第172話 「……つけて?」
ゆずるん【もう大丈夫だよ】
ユズルからのメッセージを受け取った俺と早霧は、校舎一番上にある屋上の扉前から階段を下り始めていた。
今がちょうど三階と二階の間の踊り場を曲がったところで、早霧が少し遅れて降りてきている。
学校という施設はどうして横にも広ければ縦にも長いのだろうか。
夏休みの一週間ですっかり家モードになった感覚だと降りるのも一苦労だった。
「蓮司ー、待ってよー」
「めちゃくちゃゆっくり歩いてるけど」
「もう四分の一倍速……」
「半分ですらないのか」
というのも、ついさっきの出来事があったからである。
久しぶりに学校でした俺と早霧のキスがエスカレートして、お互いに口移しで水分補給をした。
その際に俺が口いっぱいに水を含みすぎてそれを早霧がむせて吐き出し、制服が濡れてしまったんだ。
そうは言っても濡れたのは少しだけで夏の暑さとハンカチで軽く拭けば気にならないレベルんだけど、早霧的にはすごく気になるらしい。
踊り場の天窓から差し込む日差しがある度に早霧はそこで立ち止まり、ほとんど乾いているワイシャツの胸元のパタパタと動かして乾かしていた。
早霧は濡れ透けや下着姿を見られるのは恥ずかしいのに、こういうことは平気でやるんだ。
無防備なのか危機感が無いのか、どちらにせよ俺にとっては目に毒というか近くで見たら間違いなく良からぬことを考えてしまい部活どころじゃなくなるだろう。
だから俺は早霧よりも少し先に階段を下りていたんだ。
「女の子には準備が必要なのー!」
そう言いながら早霧はワイシャツの胸元をパタパタと動かしている。
見ちゃいけないという気持ちと見たいという気持ちが俺の心の中で争いを起こしていた。
「……もう乾いてるだろ」
「デリカシー!」
俺の発言に早霧が怒った。
その怒りを原動力にして一段飛ばしで階段を下りてくる。それによってミニスカートがふわりと浮いたけど、その内側が見えることはなかったので俺の心臓はなんとか致命傷で耐えたんだ。
「蓮司は私の下着が他の人に見られても良いの?」
「よ、良くないけどさ……あ、危ないから寄るな寄るな!」
ここは階段の途中。
早霧はあんなに恥ずかしがっていたのに、ゼロ距離まで迫ってくる。
ていうか密着していた。
今更だけど俺たちの間には、距離感という言葉は存在しないようだ。
「そ、それに長谷川とユズルなら大丈夫だろ……」
長谷川はユズル一筋だし、ユズルは同性だし、そもそもあの二人はほとんど両想いみたいなものだったし……。
「私が大丈夫じゃなーい!」
「わ、わかったから離れろ! 危ない! 危ないから!!」
早霧がぎゅうぎゅうとくっついてくる。
それはもう、正面からその柔らかな身体を押し付けてきていて、その大きな胸も俺の胸元に押し当てられて形を変えていた。
本当に、本当に……早霧の恥ずかしさの基準が俺にはわからない。
そして極上の柔らかさだった。
「さっきまであんなにちゅっちゅしたのに……」
「ちゅっちゅとか言わないでくれ……」
ちゅっちゅはセーフらしい。
だけど俺はとても恥ずかしかった。
「だって蓮司が……あっ」
「……ん?」
言葉の途中で早霧が何かを思いついたように呟く。
経験則だけど、こういう時はだいたいロクなことがなかった。
「んふー!」
「さ、早霧……!?」
そのロクでもないことが早くも実行されようとしている。
企むように笑った早霧は口元を緩めながら俺の胸元に手を伸ばしてきた。その白く細い手はワイシャツ越しに胸元から首元を伝ってきてくすぐったい。
そして、シュルっと衣擦れの音がした。
「えへへ、ゲットー!」
「え? は……?」
早霧の手にあった物……それは俺のネクタイだった。
学校指定で学年色の青色ネクタイが、この一瞬で早霧に剥ぎ取られたんだ。
「これを私がつければ透けてても大丈夫だと思うの」
「それは……そうか」
早霧が思ったことを後出しで全部説明してくれる。
透けてるのを隠していた方が大丈夫じゃないというか、かなりエロいと思ってしまったことを俺はよく口に出さなかったと自分で自分を褒めてやりたい。
そんなことはつゆ知らずの早霧は俺のネクタイを持ってドヤ顔を決めていた。
何度も言うけど、ここは階段の途中であることを忘れてはならない。
「ていうか、よくそんな簡単にネクタイ外せたな……」
別に難しくない、むしろすごく簡単だけど早霧がこんなに器用に外せるとは思ってなかった。そもそもネクタイ付けてるところところ見たことないし。
「へへん! ママが教えてくれたんだー! 男の人のネクタイの付け方と外し方は知っておいた方が良いって」
得意気に笑う早霧。
どうやら早霧の母さんによる英才教育のたまものらしい。
何を教えてるんだろうかあの人は。
こういうことを考えちゃ駄目だろうけど、早霧の父さんが早霧の母さんによって一瞬でひん剥かれている姿を思い浮かんでしまった。
「今度から蓮司のネクタイは私がつけてあげるね?」
「お、おう……」
ヤバい、グッと来た。
いつもよりマトモなことを言ってるのに、めちゃくちゃ胸に響いた。
なんていうか、こう、すごく、良い。
ていうか毎日ネクタイをつけてくれるって、それもう恋人とか親友とかよりも先に行ってないか……?
――まあ俺はしてほしいけど。
「あれ……あれ?」
そんな感動を覚えている中で、早霧が俺から奪ったネクタイを自分につけようとしていた。
だけど手間取っている。すごい手間取っている。
結ぶのはできているんだけど、ネクタイの前と後ろの大きさがかなり歪なものになっていた。
どうやら、人のをつけるのと自分のをつけるのとでは感覚が違うらしい。
「……つけて?」
「……お前なぁ」
しまいには首を傾げてあざとさアピールをしながら俺にお願いをしてきた。
そもそも俺のネクタイを奪ったものだし、かなり図々しい。
でも正直、可愛かった。
「ほら、動くなよ」
「はーい!」
そして素直にお願いを聞いてしまう俺も、大概だと思う。
まあ早霧のお願いなら何でも聞くけどさ。
やっぱり、大きいな……。
「……蓮司、見過ぎ」
「ね、ネクタイに集中してるだけだぞ!?」
「……ふーん?」
「……ごめん」
「……えっち」
これ悪いの俺かなぁ!?
そう叫ばないとやってられなかった。
だって目の前に早霧の大きな胸があって、その上でネクタイを結ばなきゃいけないんだからそりゃ見ちゃうだろ。
ワイシャツはちゃんと乾いているから透けては無いけどさ、そもそもがとても大きいんだからどうしても視界に入るんだ。
ていうかその大きな胸に手が当たらないようにネクタイを結ぶってかなり至難の業だぞこれ……。
「…………」
「…………」
意識してしまった俺は集中する。
俺たちの間に変な緊張と、沈黙が流れた。
「…………」
「……昨日服買いに行った時に測ってもらったらさ、また大きくなってたんだよね」
――また?
またって何だ?
そんなすぐに成長するものなのか?
ていうかそれを今俺に言ってどういう反応を期待してるんだ?
そもそもそれは恥ずかしくないのか?
「……手、止まってるよ?」
「……わ、わかってるよ」
これも早霧の母さんの入れ知恵だろうか。
顔を上げると、早霧は顔を赤くしながら微笑んでいた。
恥ずかしいなら言わなきゃ良いのにという気持ちと、その恥ずかしそうな顔だからこそ良いんだという新しい二大勢力が俺の心の中で戦い始めたけど、恥ずかしそうな顔だから良いんだ側が圧勝で終わった。
そんな恥ずかしがる早霧にからかわれて生まれた邪な気持ちに包まれながら俺はなんとか早霧にネクタイをつけることに成功する。
こんなことをやってるせいで時間が過ぎ、ユズルだけじゃなくて長谷川からも通知が来ていたのだった。
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