第121話 『れんくんと、さっちゃん⑥』

 一度でも意識してしまうと頭から離れなくなる。

 それを当時の俺は、これでもかと自分の身をもって体感していた。

 

 早霧が可愛い。

 そんなの昔から当然と言えば当然なのだが、今までは早く元気になってほしいとか悲しむ顔は見たくないとか、心配の方が強くかった。

 それが祭りの雰囲気や空気、似合っている浴衣だったりいつもより感情表現豊かな姿という特別感のせいで何倍にも何十倍にも輝いて見えたんだ。

 

 もう一度言うが、それを意識したせいでずっと頭から離れなかったのである。


『れんくんは何をお願いしたのっー?』

『えっ!?』

『もーっ、神様にだよ!』

『あ、うん……』


 大吉効果に機嫌を良くした早霧は、神様にお詣りをしようと提案していた。

 賽銭箱の前に並んで立って五円玉を一緒に投げ込む。お祭りの雑踏の中、賽銭箱の内側で硬貨が跳ねる音が微かに聞こえたような気がした。

 そんな周りの音に負けないように、早霧が鈴から伸びた綱である綱を握りしめてガラガラと鳴らす。心地良い音の余韻を感じながら手を合わせて目を閉じる。


 本当なら二礼二拍手一礼と作法があったのだが、子供なのでそれはご愛敬。

 そうでなくても、俺はそんな一連の動作の中でもずっと頭の中でさっき見た早霧の笑顔に夢中になってしまっていた。


『えっと、その……さっちゃんの、こと……』


 嘘は言ってない。

 お願いとまではいかなくても手を合わせている時はずっと早霧のことを考えていたのだから、これはほとんどお願いと言っても良いんじゃないだろうか。


『ほんとっ? 私もね、れんくんとずっと一緒にいられますようにってお願いしたんだ! えへへー、お揃いだねっ!』

『そ、そうだね……っ!』


 子供ながらに罪悪感というものが芽生えた瞬間である。

 純真無垢な早霧があまりにも眩しすぎて、ちょっとだけ胸がチクリとした。


『じゃ、じゃあ次はどこに行こうか? それともまた何か食べる?』

『うーん、えっとねぇ……』


 少し強引だけど話題を変えることに成功する。

 雲に隠れていた太陽は完全に沈んで、夜になっていた。

 提灯の明かりがより鮮明になって、夏祭りの会場を照らしている。

 その人込みの中で俺たちは、次に向かうべき場所を探し始めていて。


『れんくん、人増えてきたね』

『うん、危ないから離しちゃ駄目だよ?』

『えへへ、うんっ!』


 夏祭りは本番を迎えようとしていた。

 時が経てば経つほどに人がどんどん増えていく。

 ここが神社の最奥で頂上ということもあってか、人が減る気配は全然無かった。


『人が多いし、一回下に行ってみる?』

『うん、れんくんと一緒なら何でも良いよ……あっ!』

『えっ?』


 増え続ける人込みの中。

 俺たちは腕を組みながら周囲を見渡していると、早霧が何かを見つけ声を上げた。

 その方向はさっきまでお詣りをしていた神社の脇手から伸びる林道。

 頭上に張り巡らされた提灯の明かりが消えてしまっているからか、その場所は一段と暗くて人は溜まっていなかった。

 そんな薄暗い闇の中、微かな照明を反射する二つの光が輝いていたんだ。


『ニャンちゃんだっ!』

『あ、本当だ。猫だね』


 そう、猫である。

 一匹の白猫が闇の中から人込みを、いや俺たちをジッと見つめていたんだ。


『れんくんれんくん! ちょっとだけ見ても良い?』

『あ、うん!』


 俺の返事とほぼ同じぐらいのタイミングで、早霧が腕を引っ張り白猫に近づく。

 ちょうど神社の真横、切れた照明の真下に小走りで向かった。

 すると白猫は俺たちから少しだけ距離を取るように離れる。それはちょうど林道の入り口に差し掛かる位置で、そこに座り込んだ白猫はまた俺たちをジッと見つめていた。


『わぁ、白くて可愛いー……!』


 猫をよく見る為に、組んでいた腕を離して早霧と一緒にしゃがみこむ。

 ぬいぐるみや可愛いものが大好きな早霧にとって猫はドストライクだった。


『うん、さっちゃんの髪の色と同じで奇麗な白だね』

『えへへ、お揃ーい!』


 サラッと恥ずかしいことを言う当時の俺。

 子供というのは恥ずかしい恥ずかしくないの境界が今と違うのかもしれない。今だったらこんな臭い言葉、そうそう言えないと思う……多分。


『ミャァ……』

『あ、鳴いた! ……あれ?』


 俺たちを見ていた白猫が小さく鳴く。

 しかしその声は弱弱しく、元気が無いようにも見えて。


『あの子、怪我してる……』

『あ、本当だ……』


 提灯の光から外れ暗闇に目が慣れてきた俺たちは、その白猫が前足を怪我していることに気づいた。

 野良猫ながらに毛並みが奇麗な中で、その右前足だけが傷ついて赤くなっている。しかし血は流れていないので、おそらくは少し前に怪我をしたんだろうか。


『ミャゥ……』


 すると白猫はもう一度だけ弱弱しく鳴いて、林道の中を歩いていった。

 薄暗い闇が続く中を、その小さな白いシルエットがどんどん離れていって。


『あっ、ニャンちゃん……っ!』


 まさかだった。

 突然早霧が立ち上がり、猫を追いかけだしてしまったんだ。

 白猫をじっくり見るためにしゃがみこんでいたので、組んでいた腕は離していたのがまずかったのかもしれない。


『さっ、さっちゃん!?』


 暗闇が続く林道へと、薄紫色の浴衣を着た早霧が走っていく。

 寝不足のせいかそれともその行動を予想できなかったからか。完全にワンテンポ遅れてしまった俺は、慌てて早霧の背中を追って暗い林道の中へと入っていった。

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