第179話 「誰もいなーい!」

「失礼しましたー!」


 早霧が職員室の扉を勢いよく閉めると、ガララッと小気味よい音がする。

 二人きりになった自分らしさ研究会部室での二ヵ所二回目のキスを終えた俺たちは、ユズルに託された部室の鍵を先生に返しに来ていたんだ。


 そう、来ていたんだけど……。


「蓮司、お待たせ!」

「……お前なぁ」

「あれぇー? 顔、赤いよぉ?」


 全部わかっている癖に、早霧はニヤニヤしながら俺の腕に抱きついてくる。

 職員室の前でこんなことをするのはどうかと思ったけど、俺はついさっきそれ以上のことをされていたんだ。


「職員室に入る前にキスしてくるのは反則だろ……」

「驚いた? 驚いた?」

「死ぬかと思った……」


 約束だった三ヵ所目のキスは、職員室扉前の廊下だった。

 完全に油断しきっていた俺はその不意打ちを食らい、鍵を返しに職員室の中に入っていった早霧を横目に廊下でうろたえ続けて。

 そして今、こうしてしてやったりの表情をしている早霧と一緒に次なる目的地へと腕を組みながら歩いていたんだ。


「大丈夫だよ。ちゃんと周りに誰もいないこと確認したから!」

「そういうことじゃないんだが……」

「毎日一緒にいてくれるんでしょ?」

「……ああ」

「んふふー!」


 俺の腕を抱きながら見上げてくる早霧が可愛くて、思わず目を逸らしてしまう。

 ヤバい、早霧が可愛い。

 いや別にヤバくはないんだけどヤバかった。

 矛盾しているようでしていない。

 外では自制しなきゃいけないとわかっているのに、早霧と一緒にいるとどんどん好きが溢れてきていたんだ。


「いつでも蓮司と一緒~!」


 そしてそれは、早霧も同じだった。

 夏休みだから誰もいない廊下で腕を組みながら、俺の肩に頭を乗せてくる。

 シャンプーの香りがふわりと乗って、俺の鼻をくすぐった。

 俺と一緒にいて嬉しそうな姿をこうしてぶつけられると、本当に好きになる要素しかない。


 まるで二人だけの世界になったみたいな廊下を歩いていく。

 でもそれは気分だけで、外からは運動部の元気なかけ声が聞こえてきていた。


「外暑いのに、皆すごいよねぇ」

「そうだな。俺たちインドアだから、ラジオ体操ぐらいしかしないし」

「もし運動部なら何部に入る?」

「水泳部、かな」

「……えっち」

「違うぞ!?」


 涼しそうだからっていう理由で選んだのにとんだ変態呼ばわりをされてしまった。

 だけど早霧は俺の腕を離さないので、冗談半分で言ってるようである。


「他の女の子の水着に見惚れちゃ駄目だよ?」

「……それ、早霧のなら良いのか?」

「早霧ちゃんは黙秘権を行使します」

「あ、ズルいぞ早霧だけ!」

「ふふーんだ!」


 そんな他愛もないことを二人で話しながら、慣れた様子で歩き続ける。

 目を閉じながらでも歩けると言うと過言かもしれないけど、学生なら毎日のように歩く廊下なので感覚だけで何とかなりそうだった。


「わー! 誰もいなーい!」


 そんな慣れ親しんだろうかの途中で開いた扉の先を見て、早霧が俺の腕を離れて駆けていく。

 窓から差し込む午後の日差しを浴びた早霧が振り返ると、白く長い綺麗な髪が光を反射して輝いて見えた。


「ほら蓮司! 座って座って!」

「わかったわかった」


 俺たちが通う、二人きりの教室。

 慣れ親しんだ教室のいつもとは違う静かな空気の中で、俺は窓際一番後方にある自分の席に座ったんだ。


 もちろん、早霧とキスをする為に。

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