11/26 故郷
刹那に昔、母から聞いた話を思い出していた。かつて、わたしたちの先祖はここではない、もっと遠くの土地に住んでいたという。
きっと彼らは故郷を追われたのだ。首になった人間が危険であるが故に、止むを得ず遠くへ行かねばならなかったのだと、そのとき脳裏に閃いた。
ぐるりとこちらを向いた姉の首が、腕の中からするりと抜け、大口を開けてわたしの顔に飛びかかってきた。わたしはとっさに左手をかざした。姉の歯が肉に食い込み、骨が軋んだ。わたしは獣のような声をあげて叫んだ。
右手で髪をつかんでようやく姉の首を引き剥がし、なるべく体から遠ざけるように持ち上げた。空中にぶら下げられた姉は、血まみれになった歯をかちかちと鳴らした。
「……思い出したのよ。昔のことを思い出すと、思い出しただけ怖くなるのよ」
姉さんが言った。口の中に残っていた肉片が、ぽたりと床に落ちた。
「体があったころとなくなった後と、自分の気持ちがあんまり違うんで怖くなるの。どんどん変わっていって、首になった私は私だけどもう前の私じゃないの。なぁ子ちゃん、なぁ子ちゃんはいいね、昔といっしょでいいねぇ。私は可愛いものを噛み殺してしまいたい。なぁ子ちゃんは可愛いねぇ」
そう言うなり、姉の顔がぐっとこちらに近づいてきた。勢いで右手を離しそうになり、わたしは思わず左手を上げてもう一度姉の顔を防いだ。激痛が襲った。
「姉さん、やめて」
だから父は、母の首を埋めたのだ。
「ごめんね。なぁ子ちゃん、ごめんね」
姉の首はぽろぽろと涙をこぼした。「なぁ子ちゃんは可愛いねぇ」
いつのまにか姉の髪が右手に絡みついていた。攻撃を防ぎながら、わたしたちは書斎の中でめちゃくちゃに動きまわった。飾り棚にぶつかり、陶磁器の天使やアメジストの原石、伏せておいた家族の写真立てが次々と床に落ちた。壁にわたしの血の痕がいくつもついた。
「なぁ子ちゃん」
姉の首は泣いたり、血まみれの口で笑ったりして、でも声だけはいつものようにおっとりとした、凪いだ湖のような声だった。
「なぁ子ちゃん、姉さんの方においで」
目の前すれすれで姉の口ががちんと閉じた。頭をそらせた拍子に、体ごと後ろ向きに窓にぶつかった。窓は外に向かって開いた。
気がつくと全身が夜気に包まれていた。窓から放り出されたのだと気づいたとき、わたしたちはすでに落下の途中だった。
何もかもがスローモーションに見えた。
胸の上に落ちてきた姉を、わたしは反射的に抱きとめた。血まみれの顔に、柔らかい笑みが浮かんでいるのが見えた。
(姉さんを埋めたくない)
こうしてふたりで生まれる前の虚無に還るのなら、それでいいと思った。
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