第180話 「がばぁーっ!!」

「――んっ」

「――んぅ!?」


 教室窓際一番後ろの特等席。

 いつもの席に座った瞬間、重なった隣の机から身を乗り出した早霧に俺は唇を奪われた。

 驚きで見開いた視界の先には、閉じた早霧の瞳が見える。長い睫毛に見惚れる隙も無く、開かれた淡い色の瞳と目が合った。


「えへへ……」

「お、お前なぁ……!」


 小言の一つでも言ってやろうとしたけれど、嬉しそうにはにかむ姿を見てそれを飲み込む。

 俺の心はとっくの昔から早霧に夢中だったんだ。


「教室でするのもさ、久しぶりだよね?」

「……いつもは誰かがいるからな」

「今は二人きりだよ?」


 そう言って早霧は目を閉じる。

 何度も見たキス待ち顔は、いつも俺の胸をドキドキさせて。


「……だな」


 そうしてまた、キスをする。

 不意打ちじゃない二回目のキスは早霧からじゃなくて俺からだった。

 公共の場では控えなきゃいけないという気持ちも、こうして早霧の唇の柔らかさと心地良さにかき消されていく。


 俺も大概だなと思いながら目を開けると、今度は早霧が先に俺を見つめていた。


「……教室で蓮司からしてくれたの、初めて」

「……そりゃあ、な」


 嬉しそうに微笑む。そこで俺は、駄目だと思った。

 何故なら、早霧が可愛いから。

 俺は今、完全に早霧のペースに巻き込まれている。

 良い雰囲気、ムードとも言えるそれは、教室という公共の場所であっても正常に機能するらしかった。


「せ、せっかくなら変わったことをしないか?」


 そしてそのムードは、俺に妙なことを口走らせてしまう。

 本当なら止めるべきだと話題を変えようとしたのに、キスが頭から離れなかったんだ。


「変わったことって?」

「い、いやその……なんていうか、いつもと違うこと……みたいな……」


 早霧はキョトンとした表情になる。

 対する俺は何も考えていなかったのでしどろもどろになってしまった。


「……やる!」

「え?」


 だけど早霧はそんな小さなことを気にしてない様子で、むしろ目を輝かせていた。

 

「何する? 教室だしやっぱり黒板の前に立ってする? それとも掃除用具入れの前とか……あ、それじゃあいつもと同じだから……中に、入っちゃう?」

「待て待て待て待て待て待て!」


 暴走という名の爆走をする早霧を俺は慌てて止めに入る。

 漫画とかではよく見るけれど、狭い掃除用具入れに二人で入るなんてほぼ無理だと思った。

 ……そりゃあ、入れるなら、入りたいけど。


「で、出来れば場所に無理がなくて、あまり目立たない場所で、頼む……」

「えー?」


 自分でも言っててメチャクチャだなって思う。

 だけど、しどろもどろな俺の思考はとりあえず無難な方向に話を持っていくことしか出来なかった。


 自分で提案しておいて非常に情けない男である。


「わがままだなぁ、蓮司はぁ……」

「なんとでも言ってくれ……」


 返す言葉が無かった。

 終始早霧のペースに巻き込まれて、主導権を取っても教室という場所のせいか上手くかみ合わない。


 何の話かって言えば、キスの話なんだけどさ。


「んー、そうだなぁー、わがままな蓮司にピッタリな場所なんて……あ」

「……ん?」


 一言多いけど甘んじて受け入れる。

 そんな早霧が俺の後ろを見て何かを思いついたように固まった。

 それにつられて俺も後ろを振り向くけど、この特等席から見えたのは教室の窓だけだった。


「蓮司蓮司! 立って立って!」

「え? お、おう!?」


 思い立った早霧の行動はとても素早い。

 俺の肩を叩きながら立つことを強要してきた。

 そして立ち上がるとそのまま後ろへと引っ張られる。

 その先にあったのは掃除用具入れだった。


「ま、待て早霧! 掃除用具入れに入るのは色々とキツいぞ!?」

「えー? 違うよー?」


 そう言いながらも早霧がグイグイと引っ張ってくる。

 このまま掃除用具入れの中に無理やり入れられるかと思ったけど、その直前で早霧は引っ張るのを止めたんだ。


「がばぁーっ!!」

「うおわぁっ!?」


 そして次の瞬間、早霧は俺に飛びかかって来た。

 身体に感じるのは早霧の柔らかさと、空気がこもる蒸し暑さ。


「……これなら、良いでしょ?」


 薄く日差しが遮られた狭い空間の中で、密着した早霧が俺を見上げる。

 教室の一番後ろで作られた小さな密室。

 それは、俺と早霧を包み込む窓際から引っ張られたカーテンの中だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る