第117話 『れんくんと、さっちゃん②』

 それから思い出話の時間は進んで、夏祭りの当日になる。

 早霧が話してくれているおかげか、少しずつ……本当に少しずつだけど俺は当時の事を思い出していった。


『こんにちはー! さっちゃんいますかー?』


 早霧と一緒に夏祭りに行けるのが楽しみすぎた俺は、待ち合わせの時間よりもかなり早く早霧の家に着てインターホンを鳴らしていた。

 今思えば準備の時間がもっと必要だったと思うけど、若気の至りということで許してほしい。


『やあ蓮司くん、こんにちは。今日もありがとね』

『こんにちは、おじさん!』


 俺を出迎えてくれたのは早霧のお父さんだった。

 待ち合わせ時間より早く来てしまった俺を、微笑んで迎えてくれるおじさんは昔からずっと優しい。本当なら身体が弱かった早霧の近くにいたかった筈だけど、若くして大企業の部長に上り詰めたその手腕のせいで仕事が忙しくてどうしても休めなかったらしい。

 何故俺がそんなことを知っているかというと、本人が涙交じりに語っていたからだ。いつもは笑顔だけど、この人は酔っぱらうと泣き上戸になる。


『早霧はまだ準備してるから、一緒にリビングで待っていようか?』

『はい! お邪魔しまーす!』


 早霧の父さんの後を追って家の中へ。

 玄関で靴を脱いで、早霧の家なのに俺用のスリッパに履き替えて廊下を歩く。脇の部屋から楽し気な声が聞こえたけど、準備中だって言ってたのでそのままリビングへと向かった。


『暑かったろう? 麦茶で良いかい?』

『はい! ありがとうございます!』

『了解。蓮司くん、今日はいつにもまして元気だね? 君のおかげで、早霧も今じゃあんなに元気に……うぅ……』


 リビングに招かれ、テーブルに座って俺は早霧を待っていた。

 奥のキッチンでは早霧の父さんが早くも感極まっていたけど、当時の俺はそんなこと気にならなかったんだ。


『はい! 寝れなかったので!』

『本当に、良かったなぁ……え? 寝てないのかい?』

『さっちゃんとお祭りに行くの楽しみだったので!』


 そうなのである。

 祭りが楽しみすぎて、前日はちっとも眠れなかった。

 ほぼ徹夜明けのテンションで俺は早霧の家にやってきていたんだ。


『……まだ時間あるから、そっちのソファーで寝てても良いよ?』

『いえ! さっちゃんの浴衣が楽しみなので起きてます!』

『それは……そうだね! 僕も楽しみだよ!』


 意気投合した俺と早霧の父さんは麦茶で乾杯をする。

 水滴がついたグラスから良い音がして、それを口に運ぶ。この時の麦茶はとても美味しかった気がした。


『あら? 蓮司くん、こんにちは』

『さっちゃんのお母さん! こんにちは!』

『あらやだ、お義母さんだなんて……うふふ』

『ママ!? そ、それはまだ蓮司くんには早いんじゃないかな!?』


 俺と早霧の父さんが冷えた麦茶を堪能しながら話していると、リビングに早霧の母さんが入ってきた。早霧と同じ奇麗な白髪の女性で、違いは肩にかかるぐらいのショートヘアーってところである。

 早霧の母さんと父さんが二人で盛り上がっていたけれど、俺はそれよりももっと気になっていることがあった。


『あの、さっちゃんは?』

『あらら? 早霧ー? 蓮司くん来てるわよー?』


 そう、早霧である。

 早霧の母さんが来たという事は浴衣の着付けが終わった筈だ。しかし早霧はリビングにはいなくて。


『う、うん……!』


 早霧の母さんが閉じたリビングのドアに声をかけると、奥から早霧の声が聞こえてきた。声が少し裏返っていたのは緊張していたからだと思うが、当時の俺は早霧の浴衣が早く見たくて仕方なくて。


『さっちゃん! どうしたの? ドア開けよっか?』

『ま、待って……!』


 座っていた椅子から降り、ドアへ向かおうとした瞬間に早霧からのストップがかかって足を止める。

 昔の俺は今よりももっと自分に正直だったらしい。


『は、入るね……?』


 そして、そう言われてから待つこと数十秒後にドアが少しだけ開いて。


『……あっ』

『えっ?』


 最初はチラッと、早霧が俯きがちに顔を覗かせてから俺と目が合う。すると一度引っ込んでしまった。

 更にそこから十秒ぐらい待って、覚悟を決めたらしい早霧がゆっくりとドアを開いていって――。

 

『わぁ……!』


 ――俺は、その姿に見惚れてしまった。

 薄紫色を基調とした浴衣には雲の模様。帯はそれより濃い紫色で統一されていて、早霧の長くて奇麗な白髪とまるで相乗効果のように互いが互いを引き立てている。

 服に着られることなく、完全に着こなしていて。

 当時はふわふわ生地の部屋着兼パジャマを好んでいた早霧を見慣れていたこともあって、感動が胸の中を埋め尽くしていた。


『ど、どう……かな?』

『す、すごいすごい! すっごく似合ってるよさっちゃん!!』

『そ、そう……? えへへ……』

『うん! うん! すっごい綺麗で、お姫様かと思っちゃった!!』

『あ、ありがと……』


 大興奮である。

 徹夜明けテンションも混じって、照れる早霧の周りを俺はぐるぐる回ってその姿を目に焼き付けまくっていた。


『あらあら、蓮司くんは和風なお姫様が好きなのね? 式は白無垢かしら?』

『ママ!? 気が早すぎるけど……うぅっ……本当に、可愛くて……元気になって、良かったよぉ……!』

『あらあら? パパったら、泣き虫なんだから』

『ぱ、パパもママも恥ずかしいからやめてよ!』


 俺たちの後ろでキャッキャしていたご両親の姿に耐えかねた早霧が顔を真っ赤にして叫ぶ。その間も俺は早霧の周りをグルグルと回っていた。落ち着きがなさすぎる。


『ごめんごめん。でも言ったとおりでしょ? 心配しなくても蓮司くんなら大丈夫だって』

『う、うん……ありがとね、ママ』

『ふふふ、良いのよ? 早霧に奇麗な浴衣を着させてあげられて、ママも嬉しいわ』

『パパも、パパも嬉しい……! さ、早霧が……こんなに、綺麗になって……っ!』

『パパまで……もぅ』


 早霧の父さんは眼鏡の奥でこれでもかと涙を溢れさせる。

 それを見た早霧が恥ずかしそうにそっぽを向いたけど、その口元が緩んでいるのをグルグル回っていた俺はバッチリと目撃していた。


『蓮司くん……早霧のこと、よろしく頼むよ!』

『はい! 分かりました!』

『もうパパ! れんくん取っちゃダメ!』


 俺と早霧の父さんは固い握手を交わす。しかしその手は早霧に取られてしまった。俺たちは自然と腕を組む形になる。


『さ、さぎ……り……』

『あらあら、早霧は蓮司くんの方が良いみたいよーパパ?』


 涙交じりの瞳が見開かれて、早霧の父さんはすごい顔になっていた。そこにすかさず早霧の母さんが腕を組みにいく。この両親もラブラブである。


『ほ、ほら! れんくん、早く行こ!』

『あ、うん!』


 そんな両親を横目に、早霧は組んだ腕を引っ張っていく。

 俺も楽しみだったので、抵抗することなくリビングを後にした。


『じゃあ、いってきまーす!』

『お邪魔しましたー!』

『いってらっしゃい。楽しんできてねー!』

『天気があんまり良くないらしいから、傘忘れずになー! それと夜になると暗くなるから気を付けるんだよー! それから最初にお金を使いすぎると後で楽しめなくなるからねー! 後々ー……!』

『もう! 分かってるよパパ! 大丈夫だからー!』


 両親に手を振られながら、俺たちは早霧の家を出ていく。

 早霧の父さんの声が後ろからずっと聞こえてきたが、俺たちの意識は既に祭りに向かっていた。


『れんくん! お祭り、楽しみだね!』

『そうだね、さっちゃん!』


 上機嫌な早霧と腕を組んで。

 転ばないように慎重に、だけど足並みは軽快に街外れの神社へと進んでいく。

 

 夏だからか、まだ日は長い。

 遠くからは微かにだけど、祭囃子が聞こえていて。

 俺たちが見上げる先の空は、徐々に、だけど、ハッキリと、暗くなっていた。

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