第11話Streptocarpus

「次のバス停で降りて」

歌恋は俺の目をじっと見据えたまま、そう小さな声で言った。俺は慌てて料金表を確認し、財布から小銭を取り出す。彼女が降車ボタンを押すと、バスは少し走った後、市役所前のバス停で停まった。

先に降りた彼女に続き、料金を払ってバスを降りる。彼女は俺を待たずに歩き出しており、俺は慌てて小走りで後を追った。

「少し、散歩しよっか」

俺が追いつくと、歌恋はささやくようにそう言った。彼女の声からは相変わらず何の感情も感じられない。

「お前は…」

「雨宮稔、だよね?」

俺の言葉を遮るように歌恋がそう言った。

「年齢は21歳、最終学歴は高卒。バイト先だった地元の飲食店に就職して、市内の繁盛店に配属。そこで清水凛華と出会い、今年の初めに鬱で退職。そうして地元に戻ってきた、違う?」

全てが事実だった。俺はただただ絶句し、一言も言葉を発せずにいた。一体何処でそんな情報を調べたのだろうか、俺は夏なのに全身に鳥肌が立ち、寒気を感じている。

「私はキミの事なら何でもしっちょるんよ?だって、私はキミの一番の親友じゃけぇね」

歌恋は俺もよく知っている有名な映画の台詞を真似て言い放った。返事を返せない俺の事など一切気にしていない様子で、彼女はどんどん先へ進んでいく。気が付けば町の中心部から随分と離れた場所まで歩いて来ていた。俺が生まれ育った坂の多い田舎町。数年ぶりに訪れる地元に、俺はどこか暖かい懐かしさを覚えた。

歌恋は立ち止まることなく細い坂道をどんどんと進んでいく。子供の頃に遊んだ公園、学生時代によく通った駄菓子屋、小さな頃に親と手を繋いで歩いた坂道。しばらく進むと少し開けた道に出る。歌恋は一度立ち止まると、こちらをチラリと見て再び歩き出した。長く続く100段以上の階段、その先にあるのは最初の事件が起きた神社だ。

階段を全て登りきるころには、俺はすっかり息が上がっていた。「歳をとったな」そんな下らない事が頭をよぎる。なんとか息を整え顔を上げると、懐かしい神社の境内が目に映った。

「ここから見える夜景、私好きなんよ」

歌恋はそう言って階段の一番上の段に腰掛けた。俺も彼女に倣い、少しスペースを空けて階段に座る。眼下に広がる夜景は確かにとても綺麗で、彼女が好きだというのも納得できた。

「キミなら分かってくれるかな?」

「何をだ?」

「家族を失った悲しみだよ」

「お前も、家族の誰かを亡くしたんか?」

返事はない。生暖かい風が少し強くふいて、歌恋の髪が揺れる。月明かりに照らされた彼女の頬には、一筋の涙が光っていた。よく見ると、肩を小刻みに震わせている。

「この町で起きている連続不審死と関係があるんか?」

歌恋は黙って首を横に振る。

「時間が経てば忘れられるって、時間が経てば乗り越えられるって、周りの人間は皆そう言ったのに」

彼女の声はもはや完全に泣き声になっている。

「いつまで経っても忘れられんし、乗り越えられんのんよ」

「分かるよ、俺も去年両親を亡くしてるからな」

「毎晩毎晩夢に出てきてな、初めの頃は嬉しかったのに、今じゃ夢だって分かってる分余計に辛くて仕方ないんよ」

気付けば俺は、膝に顔を埋めて泣いている歌恋を背後から優しく抱きしめていた。彼女の背中の温もりと、小刻みな体の震えが同時に伝わってくる。

「優しいせんでや」

「嫌じゃったら辞めるけん、嫌って言えよ」

「嫌じゃないわ、アホ」

「じゃったらええじゃろうが」

そのままどのくらい時間が経ったろうか、歌恋はひとしきり泣くと、パーカーの袖で涙を拭って顔を上げた。

「もうええよ、大丈夫。ありがとう」

俺は少し名残惜しかったが、素直に彼女から離れる事にする。

「少しは気分が晴れたか?」

「ほんの少しだけね」

「ならよかったよ」

「キミって優しいんじゃね。お礼になるかは分からんけど、代わりに二つだけ、キミに警告してあげる」

そう言うと歌恋はスっと立ち上がり、こちらを振り返った。泣き腫らした目はまだ少し赤いままだが、彼女の表情からは何か決意を決めたような強さを感じた。

「この町では、まだまだ人が死ぬよ。キミがどれだけ事件を探ろうが、決して止められない」

「お前は犯人を知ってんのか?」

「その質問には答えられない」

「もしかして…」

「私が犯人かって、聞きたいの?」

彼女には尽く先を読まれてしまうようだ。俺は黙って頷く。

「もしキミがそう思うんだったら、私が犯人だっていう証拠を見つけてごらん」

「あくまで否定も肯定もしないのか?」

「本当の事は自分の力で調べなきゃ、キミが自分の意思で首を突っ込んだんでしょ?だったら最後まで自分でやりきらなきゃダメだよ」

歌恋はそう言うと、階段を一段ずつ降りていく。少し遅れて俺も階段を降り始める。

「もしも」

「もしも、なに?」

「もしも俺が犯人を見付けたら、この事件を終わらせる事は出来るのか?」

「さあね、それはその時がくるまで分からないよ。最後にキミがどうするのか、楽しみにしてるね」

一足先に階段を一番下まで降りた彼女は、くるりとこちらを振り向いた。そして、初めてニッコリと微笑んでみせた。

「そういえば自己紹介がまだだったね。私の名前は鈴木歌恋。それじゃあまたね、雨宮くん」

「おい、待てよ」

慌てて階段を降り、路地を見渡すが既に彼女はどこかへ消えてしまっていた。彼女は敵か味方か、謎は余計に深まるばかりで、彼女が見せた涙と背中越しに感じた温もりだけが、訳もなく俺の胸を強烈に締め付けていた。

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