第123話 『れんくんと、さっちゃん⑧』

『……れ、れんくん。お、お姉さんたち、ち、ちゅー……』

『……う、うん』


 大人の男女が抱き合いながらキスをしている。

 その生々しい光景は子供の俺たちには刺激が強すぎた。

 見てはイケないものだと分かっているのに目を離せなくて、茂みの裏からその行為を見ることしかできなかった。


『んっ……ぷはっ……キス、いつもより長いね。やっぱり、興奮してる?』

『見たら、分かるだろ?』

『んぅ……!』


 唇を離して、少し言葉を交わしてから、また唇を重ねる。

 さっきまでの愉快だったお姉さんの声は甘くとろけていて、さっきまで優しそうだったお兄さんが迫る姿は少し怖いぐらいだった。


『ん……んんっ! ……もぉ、いつもは奥手なのにこうなるとエッチなんだからぁ』

『そりゃあ……いつもは我慢して、んっ!?』

『えへひひ、誘ってるのに気づかない君が悪いんだよん。あ、ちょっ、んぁ……!』


 キスをして、キスをされて、キスをし返す。


『はぁ……はぁ……舌……出してくれ』

『そのままがっつけばいいのに……律儀なんだから』

『恋人だからって……無理やりは違うだろ?』

『君さぁ……本当、そういうところだよ?』

『えっ、だ、駄目なのか!?』

『ううん、大好きっ』

『んぐっ……!』


 何度も繰り返されるキスの応酬は、次第に二人の熱を高めていって。


『…………』

『…………』


 それを木の裏から見ている俺たちは、完全に釘付けになってしまっていた。

 完全に知らない人同士だったら、まだこうはならなかったかもしれない。

 例え少し話しただけの間柄でも、二人きりになるとこういうことをしているんだという真実は、異性を意識し始める年頃には劇物すぎたんだ。


『んっ、はぁ……ほら、君の大好きな私の舌だよん?』

『あぁ……すっげーエロい』

『あはは……正直すぎっしょ』

『そんなエロく舌だして挑発してるお前が悪い』

『うーわ、開き直った……で、しないの?』

『……するよ』

『ん……んちゅ……れろっ……ん、いい……すきっ……もっと……んぁうぅ……!』


 蔵の入り口にある照明に照らされて、さらけ出された二人の舌と舌が混ざり合う。

 それは長い長いキスだった。

 呼吸の合間にお姉さんが甘い声を漏らし、それをお兄さんの舌と唇が埋める。お姉さんは気持ちよさに身をよじり、それを逃すまいとお兄さんが腰に回した手を強く引き寄せて、立っているだけなのにどんどん二人が絡み合っていく。


 幸せそうだった。そして、嬉しそうだった。

 その気持ちは同じかもしれないけど当時の俺が思えたのはその二つで、今だったら別の感情が沸き上がっていたことだろう。


『……れ、れんくん』

『……さ、さっちゃん』


 それはそれ、これはこれで。

 俺がそう思ったのと同じように、早霧も何かを感じていた。

 薄暗闇の中で淡い色の瞳が俺を覗く。けれど視線が向かうのは瞳ではなくその唇だった。お祭りのために気合を入れたのか、軽い化粧とリップをしていたことに俺はようやく気がつく。きっと早霧のお母さんにやってもらったんだろう。

 夏祭りという特別な夜に、新しく発見していく早霧の魅力を、好きだと意識し始めた心が動いていく。

 さっきまで同じりんご飴とわたあめを食べていたのに、その薄桃色の唇がとても魅力的に、いや、美味しそうに見えて。


 ――ガサッ!


『ひゃっ!?』

『わぁっ!?』


 また急な物音が茂みから聞こえて、俺たちは我に返り声を上げてしまった。

 夏の夜にうなされていた熱が急に冷めていくような感覚。

 その効果があったのは、俺たち二人だけじゃなかった。


『だ、誰っ!?』

『だ、誰かいるのかっ!?』


 最悪なことに、お姉さんとお兄さんにも伝播してしまったんだ。

 マズい、ヤバい、気まずい。

 見つかったら絶対に怒られる。

 そう思った俺たちは茂みの中に隠れた。咄嗟に、早霧を引っ張って。

 俺が、押し倒されるような形で。


『…………』

『…………』


 見開かれた早霧の瞳が、上から影になって俺を見下ろす。

 けれどこの状況で何も言えない俺も、ただ見つめ返すことしか出来なくて。


『ミャァ……』

『えっ!?』

『ね、猫っ!?』


 そんな俺たちを救ってくれたのは、あの白猫だった。

 茂みから割って出てきた白猫は、トコトコとお姉さんたちの足元に歩いていく。


『ミャァォ……』

『ね、猫じゃん……え? こんなベタなことあるの?』

『あ、あぁ……だけど、良かった。誰かに、見られてなくて……』

『ならその性癖どうにかしなよん……』

『し、仕方ないだろどっちもアウトドア派なんだし! お前からこういう場所に引っ張ってくるんだし!』

『献身的な彼女の気持ちが分からないのかなぁ、君は!』


 あーだこーだ、ギャーギャー!

 さっきまですごく良い雰囲気だったのに何故か口喧嘩になってしまった。


『ミィ……』

『あ、ごめんね君をほったらかして。どしたん? ……って、この子怪我してる!』

『え? うわマジだ!』


 その喧嘩を止めたのも、やっぱり白猫だった。


『それに弱ってるじゃん! 手当しなきゃ! 君ん家に救急セットとかある!?』

『に、人間用のはあるけど……っていうかウチに来るのか!?』

『当たり前じゃん! この子を放っておけないし、どーせいずれ挨拶に行くんだから! ほら、行くよ! 猫ちゃん、君もね!』

『ミャー……』

『ぜ、絶対に親父とじーちゃんに殺されるって……あぁーもう、分かったよ! 覚悟決めるよちくしょう!』


 ――ダッダッダッ!

 俺たちが隠れているすぐ横の砂利道を足音が駆け抜けていった。

 それはどんどん遠く離れていき、騒がしかった蔵の前は途端に静寂に包まれる。


『……あっ!? ご、ごめんね……れんくん』

『……う、ううん! だ、大丈夫だよ……引っ張ったの、僕だし』


 残されたのは、茂みの中に隠れていた俺たち二人だけだ。

 お互いに立ち上がり茂みの外に出ると、少しだけ爽やかな風が流れる。

 

『…………』

『…………』


 だけど。

 緊張から解き放たれたのに。

 俺たちの間にはとんでもなく気まずい空気が流れていた。

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