第157話 「で、何をするの……?」

「兄さんと姉さん、ありがとなー!」

「今日もありがとうございましたー!」

「ま、また明日……!」


 早霧の質問から始まった小さな言い争いは仲直りという一つの結末で幕を閉じた。

 長い目で見ればもっと深い問題があるのかもしれないが、それは今を生きる彼らにはまだ早いし難しい問題なのでまずは今以上に仲を深めていってほしいと思う。


 仲直りをしたおかげかラジオ体操も問題なく終わり、早霧から今日のスタンプを押してもらった三人は笑顔で公園を出て行った。


「蓮司お疲れー」

「ん? ああ、ありがとう」


 スタンプを押し終えた早霧がベンチに置いていた水筒を俺に手渡してくる。

 この暑さでも冷たさを保った水はラジオ体操でひと汗かいた後だと格段に美味しく感じた。


「…………」

「……どうした?」


 水筒の水を飲んでいる間、早霧がジッと俺を隣から見ていたんだ。

 何か仕込んだかと思ったけど、味はいたって普通の水だから違うと信じたい。


「……しないの?」

「んなっ!?」


 囁かれるように呟かれた言葉。

 それに俺は思わず声を出して驚いてしまった。

 何故ならそれは昨日、俺が早霧を押し倒した時に言われた言葉と同じだったから。

 朝の公園でそんな刺激なことを言うのは流石に――。


「……その、お説教」

「…………あ、ああ」


 ――ヤバい、と思ったらとても健全な内容だった。

 いや自分からお説教しないのって聞いてくるのも、だいぶアレだと思うけど。


「そ、それは厚樹少年たちも来るから後にしようと思ってたけど……」

「あ、そうなんだ……」


 早霧は一回頷いてから。


「で、何をするの……?」


 期待するような目で、俺を見てきた。

 ひょっとして早霧は、お説教を何か別のものと勘違いしてないだろうか?

 それを含めて本気でお説教してやりたいところだけど、ふむ……。


「……何だと思う?」


 ちょっと、悪戯してみるか。


「えっ!? え、えっと……」


 俺の思惑通りになったようで早霧は目に見えてうろたえている。

 それを見て俺は絶対に変なことを考えていると疑惑は確信に変わった。


「早霧」

「あっ……」


 早霧の名前を呼んで、肩に手を乗せる。

 ビクッと小さく震えたけど、拒む様子はない。


「目、閉じてくれ」

「あ、う、うん……」


 俺の言うがままに、早霧はそっと目を閉じる。

 その綺麗な顔つきに一瞬だけドキッとしたけれど、すぐに冷静さを取り戻して。


「いくぞ……?」

「んっ……」


 早霧の顎に手を添える。

 そのまま少し顔を上げると、薄桃色の唇は期待するように結ばれた。

 途端に湧き上がる邪な心を押し殺し、俺はもう片方の手を伸ばして――。


「んむぐぅ!?」


 ――早霧の鼻を、指でつまんだ。

 顎に軽く添えた手で口も開かせないようにするおまけ付きで。


「んぷふぁあっ!? な、何するの!?」


 しかしその拘束は簡単に破られて、自由になった早霧が抗議の視線を俺に向ける。


「鼻をつまんだ」

「そうだけど! そうじゃなくて!」

「早霧が喜ぶことしたら、お説教にならないだろ?」

「そうだけど! そういう流れじゃなかったじゃん!」

「そういう流れだったよ」

「蓮司からしたら! そうだけど!!」


 よっぽど悔しいのか期待していたのか、そうだけどしか言わなくなってしまった。


「もし仮にそうなってたとして、さっきの太一少年みたいに厚樹少年たちが来てたかもしれないだろ?」

「その時はその時だよ!」


 欲望に忠実だ。

 早霧は今を生きすぎている。

 それはまあ俺もだけど、早霧ほどではないと信じたい。


「……キス、そんなにしたいのか?」

「したい!」

「……お、おう」


 まさか直球で返ってくるとは思っていなかった。

 見事にカウンターを食らった気分で、聞いた俺が恥ずかしくなる。


「なら、仕方ないか……」

「じゃ、じゃあ……」

「後でな」

「ケチー!!」


 ケチで結構。

 元を正せば早霧が少年少女たちの関係を混乱させたのが問題だからな?


 でもきっと、好きという感情をとても大切にしている早霧的には良かれと思ってやったことだと思うのでそこが難しいところだ。


「早霧」

「……なに」


 なので。


「……後でゆっくり、な?」

「ひゃうんっ!?」


 納得してもらうために耳元で同じ言葉を囁くのが落としどころじゃないだろうか。

 一時的な怒り拗ねモードになりかけていたので防御力がゼロだった早霧は甲高い声をあげて飛び跳ね、俺が囁いた方の耳をおさえて顔を赤くしている。


 その反応を見て、俺は少しだけ自分がやった事がキザすぎたんじゃないかと恥ずかしくなった。


「そ、それって……お説教?」


 そんな俺にまた期待の眼差しが向けられる。

 お説教する気でいたんだけど、俺の恥ずかしさも相まってこの雰囲気には流されてしまいそうだった。


「……どっちもだよ」


 だからとりあえず、これでどちらとも取れるようにしておく。

 やっぱり俺も早霧と同じぐらい今に生きているのかもしれない。


「れ、蓮司お兄さーん! 早霧お姉さーん!」


 そんな甘酸っぱい空気が流れ始めた時、公園の入り口から俺たちを呼ぶ声がした。

 それはさっきのキス未遂事件の時と比べたら最高に良いタイミングで、その声の主である厚樹少年には心の底からよくやったと賛辞の言葉を送りたいと思う。


「お、遅くなりましたー……!」

「な……」

「わあ……!」


 そんな彼を、いや彼らを見て俺は固まる。

 それとは真逆で早霧は感嘆の声をあげた。


「おはよー!」


 そう言ったのは、金髪ブロンドイギリス少女のアイシャだ。

 そんな早霧にも引けを取らない美少女が、厚樹少年の胸に抱かれていて。


「お、お待たせ……ぜぇ……して……ぜぇ……ごめん……はぁ……なさい……」


 息も絶え絶えな厚樹少年は、昨日のおんぶを強化して、大好きなアイシャを抱っこしながら公園に入ってきたんだ。

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