第6話Apricot blossom
午前七時、救急車のサイレンで目が覚めた。今日のバイトは11時からなので後二時間は寝れるのだが、救急車のサイレンがアパートのすぐ近くで停まったので俺はベランダに出て外を見てみることにした。
「えっ」
ベランダに出た俺の目に飛び込んできたのは、一台の救急車と三台のパトカー。そして、アパートの裏に流れる小さな川沿いのフェンスにぶら下がる男の姿だった。
それが首吊り自殺だと言うこと、そして男が既に死んでいることを理解した俺は、その光景から目をそらすことも出来ずに固まった。やがて野次馬が集まって来て、スマホで撮影をする者や、それを制止する警官で辺りは騒然となった。
そんな野次馬に一種の嫌悪感を覚えた俺は、自分もその一員である事に気付き、部屋に戻ってカーテンを閉めた。
その日のバイト中、他のアルバイトや客が「また不審死が起きた」と話しているのを何度も聞いた。バイトの休憩中、俺はこれまでに起きた不審死について改めて調べてみることにした。
最初の事件が起きたのは今年の一月、俺もよくしっている地元の神社で、未成年の男が座った状態で首を吊って死んでいるのが見付かった。それからは月に一人のペースで、ビルからの飛び降り、電車への飛び込み、川での水死、車内での練炭自殺、車での単独事故と、いずれも自殺か事故死と思われる死に方で人が亡くなっている。
共通点は、いずれも未成年、もしくは20代前半の若者だということ。匿名掲示板を見ると、今朝の首吊り自殺も地元の大学に通う未成年の男だと分かった。
「先輩、今日はまた一段と難しい顔してるっスね」
「ん?ああ、実はな」
バイト終わり、いつものように迎えに来てくれた凛華に、俺はここ数日間の出来事を話した。話を聞き終えた彼女は少しの沈黙の後、真剣な顔をして俺の目を見据えた。
「先輩、もうこの件には関わらないでください」
それはいつものゆるい感じの喋り方ではなく、少し冷たさを感じる言い方だった。
「でも仮にこの一連の事件に犯人がいるとしたら、多分俺の家は相手にバレてると思う」
「それはそうかもっスけど」
「それに俺は清水にかけられてる、白いスポーツカーの噂が間違いだって証明したい」
「そんな噂、勝手に言わせとけばいいんスよ。それで先輩が危険な目に合うのは、ボクは嫌っス」
そう言うと凛華はハンドルを握りしめて俯いた。俺もどんな言葉を返せば良いか分からず、車内には気まずい沈黙が流れる。
「真夜中に白いスポーツカーに出会うと殺される」
全ては、バイト中に耳にしたこの噂から始まった。
「ちょっと煙草吸ってくる」
俺はそう言って車のドアを開け、外に出た。煙草に火をつけ、頭の中を整理する。初めて事件が起きたのは一月。そして凛華がこの町に越してきたのも一月。今朝起きた事件は、おそらくは昨日の夜中から今日の朝方にかけて起こったはず。そして、昨日凛華は「用事がある」と言って迎えに来なかった。
考えれば考えるほど、彼女が事件に関わっているように思えてしまう。俺の家を知っているのも凛華だけだ、そして彼女は最初からこの件に関わるなと俺に警告していた。
煙草を吸い終えた俺は、再び凛華の車の助手席へと戻った。俺がシートベルトを閉めると、彼女は何も言わずにシフトレバーを動かし、ゆっくりと車を発進させる。車は駅前を通り過ぎ、地元で有名な屋台のある通りを進んでいく。俺はつい我慢出来ずに、気になっている事を口に出してしまった。
「清水、昨日の夜はなにしてた?」
俺の一言で車内の空気が一瞬にしてピリついた。凛華は黙ったまま車を路肩に寄せ、ハザードランプを点灯させて停車した。
「先輩はボクを疑ってるんスか?」
「べ、別にそういう訳じゃ」
「先輩」
凛華はそう言うと、悲しそうな顔で俺の顔を見た。
「今日は一人で帰ってください」
俺は何も言葉を返すことが出来ず、走り去っていくテールランプを見送ることしか出来なかった。余計な一言で彼女を傷付けてしまったんじゃないか、嫌われてしまったんじゃないか、そんな事ばかりぐるぐると考えてしまい、俺は帰るに帰れず、夜の町で立ち尽くしていた。
こんな日は酒でも飲んで忘れるしかない、そう思い重い足取りでシャッター通りへと向かう。相変わらず人のいない商店街を抜け、裏通りへと入る。気づけば俺は数日前に初めて訪れたバー「Hyacinth」の前に立っていた。
「いらっしゃい」
ドアを開けると初老のマスターが俺を迎え入れてくれた。薄暗い店内、カウンターに視線を移すと、見覚えのある少女が座っている。前回俺にシャンディガフを奢って消えた歌恋だ。俺は敢えて歌恋の隣の席に座った。前回の事を覚えていてくれたのか、何も言わずにマスターが灰皿を俺の前に置く。
「ビールをください」
「あいよ」
歌恋は隣に座った俺の事などまるで気にしていない感じでスマホを弄っている。俺は目の前に置かれたビールを一口飲んで、歌恋に声を掛けることにした。
「なあ」
少し待ったが、返事は無い。
「この前は一杯奢ってくれてありがとう」
更に話しかけるが、歌恋はこちらを向かずに髪の毛をかき分けて、耳に付けているワイヤレスイヤホンを見せた。音楽を聞いているから邪魔をするなと言うことだろうか。
俺が会話を諦めて煙草に火をつけると、歌恋はカウンターに千円札を数枚置き、マスターになにやら耳打ちをして店を出ていった。俺は歌恋の後を追おうと目の前のビールを一気に飲み干す。ポケットから財布を取り出し代金を払おうとしていると、またも目の前にカクテルグラスが置かれた。
「またあの子から兄ちゃんに奢りだってよ」
グラスの中の液体は怪しげな赤色で、グラスの縁にはライムが刺してある。
「あの、このカクテルの名前は?」
「ん?そのカクテルは、エル・ディアブロだよ」
俺はスマホを取り出しチャットアプリを開いて「エル・ディアブロ」でオープンチャットを検索した。参加ボタンを押すと、前回同様自動応答メッセージが流れる。
「エル・ディアブロのカクテル言葉は『気をつけて』」
俺はまたオープンチャットが削除される前に、急いでメッセージを打ち込む。
「どういう意味?」
そう送った瞬間に既読が付く。そして一言だけ返信が来た。
「松本奈緒はヤクザの娘」
その直後、またもやオープンチャットは削除され、俺は強制的に締め出された。
歌恋のオープンチャットが、噂されている殺人依頼のオープンチャットかどうかは現段階では判断出来ない。けれど、白いスポーツカー、ヤクザの娘、オープンチャット、女子高生、気が付けば俺の周りには全ての駒が揃っていた。
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