第3話Ginger lily

目が覚めると時刻はもう夕方の17時を回っていた。正確には昼に何度か目覚めたのだが、睡眠薬を飲んだ翌日はなかなか体のダルさが抜けず、二度寝、三度寝と繰り返してるうちにこんな時間になってしまった。まだ少し鈍い頭を無理矢理起こし、ベランダに出て煙草に火をつける。

二本目の煙草に火を付けた頃に、昨日地元の匿名掲示板に質問を書き込んだ事を思い出し、スマホを取り出し掲示板を開く。昨日の時点から100レス程増えているが、相変わらず有用な情報は無い。

「ん?」

思わずページをスクロールする手が止まる。昨日の俺のレスに返信がついていたのだ。返信はただ一言「Hyacinth」とだけ書かれている。俺はとりあえず検索ページを開いて、地元の地名に先程のワードを足して検索を掛けてみた。出てきた検索結果は、商店街にあるバーの名前だ。情報が欲しければここに来いと言うことなのだろうか。

それから一時間後、俺はシャワーを浴びて着替えを済ませ、電車に揺られていた。俺が住んでる町は、バイト先がある中心街から二駅離れている。凛華を呼ぼうかとも思ったが、足に使うのも申し訳ないから自力でバーに向かうことにしたのだ。

電車を降りて20分程歩くと、地元で一番大きな商店街の入口が見えてきた。地元で一番大きな商店街と言ったが、栄えていたのは10年以上前の事で、今ではほとんどシャッターが降りている。それ故地元の人間はこの寂れた商店街の事を「シャッター通り」と呼んでいる。学生の頃はたまに来ていたが、大人になってからここに来るのは初めてだ。

スマホの地図アプリを頼りに目的のバーを探し歩く。商店街のメイン通りから外れた裏路地、寂れた雑居ビルの二階に、その店はあった。

普通に歩いていたら見過ごしてしまいそうなくらい質素な看板に「Hyacinth」と店名が書かれているのを確認し、俺は雑居ビルの階段を登る。

「いらっしゃい」

ドアを開けるとマスターらしき人物にそう声をかけられた。狭い店内は薄暗く、壁にはくたびれたポスターやギター、ネオンの看板などが所狭しと飾られている。まだ時間が早いからなのか、はたまた平日だからなのか、客は俺しかいないようだ。

カウンターの端の椅子に座り、とりあえずビールを注文する。ポケットから煙草とライターを取り出してカウンターに置くと、何も言わなくても灰皿が出てきた。煙草に火を付け、ビールを一口飲んで考える。あの書き込み主はこの店のマスターなのだろうか?もしそうだとしたら、今ここでマスターに直接聞けば良いのだが、もし書き込み主が違う人物だとしたら俺は変な客だと思われてしまうだろう。そもそも本当にこの店の事を指し示していたのかも謎だ。

そんな事をぐるぐると考えつつ、三杯目のビールを半分くらい飲んだところで、店のドアが開く音がした。

「ああ、歌恋ちゃんいらっしゃい」

「どうも」

マスターから歌恋と呼ばれた女性は、俺とは反対側の端の椅子に座った。名前で呼ばれている事から、この店の常連客なのだろうと推測する。俺は彼女がどんな人物なのかと気になり、それとなく横目で観察してみた。

ピンと背筋を伸ばして上品に座る彼女は、薄暗い店内でも分かるくらい端正な顔立ちをしている。髪型はおそらく前下がりボブだろうか、服装は白い薄手のパーカーにショートパンツとスニーカー。全体的に少し幼さを感じ、とても成人しているようには見えない。

「いつもの下さい」

「はいよ」

マスターはそう言うと冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、グラスに注いで彼女の前に置いた。わざわざバーに来てオレンジジュースを頼むのはやはり未成年だからだろう。彼女はそれっきり一言も喋らず、店内は再び静かになった。

書き込み主は歌恋と呼ばれたこの少女なのだろうか。俺はふと思い立ちスマホを取り出すと、例の匿名掲示板を開いた。「Hyacinth」とだけ書かれたレスに、「カウンターの右端」とだけ返信を書いてみる。もしマスターや歌恋が書き込み主なら、なにかしらの反応があるはずだ。

三杯目のビールを飲み干し四杯目のビールを頼もうか迷っていると、突然目の前にグラスが置かれた。

「え?」

「さっきの子が、兄ちゃんに奢るってよ」

慌てて彼女が座っていた椅子に視線を向けるが、彼女はもう既に立ち去っていた。俺は訳も分からず混乱しつつ、スマホを見る。すると俺のレスに対して一言返信がついていた。


「バーに来てビールばかり飲むなんてもったいない」


恐る恐る目の前に置かれたグラスを手に取り、一口飲む。ビールの味にジンジャーエールの風味が足されたそのカクテルは、シャンディガフだった。これは何かのメッセージなのか、俺は再び思考をめぐらせる。

もしかしたらオープンチャットに関係するワードなのかもしれないと思い立ち、アプリを開いて「シャンディガフ」と検索をかけてみる。すると、一件だけオープンチャットがヒットした。参加ボタンを押すと、自動応答のメッセージが表示される。


「シャンディガフのカクテル言葉は『無駄なこと』」


俺が何か質問をしようと迷っていると、オープンチャット自体が削除され、強制的に締め出されてしまった。

歌恋と呼ばれる少女、そして無駄なことと言う意味深なメッセージ。噂の真相に迫るどころか謎は深まるばかりだ。俺は歌恋に奢られたシャンディガフを飲み干すと、店を出て自宅に帰ることにした。

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