11/18 椿

 一時間ほどして書斎を出ると、ノックの音は止んでいた。ほっと胸をなで下ろしたものの、何も解決できていないと思った。家を出るのが怖くて結局叔母の家には行けず、体調不良を理由にして断りを入れた。

 薫くんはこの家に何をしに来たのだろう。たまにあの坂を下りてくることはあっても、ドアをノックされたのは初めてだった。わたしに用事があったのか、それとも姉の方にか。彼の生家ではなく、わざわざこちらに出向いてくるということに意味がある気がした。

(僕もかずみも、この家が好きなんだよ。古くて大きくて、天井の隅に百年前の影が凝ってそうなところが)

 生前の彼がそんなことを言っていたと、ふと思い出した。


 我が家の庭の通りに面した一部は椿の生け垣になっている。急に寒くなったと思ったら、気が早い花がもういくつか咲いていた。

 白と赤とが混じった絞りの柄は美しいが、今年に限っては白地に血が飛んだように見えて、首筋がひやりとした。それでも姉が見たがるので、一枝切って書斎に持っていった。

「綺麗ねぇ」

 姉は嬉しそうにそう言ってから、「かずみちゃんにも、椿が咲いたって教えてあげなきゃ」と続けた。

 突然かずみちゃんの名前が出てきたので、わたしは驚いた。姉は素知らぬ様子で続ける。

「かずみちゃん、うちの椿が好きだったじゃない。この家のが一番綺麗、お姫様のスカートみたいって言ってたでしょう」

 それでようやく思い出した。薫くんは毎年、椿が咲くと一枝もらいにきたものだ。

(かずみが、ここの椿が一番綺麗だっていうから)

 その習慣は、かずみちゃんが生首になってからもずっと続いていた。


 わたしは椿をもう一枝切って新聞紙で包み、紙に「かずみちゃんの分」と書いて添え、玄関の前に置いた。

 もしも薫くんが椿をとりに来たのなら、これで気が済むのではないか。

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