第140話 「しーっ!」

 距離はゼロ。

 お互いに鏡合わせの状態とでも言うべきだろうか。

 暑さによって汗ばんだ腕と腕が密着し、俺の手が早霧の手に握られる。

 身長差のせいで俺の首筋に当たる早霧の吐息が妙に熱っぽいのは暑さのせいだからだと思わなければ大変なことになってしまう。

 服越しとはいえ上半身はおろか下半身までもが完全に正面からくっついているのはとんでもなくとんでもなかった。いや本当にとんでもない。


「こ、これは流石に馬鹿じゃ――むぐっ!?」

「しーっ!」


 焦る俺の言葉を、早霧は人差し指一本で止める。

 ピトッと俺の唇に触れた細い人差し指の感触は、キスじゃないとは言え早霧に触られているという行為自体が俺に邪な想像を働かせた。

 いつも以上に意識してしまうのは昨日の出来事を経たからか、それとも夢のせいか、はたまた公園のど真ん中で隣に厚樹少年とアイシャがいるという背徳感のせいだろうか……どれにせよこの状況は色々な意味でとても危なかった。


「……二人の為だよ」

「な、なんだって?」


 俺に囁くように、早霧が小声で告げる。

 この状況でそういうに喋られると何故か身体がゾクッとしたが、それよりも二人の為という言葉が気になった。

 二人、というのは俺たちではなくて厚樹少年とアイシャのことだろう。


 こんなにふざけた状態なのに真剣な声音が至近距離から囁かれるものだから、俺の頭はバグりそうだった。

 そんな状態で考えても当然答えは出ず、俺は早霧に何を考えているのか聞こうとすしたのだが――。


『腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動~!』


 ――抱き合う俺たちの背後から、あの独特なリズムと共にラジオ体操の曲が流れだした。

 慌てて視線を向けて見れば木陰の下にあるベンチに早霧のスマホが置かれていて、間違いなくそこから陽気な音楽が聞こえているのだ。


「ほら始まるよ合わせて……!」

「あ、合わせるったってなぁ……!?」


 やられた。

 早霧は発表があると言った時点でこれをタイマーか何かで仕込んでいたんだ。

 まず厚樹少年に抱きつくアイシャを見せて俺の意識を逸らし、その隙に自分も抱きつく。そこから手まで重ねられて焦りだす俺に真剣な言葉を囁くことで有無を言わさず聞こえてきたラジオ体操をする状況を作り上げたのだ。

 変なところで頭が回る、とんだ策士である。

 本人がそこまで考えているかは微妙なところだが。


『一、二、三、四、五、六、七、八……』

「な、なんだこれ……!?」

「い、良いから合わせて……んっ」


 そんなことを考えている間に、正面からの密着抱きつきラジオ体操は始まってしまった。しかしその動きはいきなり難航したのである。

 鏡合わせに手を重ねて身体も密着しているせいで、最初の指示である『腕を前から腕にあげて大きく背伸びの運動』が出来なかった。

 その結果俺たちはその場に棒立ちして、腕もとい飛べない羽を左右にパタパタと上げるペンギンのような動きをするしかなかった。


『二、二、三、四、五、六、七、八……』

「んっ、はぁっ……ふぅ……あつ……」


 繰り返しの二二三四。

 猛暑の中で重なる身体、籠る熱、ちょっと動いただけで汗が吹き出す。

 腕を広げれば必然的に身体が動かされ、胸を張れば早霧の大きな胸も当然俺に押し当てられる。服を着ているのに上下する胸は、まるで汗で滑っているかのように俺たちの息を乱れさせた。


『手足の運動~!』

「れ、蓮司……そうじゃ、んぁ……ないよ……」

「そ、そうは言っても……!」


 そこに足の動きまで加わり、状況は更に悪化する。

 ちょっとでも動けば膝がぶつかり合うこの体勢で、満足に動くには足の位置をずらすしかないのである。

 横に半歩ずれたおかげで動けるようになったのだが、それは言いかえればお互いの足の間に身体がねじ込まれるようなものなのだ。


 端的に言うのなら、上半身は密着したまま下半身が絡み合うような姿勢になってしまった。


『腕を回しま~す!』

「も、もっと、んっ、ゆっくり……」

「わ、悪い……」


 大きく腕を回そうとしてもさっきのように情けないペンギンみたいな動きしか出来ない。

 暑さのせいで早霧の動きが鈍くなってきた。

 腕を上にあげれば熱を帯びた吐息が漏れ、俺の首筋に当たる。

 お互いの身体の境界線は汗でよく分からなくなっていた。


『深呼吸で~す!』

「はぁ……はぁ……ふぅ……はぁ……」


 しばらくして、ラジオ体操が終わりを告げる。

 乱れる息は、深呼吸とは言えないぐらいに浅かった。

 汗だくになった早霧の顔が目の前にあり、視線はその早く息をする薄桃色の唇へと向かってしまった。


「さぎ、り……」

「れ、れ、、じ……」


 気づけば早霧は俺を見上げ、抱き合ったまま見つめ合っていた。

 この疲れ切った身体で気の利いた言葉なんて思いつかない。

 ただその淡い色の瞳に吸い込まれるように顔が勝手に近づいていって――。


「あの、二人とも大丈夫ですか?」

「お顔、赤いよ?」

「うおわぁっ!?」

「きゃぁっ!?」


 ――隣からかけられた声で、俺たちは我に返った。

 反射的に離れた俺たちが視線を向けると、そこには涼しい顔をして心配してくれている厚樹少年とアイシャが首を傾げている。

 

 このままいってたら絶対に止まれなかったという確信と、どうしてこの二人は同じことをしたのにこんなに平然としていられるんだ。

 その二つの思考がドキドキし続ける胸の中でグルグルと回り続けた。

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