第141話 「お待たせーっ!」
流れるそよ風が、木々を揺らしている。
真夏の風は冷たくはないけれど、火照って汗ばんだ身体には日陰の下で浴びるその風は最高の癒しだった。
「蓮司お兄さん、大丈夫ですか?」
「ん、あぁ……。大丈夫、大丈夫だ……」
隣に座っているのは早霧、ではなくて厚樹少年である。
さっきまで俺と同じ全身密着ラジオ体操をしていたというのに、涼しい顔をしているのは若さなのか純粋だからなのか。
もしかしたら、俺が汚れすぎているだけかもしれない。
「すみません、遅れてきたのに僕たちまでジュースをごちそうになっちゃって」
「……気にするな。お互いに汗をかく状況だったしな、水分補給は大事だ。むしろこっちこそ早霧に付き合ってもらって助かる」
今この公園にいるのは俺と厚樹少年の二人だ。
早霧とアイシャは何処に行ったかというと、話せば長くなるのだが――。
◆
ラジオ体操が終わってすぐのことである。
「あぁー! あ、あっついよね……! じ、ジュースでも買ってこよっかなー!? アイシャちゃんおいで、一緒に行こ!」
「ジュース!? うんっ!」
顔を真っ赤にした早霧が大げさなジェスチャーをしながらアイシャの手を取り、ジュースを買いに公園を飛び出した。
◆
――回想終わり。
何も長くなかった。
あのまま早霧と一緒にいたら気まずいどころの騒ぎじゃなかっただろう。
早霧の起点に感謝である。
そもそもあの見た目的にヤバすぎるラジオ体操を提案した元凶も早霧だけど。
「あの、蓮司お兄さん……ありがとうございます」
「……え? そんなにあのラジオ体操が良かったか?」
「あ、いえそっちじゃなくて……アイシャのことです」
ビックリした。
ラジオ体操のことを考えている時にお礼を言うもんだから、てっきりあのラジオ体操が最高だったのかと思った。
いや、悪くはない。悪くは無いんだが時と場所が悪すぎる。
出来ることなら誰にも見られない所で早霧と二人っきりでやりた……いやいや今はそれよりも厚樹少年の話を聞かなければ。
「昨日からずっと良くしてもらって、あんなに他の人に懐いたアイシャは初めて見ました」
「……そのことか。それなら早霧に礼を言ってくれ。正直俺は何もしてないし、俺としても早霧と仲良くしてくれるのはありがたい。多分だが、あの二人は性格が似てるんだろうな」
「そうですね。性格が似てれば、アイシャも……。これなら、安心できそうです」
ん?
ホッと胸をなでおろした厚樹少年だが、俺の頭には疑問が残った。
俺も昔は彼のようにずっと早霧に付きっ切りだったが、それとは少し毛色が違う気がする。
前者だけなら、引っ込み思案で友達が作れないとかの悩み解決で済むだろう。
しかし後者の言い方は、かなり引っかかるものを感じた。
安心できます、じゃなくて安心できそう、と言うのは違和感があると言うか……。
「……何か、心配事があるのか?」
俺の杞憂ならそれでいい。
だけど違うのなら力になってやりたいと思った。
早霧とアイシャの性格が似ているように、俺も厚樹少年に親近感を覚えているし他人事のようには思えなかったからだ。
「……ありがとうございます」
そう言って、厚樹少年は笑う。
それはイケメン特有の爽やかな笑みではなく、どこか無理をしている笑顔だった。
「アイシャは……来月になったら、イギリスに行っちゃうんです」
「……なに?」
そうして彼の口から出てきた言葉は、予想外のものだった。
アイシャがイギリスに行く。
イギリス人とのハーフだと聞いていたし里帰りかと一瞬考えたが、厚樹少年の表情を見るにそうではないようだ。
「アイシャは元々、あっちの……イギリスの中学校に行く予定だったんです」
「予定だった? いや、中学校に進学ならまだ先じゃないか? 向こうの入学式がいつかは分からないが、少なくても厚樹少年たちはまだ五年生の夏休み中だろう? こう言っては申し訳ないが、まだ一年以上も先じゃないか。それが来月とは、何か理由があるのか?」
「はい……。アイシャのおばあちゃんが、重い病気になっちゃったみたいで……一緒に暮らそうって話が出たらしいんですけど、アイシャのおばあちゃんはイギリスに住んでいるので、それで……」
喋れば喋るほど、厚樹少年の声は小さくなっていく。
無理もない、自分ではどうしようもない家庭の事情に納得いってないのだろう。
この二日間だけでも彼らがどれだけ仲が良いかを見てきた。
元々あった一時の別れをこれから覚悟していく前に、急に離れ離れになることが決定してしまったというのは、気持ちのやり場がどこにも無いじゃないか。
これは俺の想像だが、アイシャの祖母は重病なのだろう。だから最期は家族揃ってイギリスで暮らすことを望んだ。誰も悪くはない、悪いのは病気だ。
元々アイシャはイギリスの中学校に通う予定だったと厚樹少年が言っていたから、祖母の病気に合わせて予定を早めたのだ。
そしてその別れの期日が、来月――つまり、早ければ来週である。
「……だから、早霧お姉さんと仲良くしてるアイシャを見て安心できそうなんです。アイシャはハーフで可愛いから、よく他の子からちょっかいを受けてました。そのせいですごい、人見知りになっちゃって……」
「……だから、自分がいなくても大丈夫そうだと思ったか?」
「……はい」
強い。
厚樹少年はとても強い。
自分の感情よりもアイシャの心配を第一に考えていた。
子供ながらに立派な彼を俺は素直に尊敬する。いやこれに年齢は関係ないだろう。
……だからこそ、俺も言わなければならないことがあるんだ。
「アイシャが、早霧と似ているという話をさっきしただろう?」
「え? はい……」
「早霧は強い。俺が思ってるよりずっと……強かった。それこそ、俺なんて眼中に無いレベルでな。だから、俺はアイシャのことを厚樹少年ほど知らないが、早霧と似ているのなら大丈夫だと信じている。何故なら俺は、早霧のことを世界で一番よく知っているからな」
「そう、なんですね……いや、そう……ですよね」
「だから、俺はむしろ厚樹少年……君の方が心配だぞ」
「……えっ?」
「早霧とアイシャが似ているように、君と俺も似てるなって勝手に思ってるからなハッハッハッ! 言っておくが俺は弱い、すごく弱いぞ? 自慢じゃないが風邪を引いたぐらいで大切な約束を忘れてしまうぐらいには弱いなハッハッハッハッハッ……」
「れ、蓮司お兄さんがですか!?」
厚樹少年は、驚く。
俺は、自分で言ってて辛くなってきた。だけど今一番辛いのは厚樹少年である。
俺は年上として、経験者として、彼の力になりたいんだ。
「厚樹少年。君とアイシャは許嫁で、昔からずっと一緒にいたんだろう?」
「はい……アイシャとは、ずっと一緒です」
「彼女のことを、世界で一番詳しいと自信があるよな?」
「も、もちろんです! 僕は……僕よりアイシャのことを知ってる人はいないと思います!」
「……なら、話は簡単だ。厚樹少年。今、君が思って、感じてることを、素直にアイシャに話すんだ。それだけで良い」
「え!? そ、それだけですか!?」
「ああ、何せ俺もつい最近俺も通った道だからな……」
その道は一見、楽に見えてもすごく遠回りな道だった。
通った後だからこそ良かったと思うけど、それは時間があったからこその話だ。
だけど、厚樹少年とアイシャにはもう時間が無い。
仮に高校生になって再会出来たとしても、それまでの数年間は後悔とモヤモヤを抱えて過ごすことになってしまう。
そんなの、辛すぎるじゃないか。
「……良いん、ですかね」
しばらくして。
厚樹少年がボソッと呟いた。
その気持ちは、今の俺なら痛いほどよくわかる。
「自分がわがままを言って、アイシャが困ってしまうんじゃないか、もっと悲しんじゃうんじゃないかって思ってるな?」
「わ、わかるんですか!?」
「言ったろ? 君と俺は似てるってな」
相手のことが好きすぎて絶対に傷つけたくないってところとか、そっくりだ。
「幼馴染でも、許嫁でも、親友でも、言わなきゃ伝わらないことってあるんだ。確かに言うのは辛いけど、その気持ちをずっと隠してる方が、もっと辛いんだよ」
「気持ちを、隠すと、辛い……」
「あぁ。アイシャのこと、好きなんだろ?」
「は、はい! 僕は、アイシャのことが大好きです!」
曇っていた顔が一変して、厚樹少年は自信満々に答えた。
その気持ちがあれば、絶対に大丈夫だ。
「なら君も、大好きなアイシャのことを信じて、思ってること全部ぶちまけるんだ。これは自慢だけどな、全部ぶちまけた後はすごくスッキリするぞ? 俺なんて早霧の前で死ぬほど泣きまくったからな!」
本当に良かったと思っている。
昨日の今日だが、良いことしかないのだから。
昨日のことが無ければ、俺は厚樹少年に何も言えなかっただろう。
「そしてもう一つ、不安な君に効く最高のアドバイスがある」
「最高の……アドバイスですか?」
「ああ。君が不安なように、彼女も絶対に不安なはずだ。だから、厚樹少年。君が勇気を出して、アイシャの不安を取り除いてやるんだよ」
「僕が、アイシャの不安を……」
自分より好きな人のことを優先しているのなら。
こっちの方が絶対に効果があるだろう、何故なら俺がそうだったから。
「……ありがとうございます、蓮司お兄さん。僕、まだちょっと怖いですけど」
厚樹少年は一度、深く俯いて。
「大好きなアイシャの為に、勇気を出して頑張ってみようと思います!!」
勢いよく上げた顔は、決意を固めた男の顔だった。
「おう、その意気だ。八月までまだ一週間もある。俺も早霧も協力するからな!」
「はい! ありがとうございます!」
さっきまでの不安な表情はどこへやら。
厚樹少年はイケメンらしく、ニコやかに笑う。
夏の風が彼の前髪を揺らし、その顔はこれでもかと爽やかだった。
「蓮司ー!」
「アツキー!」
そして話が終わったのとちょうど同じタイミングで、公園の入り口から俺たちを呼ぶ声がする。
視線を向けて見れば両手にジュースを抱えた美少女二人が、笑顔でこちらに駆け寄ってきていた。
「お待たせーっ!」
「オマタセーッ!」
早霧の真似をするアイシャ。
やっぱり二人は似ている。
似ている二人は、その両腕に溢れるほどの缶ジュースを抱えていて……?
「蓮司お兄さん……多すぎませんか、アレ」
「多いな……」
「見て見てー! アイシャちゃんすごいんだよー!? 自販機で人数分買ったの、全部当てちゃったんだー!」
「アツキ! アイシャすごいー?」
その異様な光景を見て苦笑いを浮かべる俺と厚樹少年がいて。
それにすぐ答え合わせをしてニコニコ笑顔の早霧とアイシャがいる。
「すごいよアイシャ全部当てたんだね!」
「えへへー!!」
「当たったならその半分で良かっただろ早霧ー!」
「何で私だけ怒られてるのー!?」
俺たちはお互いがお互いに対照的な反応をした後に、全員で笑い合ったんだ。
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