11/5 旅
母のことは、首になった後の記憶しかない。
少なくともわたしを産んだときまでは体があったのだろうけど、物心つくころにはもう、書斎の飾り棚の中――ちょうど今姉がいるのと同じところで、とろとろと眠っていた。
そういう記憶しかない。
どうして今は鉢植えの中に埋められているのか、わたしはまったく覚えていない。
「こんにちは。奈々子さん、また引き籠もってるの」
ひさしぶりに従弟の薫くんが訪ねてきた。肩に使い込んだボストンバッグを提げていたから、またどこか旅行に行ってきたのだろうと察しがついた。
「どこか出かける気はないんだ?」
「いいの。好きで家にいるんだから」
「仕事は?」
「それも家で。材料は問屋さんが持ってきてくれるから」
「奈々子さんは、本当に家が好きだね」
薫くんは感心したようにそう言い、きれいな長い指でティーカップを持つ。そういえばこのティーセットは、彼がベルリンで買ってきてくれたものだ。姉はこのカップを見たことがあっただろうか。
薫くんは「これ今回のお土産」と言って、テーブルに紙箱を置く。入っていたのは美しい薩摩切子のグラスで、さすがにわたしの趣味を理解しているなと感心した。
「最近はもっぱら国内旅行だね。かずみを連れてってやりたいから、飛行機はちょっとね」
かずみは薫くんのひとつ下の妹、つまりわたしにとっては従妹のことだ。垂れ目の、可愛らしい子だった。
「一緒でないと駄目なの?」
「駄目ってんじゃないけど、色々見せてやりたいじゃない」
薫くんは「ねぇ」と、ボストンバッグの中に向かって呼びかけた。
ふふ、と少女の澄んだ笑い声が応えた。
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