第143話 『早霧ちゃんのこと、好き?』

 大事な話がある。

 そう言った母さんの顔は真剣そのものだった。

 リビングを包む空気が重い。

 その空気に充てられて、どうしても想像が嫌な方向へと向かっていく。


「……お母さんたち、旅行に行ったでしょ?」

「あ、あぁ……旅行、楽しかった?」

「……ええ、とっても」


 まるで言葉の一つ一つを選んでいるように、母さんは間を開けて話している。

 今の俺には、この間が異様なほど怖かった。


「……蓮司は?」

「え?」

「……蓮司は、早霧ちゃんと過ごしてて楽しかった?」

「た、楽しかったよ……」


 何でだ?

 大事な話があるって言ったのに、どうして今、早霧の話が出てくるんだ。

 そりゃあ最初こそ喧嘩から始まったが、早霧との日々はとても楽しかった。

 この時間が無ければ、俺はまだ大切な思い出を忘れたままだっただろう。


「……そう」


 そう、ってなに?。

 そこで納得して、意味深に頷かないでほしかった。

 何だ、本当に母さんは何を言おうとしているんだ。

 考えれば考えるほど、答えを合わせるのが怖くなる。

 聞きたいのに聞きたくない、楽になれるのに逃げだしたい。


 こんな気持ちは初めてだった。


「……ねえ、蓮司」


 俺の名を呼んで、もう一度母さんは俺を見つめる。

 それは様々な感情が混ざった、複雑な瞳をしていて。

 そんな母さんの顔を見るのは、生まれて初めてだった。


「早霧ちゃんのこと、好き?」


 そして。

 口を開いた母さんが聞いてきたのは、もう一つの問いだった。

 楽しんでいる訳でもなく、茶化している訳でもない。

 その表情は真剣そのもので、悲しみの中に慈愛があるように見えた。


 母さんは俺に何かを言おうとしている。

 それも、早霧に関係があることを。

 じゃなきゃこんな辛そうな顔で、俺にこんな話をしないだろう。


「……ああ、好きだよ。俺は早霧が、大好きだ」


 だから。

 俺も真剣に答えを返す。

 頭を過ぎるのは、記憶に新しい少年少女二人の話である。

 俺の頭には厚樹少年とアイシャの、別れの話がどうしても浮かんでしまったんだ。


「…………そう」


 さっきより長い沈黙の後に、母さんはまた頷く。

 でもそれは頷くというより、俯くに近い気がした。


 俺が早霧を好きで、どうして母さんはそんな顔をするんだろう。

 早霧と一緒にベッドにいるところも見られたし、昔から早霧に付きっ切りだった俺が早霧を好きなことを少なからず知っている筈なのに何故聞いたんだ?


 怖い、本当に怖い。

 母さんの口から、早霧と離れ離れになってしまうような言葉が出るんじゃないかって、どうしても思ってしまう。


「……蓮司にね、見てほしいものがあるの」


 まだ、答えは出ない。

 まるで断頭台への階段を上らされている気分だった。


 ひょっとしなくても、母さんも辛いんだと思う。

 隣にいる父さんもずっと神妙な顔をして何も喋らないし、自分の口から出した言葉で俺を傷つけるのが怖いんだ。

 二人の子供だから、その気持ちは痛いほどよく分かる。


 だから、辛いけど、苦しいけど……俺も覚悟を決めなければならない。

 例え、見せられたそれが、俺と早霧のこれからを変えるものだとしても。


「……うん、見るよ。なに?」


 短く、冷静を装って、言葉を返す。

 すると母さんはテーブルの下に手を伸ばして、何かを手に取った。


 そうして、ゆっくりと。

 テーブルの上に乗せられたもの、それは――。


「……これ、なんだけど」



 ――スクール水着だった。



「…………はぁ?」


 正確には。

 早霧が、着ていた、スクール水着である。

 俺の頭の中は、混乱でパニック一色になった。



「これね、今日の洗濯物に混ざってたのよ……」

「……え? ……あ、あぁっ!?」


 非常に言い難そうに、俺の顔色をうかがいながら母さんが言う。

 その言葉に、後頭部を殴られたような衝撃があった。


 これは、俺が早霧と風呂に入った日に、風呂でのぼせた早霧から脱がそうとしていた、学校指定のスクール水着である。

 あの日、あの後……早霧はのぼせてふらふらのまま、自分の水着を我が家の洗濯籠に入れてしまったんだ。


「蓮司、アンタ……いくら好きだからって、好きな子の水着を盗むだなんてそんな」

「ち、違う違う違う! 違うからっ!!」


 だけど俺の思考と母さんの思考はまるで別だった。

 何か変な勘違いをしている母さんを、俺は大声を出して止める。


「じゃあ何で、早霧ちゃんの水着がうちの洗濯籠の中に入ってたの?」

「そ、それは……」

「アンタ昨晩ご飯食べてる時に、早霧ちゃんとは買い物に出かけたぐらいで後はずっと家にいたって言ってたわよね……? どうして水着があるの?」


 しかしそこにぶつけられるのは特大のカウンターだ。

 昨日の夜の浮かれまくっていた俺によって、逃げ場は完全に失われてしまう。


「……早霧と」

「早霧ちゃんと?」

「……一緒に、ふ、風呂に入った時のやつ……です」


 死にたい。

 誰か俺を殺してくれ。

 どうして両親の前で、好きな女の子と一緒に風呂に入ったことを暴露しなきゃならないんだ。


 さっきまでと違う意味で地獄だぞこの空気。

 誰だよ別れの話とか言った奴……俺か。


「早霧ちゃんと、一緒に……お風呂に?」


 繰り返さないでくれ、母さん。


「はい……」

「水着で?」

「その通りです……」

「……はぁ」


 問い詰めて、ため息はやめてよ、母さん。


「……そういうのは、親にバレないようにやりなさい」

「……ごめんなさい」


 俺は何に謝っているんだろう。

 そして母さんに何を怒られているんだろう。


 そりゃ自分たちが旅行から帰ってきたら息子が溜めていた洗濯物に女の子のスクール水着が入っていたらそういう空気にもなるだろうけどさ、タイミングが色々最悪なんだよ、母さん……。


「アンタもしかして……外でも早霧ちゃんと恥ずかしいこととかしてないわよね?」

「しっ!? して、ない……よ……」


 違う意味で胸がキュッとなった。

 ヨガやってると、エスパーにでもなれるんだろうか。


「まあ、安心したわ。もしアンタが早霧ちゃんの水着を盗んでたらお母さんは……」


 ホッとした顔だけど。

 怖いところで言葉を止めないでよ、母さん。


「蓮司」

「は、はいっ!」

「今すぐ返してきなさい」

「え? でも早霧はこの後、出かけるって……」

「か え し て き な さ い」

「はい……」


 母さんが怖すぎる。

 この家で一番逆らっちゃいけないのは、間違いなく母さんだ。


「はぁ……ていうかお父さん! 腰が痛いのはわかるけど、息子なんだからアナタからも何か言ってよ!」


 母さんはずっと隣に座っていた父さんに声をかけた。


「……蓮司」


 父さんは難しい顔のまま、俺の顔を見て。


「……父さんは、水泳部のマドンナだった母さんに惚れたんだ。親子だな、俺たち」


 ものすごい笑顔で、あまり聞きたく無かった両親の馴れ初めを話し出した。

 母さんは、キレた。



―――――――――――――――――



※作者コメント

 温度差!!

 スク水お風呂回(第100話)からずっとやりたかった伏線回収のお話。

 まさかこんな(最悪な意味で)ドンピシャなタイミングになるだなんて……!


 はい。

 話数にちなんでの話になるのですが、どうやらこの作品が全話で150話を超えていたみたいです。(事後報告)

 何度か投稿が止まる中、ここまで続けられたのは読者の皆さまのおかげです!


 本当に本当にありがとうございます!

 そしてこれからもよろしくお願いいたします!!


 次回の投稿も作者コメントでお知らせがありますので、よければ一緒にお読みいただけますと幸いです。


 ゆめいげつ。

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