第177話 「楽しんできてね!」
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎていくものだ。
それもただ楽しいだけじゃなくて、長谷川とユズルの仲睦まじくも初々しい様子を眺めながら隣から早霧によるちょっかいをかけられまくると言ったドキドキが加われば楽しい時間なんて秒で終わってしまう。
ちょうど昼をまたいだことを知らせるチャイムが学園中に鳴り響いた。
夏休みでも時間になれば規則的に鳴る聞き馴染んだ音が自分らしさ研究会の部室にも聞こえてくる。
それを耳にするのと、前にいた二人が立ち上がるのはほとんど同時だった。
「じゃあ、さぎりんとレンジっ! 明日はよろしくねっ!」
「寝坊して遅れるんじゃねぇぞ!」
ユズルが俺たちに笑顔を向けて、その横で長谷川が俺に向かってニヤニヤとした笑顔を向ける。
余計なお世話だと思いながらもこの話に反論して蒸し返すと、また朝起きれなくて早霧に起こしてもらうんだとか、やっぱり仲良しさんだよねっとかを二人に言われかねないので黙っておいた。
「ゆずるんと長谷川くんも、楽しんできてね!」
「あまり遊びすぎるんじゃないぞ?」
「う、うん……っ!」
「お、おう……っ!」
なのでここは大人らしくニコニコの早霧に便乗してカウンターをお見舞いすると、初々しい二人は揃って顔を真っ赤にさせた。
「で、でも本当に良いのっ? 鍵ぐらい、さぎりんに任せなくても……」
「良いの良いの! ゆずるんは打合せとかいっぱいやってくれたんだからこれぐらい私と蓮司に任せて、長谷川くんとデート行ってきて!」
「あ、あり、ありがと……」
「や、八雲ちゃん……この恩は一生忘れないからな!!」
俯きながら恥ずかしがるユズルとは対照的に今にも泣きそうなぐらい喜んでいる長谷川。
事の発端は部活中にふと挟んだ雑談で、休みの間に何をしていたかという話題から始まったんだ。
ユズルは家族一緒に過ごして買い物とか日帰りの旅行等、充実した休みを。
長谷川はバイト三昧で自分の存在意義を見つめ直すきっかけになった休みを。
そして俺と早霧は言わずもがな、ずっと一緒にいてショッピングモールに行ったとか当たり障りのない範囲で過ごした休みのエピソードを話したんだ。
「大げさすぎるだろ。良いからほら、行った行った。その気持ちは早霧じゃなくて、隣にいるユズルに向けてやれ」
「れ、レンジまでっ! も、もう……っ!」
「馬鹿野郎! 俺の想いはいつも全力ゆずるちゃんにド真ん中ストレートだっ!!」
そこからは俺たちを羨む二人に、じゃあ今からデートに行けば解決だねと早霧による神の一手な一言が加わって、あれやこれやと部活が終了する流れになった。
元々今日は明日の打ち合わせがメインだったのでその目的は果たせたし、前にいる二人はそれ以上の進展が起きている。
俺も早霧と同じで、二人きりにしてやりたいという気持ちが大きかった。
「ご、ゴウまでぇ……!」
「えっ!? だ、駄目だった!?」
「だ、駄目じゃないけどぉ……は、恥ずかしいからもう少し小さな声でぇ……」
「わ、わかった!!」
返事がうるさい。
身長差がかなりあって凸凹だけど、とてもお似合いの二人である。
そんな二人のやり取りを、微笑ましいものを見る目で俺と早霧が見ていることに気づいたユズルが一度、咳ばらいをした。
「じゃ、じゃあまた明日ねっ! ほ、ほらゴウ……行こっか……」
「い、行ってきます……!」
そんなユズルは、長谷川が着ているワイシャツの裾を指でつまみながら部室のドアノブを掴む。
そんなユズルに引っ張られた大男長谷川は、まるでこれから戦地に赴く兵士のような規則正しい敬礼をしながら二人で仲良く部室を出て行った。
「…………」
「…………」
そして、残された俺と早霧。
いや、残った俺と早霧って言った方が正しいのかもしれない。
「……ゆずるんと長谷川くん、幸せそうだったね」
「……だな」
狭い部室だと言うのに早霧がくっついてくる。
隣同士だった椅子はくっついて、肩と肩も触れ合っていた。
「……あれだけストレートに好きって言ってくれたら、嬉しいよね」
「……そうだけど、俺たちも別に隠れてやる必要無くないか? 特に、あの二人の前なら」
そのまま流れるようにまた手を握ってくる。
部活中に何度も隠れて握っていた手も、今は机の上でむき出しになっていた。
「……それは、まあ……癖になってると、言いますか……」
歯切れの悪い返答のまま、顔を俺に向けてくる。
窓の外から差し込む日の光に照らされた顔は、これでもかと赤みを帯びていた。
「……蓮司のこの顔、他の人に見せたくないんだもん」
「……早霧」
そしてそれは俺も同じで。
頬に触れた早霧の手も今の今まで握り合っていて熱いはずなのに、熱を帯びた俺の顔にはとてもヒンヤリと感じたんだ。
「――んぅ」
「――んっ」
そしてそのまま、早霧は俺に唇を重ねてくる。
約束だった二回目、いや二ヵ所目のキスは、二人きりになった部室の中で静かに始まるのだった。
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