第5話Calendula

翌日、バイト中も俺の頭の中は昨日の出来事でいっぱいだった。歌恋との出会い、そして「無駄なこと」という謎のメッセージ。自室のドアの前に置かれていた猫の死骸、そして楓花との出会いとライターに書かれていた「金盞花」の文字。最初は白いスポーツカーの噂についての小さな好奇心から調べ始めたのだが、気が付けば俺の頭の中は一連の出来事で埋め尽くされていた。

特に気がかりなのは、やはり猫の死骸の事だ。あれは「これ以上関わるな」という警告なのかもしれない。だがもしそうだとしたら、俺は犯人、もしくはそれに関わる人物に自宅まで特定されている事になる。俺の今の家を知っている人物は、地元では清水凛華しかいない。

いつものように22時過ぎにバイトを終えた俺は、着替えを済ませてスマホを手に取った。


「今日は用事があるから迎えに行けないっス」


そう、凛華からのメッセージが届いていた。俺は「了解」とだけ返信を送り、バイト先の店を出た。このまま真っ直ぐ帰っても良いのだが、昨日のライターの事も気になる。再びスマホを取り出し、ライターの裏に書かれていた「金盞花」で検索をかけると、一軒のタトゥーショップが出てきた。場所は昨日も行ったシャッター通り、営業時間や休業日の記載はなく、ただ場所だけが書いてある簡素なホームページだ。今から歩いて行けば20分くらいで行ける距離だが、この時間に店が空いている可能性は限りなく低い。とは言え次の休みは三日後、それまで待つのももどかしく感じる。

散々迷った挙句、俺は再びシャッター通りを歩いていた。昨日より時間が遅い事もあり、人通りはほとんど無い。昨日行ったバーは商店街の駅側の入口に近い場所にあったが、今日目指しているタトゥーショップは反対側の出口付近にあるようだ。

スマホのアプリでマップを見ながら探したが、付近に到着してもそれらしき店は見当たらない。あるのは電気の消えた雑居ビルばかりで、青色の街灯が不気味な雰囲気を醸し出している。

いい加減歩き回るのも疲れたので、雑居ビルの前にある灰皿の前に立ち、ポケットから煙草を取り出して火を付けた。ビルの合間から見える夜空を眺めながら煙草を吸っていると、周囲に人の気配を感じた。

「お前、さっきから何うろちょろしてんだ」

暗闇から聞こえてきた声は威圧的と言うか、少々苛立っているようだ。声のする方を振り向くと、金髪ポニーテールの女がこちらを睨めつけていた。

「あっ、えっとこの辺あるタトゥーショップを探してて」

「誰に聞いた」

「えっと、ホームページを見て」

俺がそう言うと、女は怪訝そうな表情を浮かべた。

「ウチはホームページなんて作ってねぇんだけどな」

いったいどういう事だ。確かにホームページはあったはずだ。何がなにやらわからず、次の言葉が出てこない。

女はチッと一度舌打ちをした後、こちらに背を向けて歩き出した。

「着いてこい」

そう言うと雑居ビルへと入って行く。俺も慌てて煙草を揉み消し、女の後を追うことにした。

雑居ビルの中は電気がついてなく、ほとんど真っ暗といっていい状態だ。女に着いて歩き、階段を登り四階に上がる。四階の廊下の突き当たりにある扉の前で女は立ち止まり「入れ」とぶっきらぼうに言い放ってドアを開けた。

言われるままに部屋に入る。部屋の中は赤い蛍光灯が灯されていて、簡易ベッドと何やらよく分からない機械が置いてある。窓には遮光カーテンが掛けられており、外からは見えないようになっていた。

「で?何の用だ」

女は相変わらず機嫌悪そうにしている。おそらくここがタトゥーショップなのだろう。だとしたら、タトゥーを入れに来たと言わないと余計に警戒されるだろう。

「タトゥーを入れて欲しい」

「絵柄は?」

まさか今日いきなりタトゥーを入れる事になるとは思ってなかったので、何を入れれば良いのか分からない。タトゥー自体には抵抗はないし、むしろ入れてみたいと思っていた。だが具体的に何を入れたいとは考えたことも無かった。

「なんだ、考えてねぇのか」

女はますます機嫌悪そうな声になる。俺は焦りつつも、何とかアイデアを絞り出そうと思考を巡らせていた。

「ローマ数字と、小さく星を入れてくれ」

「それだけじゃ入れられねぇよ」

「ちょっとだけ時間をくれ」

俺はそう言うと、スマホのイラストを描けるアプリを開き、簡単なデザインを描いた。

「これを入れて欲しい」

女にスマホを渡す。

「サイズと入れて欲しい箇所は?」

「右の肩甲骨の辺りに、このスマホのサイズに収まるくらいの大きさで」

「で?何の数字なんだ」

「両親の、命日だ」

俺がそう言うと、女は何も言わずに部屋の片隅にあるデスクへ向かい、パソコンを起動した。パソコンの明かりで、今までよく見えなかった女の姿がはっきりと見えるようになった。

長い金髪のポニーテールに、ややキツめのメイク。服装はタンクトップにカーゴパンツで、腕にはびっしりとタトゥーが彫られている。今は横顔しか見えないが、それでもかなりの美人であることは分かる。年齢は、自分と同じくらいか。

数分後、コピー機のような機械から一枚の紙を取り出して、女は戻ってきた。

「本来なら当日にいきなり入れる事はしねえんだが、今日は特別に入れてやる。そこに座ってシャツを脱げ」

女はそう言って、簡易ベッドを指さした。俺は素直に従ってベッドに腰掛けシャツを脱ぐ。

「ここは合法な店じゃねぇ。だから誓約書も保証も何もねぇ。お前が誰で、何歳で、何をしてる奴でも関係ねぇ」

女の声からは先程までの威圧的は消えているが、代わりに氷のような冷たさを感じる。

「分かった」

静かな部屋にタトゥーマシンの音だけが響き、チクチクと刺すような痛みを感じる。デザインが単純で小さかったからか、30分ほどで施術は終わった。最後にタトゥーを彫った部分にラップのようなものを貼られる。

「よし、これで終わり。もうシャツを着ていいぞ」

俺はシャツを着て、ズボンのポケットから財布を取り出した。そういえば料金について何も聞いていなかった。財布の中には三万くらい入っているが、大丈夫だろうか。

「いくらだ?」

俺がそう問うと、女は意地悪そうにニヤリと笑う。正面から見たその顔は、やはりかなりの美人だ。

「今回は特別に一万でいいよ」

俺は言われた通りに1万円札を渡し、「痒くなったらこれを塗れ」と謎の軟膏をもらってドアへと向かう。

「おい」

ドアノブに手を掛けた所で呼び止められた。

「お前、名前はなんていうんだ?」

「雨宮稔」

「ウチは松本奈緒。雨宮、また入れたくなったら連絡してこい」

そう言うと、奈緒は一枚の名刺を差し出した。俺はそれを受け取り、代わりに自分の電話番号を教えて店を後にした。


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