貯めるのが苦手でな」

「それで就職やらなんやらしてるうちにタイミングを逃しちまったって感じか」

「ま、そういう事だ」

免許を取って自分の車を運転する、そんな未来を想像した事は数え切れないくらいある。俺だって本当なら助手席に女の一人でも乗せてドライブしてみたい。

「もし稔が免許を取ったらどんな車に乗るんだろうな」

「そうだな、金があればインテグラのタイプRとか欲しいな」

「いいな、ウチもMR2かインテかで迷ったんだよ。たまたまタイミング的にMR2しかなくて諦めたんだけどよ」

「MR2もじゅうぶんカッコイイじゃんよ。それに、真っ赤なボディがなんだか奈緒らしくて良いと思うよ」

「あはは、ウチらしいか。よく分かんねえけどありがとよ」

最初に出会った時はなんだか怖くて取っ付き難い相手だと思ったが、今こうして話していると奈緒はとても素直で、ヤクザの娘と言う肩書きと両腕にビッシリと彫られたタトゥーさえ無ければ普通の女の子なんだろうなと思った。

「もし将来よ」

「ん?」

「稔が免許取って車買う時が来たらウチに相談してこいよ」

「車屋の知り合いでもいるのか?」

「まあ、ウチの親父の知り合いの車屋なんだけどな。中坊の頃、そこで車の修理とか手伝ってたんだよ」

「中学の頃から車いじってたのかよ」

「まあウチは色々あって不登校だったからよ」

そう語る奈緒の横顔は、少しだけ寂しそうに見えた。俺の視線に気付いたのか、彼女はこちらを向いていつもの意地悪な笑顔を浮かべた。

「だからって別に同情して欲しいとか、そういう訳じゃねーからな。過去は過去、今は今や。ウチはウチの生きやすい生き方で生きていくって決めたからな」

俺は初めて彼女と出会った日から気付いていた、彼女の左腕の手首にある沢山のリスカの痕に。きっと彼女の両腕のタトゥーは、リスカの痕を消す為でもあるのだろう。

「奈緒は強いな」

「なんだよそれ、稔は弱いのか?」

「俺は…」

俺はきっと弱い。人生を良くするチャンスや分かれ道はいくらでもあったはずなのに、俺はずっと逃げ続けて来た。その結果が、21歳高卒フリーターだ。俺はそんな自分が吐き気がするほど嫌いで、だけど変わる努力から今も尚目を背け続けている。

「俺は、なんだよ?」

「俺はさ、周りの皆より弱いよ」

「なんでそう思うんだよ?」

「何か嫌なことがあれば直ぐに逃げ出すし、自分を変える努力も何一つしてない。病気で死んだ両親の事だって、もう半年も経つのに未だに引きずったままなんだよ」

「別にそんなの普通だろ」

奈緒はそう言うと、立ち上がって俺の背中に軽い蹴りを入れた。

「いきなりなんだよ」

「ウチはな、稔が弱い人間だなんて全く思わんよ」

「なんでそう思うんだ?」

「生きてる奴はみんな強いんだ。例えそれがただなんとなく生きてるだけの奴でも、死のうとして死にきれなかった奴でも、生きる目的が何も無い奴だとしてもだ」

「じゃあ今こうして生きてる俺らは、それだけで強いって事か?」

「そうだ、朝起きて飯食って、夜になったら寝て、そうやって毎日命を繋いでるだけで、じゅうぶん強いとウチは思うよ」

奈緒の言葉は強く、そして優しかった。俺はなんだか救われたような、そして自分を認めて貰えたような気がして、嬉しかった。

「なんか、ありがとうな」

「うるせえ、礼はウチと別れる最後の最後まで取っとけ」

車に戻り、再び荒い運転に揺られる。車が歩道橋の下をくぐり抜けた瞬間、ドンという大きな音と共に、体全体が揺さぶられる程の大きな衝撃が走った。

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