第115話 「れ、蓮司は悪くないよ!」
ギシギシとベッドが軋む音が部屋に響き渡っている。
それもこれも上半身裸の俺に、下着姿の早霧がダイブして馬乗りになり、その状態で密着しているからだった。
冷房の効いた部屋で触れ合う肌の熱と柔らかさ。それに集中するには、置かれている状況が状況すぎた。
「お、思い出した……?」
だからどうしてこれで思い出すと思ったのかを聞いたんだが、答えは帰ってこなかった。
発育の良い身体を俺の素肌に押し当てながら顔を真っ赤にして早霧が見つめてくる。こんな時に思うことじゃないのは重々承知なんだが、囁かれるように呟かれたその声に少しだけゾクッとしてしまった。
「……いや」
だから他に言葉が見つからなくて、首を振るしか出来なかった。
そもそもこれは俺が早霧との思い出を忘れてしまっているのが原因である。
何故忘れているのか、何故忘れたのか、何故俺が大切に想っている早霧との思い出を忘れてしまったのか、俺の気持ちはその程度のものだったのか、なんて色々な考えが頭の中で思い浮かんでは消えていく。
いくら俺が一人で悩んでも、絶対に上手くいかないのは嫌でも身に染みていた。
「やっぱり、全身ずぶ濡れにならなきゃ……」
「なんだって?」
そう思っていた筈なのに、何やら耳元で恐ろしい呟きが聞こえてきた。
ほとんど裸で抱き合うだけじゃなく、ずぶ濡れとかいう不穏ワードである。
早霧は何を目指しているのだろうか。ずぶ濡れで抱き合うのと俺が忘れてしまっている出来事に一体何の関連性があるんだと聞いてみたい。
「なあ、早霧……それ、意味あるんだよな?」
「やっぱり、覚えてないんだね……」
聞いた。
我慢出来なくなって聞いてみた。
そしたら俯いてしまった。
どうしよう……何も噛み合っていない。
身体はこんなに密着して重なっているのに、隣にいるのに、心は離れているみたいだった。
「……ごめん」
「え、えぇっ!? れ、蓮司!?」
それが嫌で嫌で仕方なくて、気づいたら早霧の腰に手を回して抱き返していた。
すべすべで細い華奢な腰を抱き寄せて体勢を変える。二人一緒に横になって、もう一度向き合った。
驚きで丸くなった淡い色の瞳が目の前に広がる。
今の俺にこんなことをする資格なんて無いのは分かっていた。分かっていたけど、一度泣かして喧嘩してしまった時の苦しさが、忘れられなかったんだ。
……大切な思い出は、忘れたままだと言うのに。
「俺のせいで、また早霧に苦しい思いをさせて……本当に、ごめん」
「れ、蓮司は悪くないよ!」
けどいくら俺が苦しんでも、それ以上に辛い思いをしているのは早霧だ。
早霧は子供の時からずっと外に出れなくて、悲しい思いをしてきた。
もうこれ以上、早霧にそんな気持ちになってほしくないって、ずっと想っている、想っていた。
それなのにこの体たらくな俺は、本当にどうしようもない。
それでも、前に進むしかないんだ。
苦しくても、辛くても、目を逸らさずに、しっかりと好きな人を顔を見て、前へ。
そうしないと、いつまでも俺達は、『曖昧な親友』のままだと、そう思ったから。
「いや、悪いのは俺だよ……早霧が大切にしてた事を……全部、忘れてたんだから」
「そ、それは蓮司じゃなくて私が……っ!」
暴れる。
早霧が、俺の胸の中で。
でももう離さない。何を言われようが、何をされようが、早霧が俺を王子様と呼んでくれた以上、もう逃げることだけはしたくなかった。
「……早霧」
「……ぅぅ」
左腕は早霧の腰に手を回したまま、空いた右手でその白くて長いサラサラの髪を撫でながら、そっと頭の上に手を置く。
そうして名前を呼ぶ頃には早霧も大人しくなっていて、気づけば互いの足の間に足が入り込んで絡み合っていた。
「……教えて、くれないか?」
「…………うん」
長い沈黙の後に、逸らされていた視線が向けられる。
少し涙が混じった瞳を見つめながら、俺は早霧からの言葉をジッと待って。
「本当は、本当は、蓮司にちゃんと、思い出して、ほしかったんだけど……」
そんな、言われて当然の恨み言を呟かれる。
でもその声は震えていて、今も傷つけてしまっているんだと胸の中がざわついた。
「夏祭りの、あの日、ね……」
言葉を紡ぐ早霧の声が、身体が、震えていく。
それだけ大切な思い出だったんだろう。
でも俺は、苦しくても、ちゃんと待って、受け止めるしかないんだ。
「蓮司から……キス、してくれたんだよ……?」
――例えそれが、何故忘れていたんだと自分で自分を殴りたくなるような、俺達にとって大切すぎる出来事だったとしても。
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