第114話 「脱いでっ!」

 俺はいったい何を忘れているんだろうか。

 今朝見た夢から、漠然としていた不安が形になって今この場で押し寄せてきている。それによって俺が苦しむだけならまだ良い。でもそれが原因で早霧が悲しむのだけは嫌だった。


「……それって、昔のことか?」

「う、うんっ! そう、昔のことだよ!」


 だから予想をして、ノープランのまま最善の道を探していく。

 俺の問いで早霧の顔がパアッと明るくなったが、それは今だけの話で。


「すまん……それだけだと、分からない……」

「え……」


 俺の言葉で、また早霧の瞳が揺れる。

 その表情を見るのがとても苦しい。でも一番苦しんでいるのは早霧だ。それもこれも俺が忘れてしまっているせいである。

 だからこそ俺はその苦しみを終わらせる為に、キチンと向き合わなければいけないと思ったんだ。


「……だから、教えてくれないか? 俺が一方的に忘れていて……都合が良いと思うかもしれないけど、昔に何があったのかを教えてほしいんだ」

「…………」


 今までの甘い雰囲気から一転した真面目な話。

 流石に寝ころんだままするものじゃないので、早霧の身体と一緒に上半身を起こすと触れたその肩は震えていた。

 ベッドの上で向き合おうとしても、早霧は俯いてしまっている。大切な思い出を忘れているんだから、当然だと思った。

 それでも俺は覚悟を決めて、この苦しい沈黙の中で早霧が喋ってくれるのをジッと待つ。


「……夏、祭り」


 それからしばらく無言が続いた後に、早霧がボソッと呟いた。

 ――夏祭り。

 俺たちが所属する自分らしさ研究会ことボランティア部もスタッフとして参加する、イベントの一つだ。

 次の日曜日に例年通り行われる祭りの話。でも今、早霧が言ってるのは今度のことではなくて。


「……私が学校に行けるようになって、最初に行った夏祭りのこと覚えてる?」


 そう。昔の話だ。

 ゆっくりと顔を上げた早霧は下唇を噛んで涙を堪えているのが分かって、また胸の奥が苦しくなる。

 そしてそれは今朝夢で見て思い出したことと一致していたんだ。

 俺は早霧とのことは何でも覚えていると思っていたのに、何故かその夏祭り周辺のことだけを忘れてしまっている。それを俺は最近になって夢で少しずつ思い出しているのかもしれない。

 そのキッカケはきっと、早霧からキスをしてくれたことと関係しているんだと直感的に感じている。


 だけどまさかそんな、俺と早霧にとって決定的に大きなイベントを忘れていたなんて思いもしなかった。

 早霧が元気になって一緒に行った最初の夏祭りなんて、大切な思い出を俺は……。


「……やっぱり、覚えてない?」


 そのことについて長く考えすぎてしまったようで不安そうに早霧が言葉を続けた。

 やっぱり、とはどういうことだろうか?

 でもそれに対する答えも俺は持ち合わせていなくて。


「……すまない」


 俺は、頷くことしか出来なかったんだ。


「…………そっ、か」


 また、長い沈黙があった。

 今この瞬間も早霧を傷つけてしまっていることが辛い。可能なら震えるその肩を抱きしめてやりたいとさえ思うが、今の俺にはそんな資格なんて無いんだ。


「…………すぅぅぅ」

「……早霧?」


 そんな自己嫌悪をしていると、早霧が急に上を向いて大きく息を吸い始めた。まるで今朝のラジオ体操最後にやった深呼吸のように。だけどその行為に何の意味があるか分からず待っていると。


「……蓮司っ!」

「……は、はい!」


 吸い続けた息を吐き出すように早霧は俺の名前を呼んで、俺は思わず背筋を伸ばしてガラにもない返事をする。

 早霧が先ほどまで涙を溜めていた瞳はどこにもなく、真剣な眼差しを俺に向けてきたんだ。


「脱いでっ!」

「お、おぉ……は、はあっ!?」


 あまりにも早霧が真剣な表情で言うものだから、従いそうになった手を止める。この流れで急に服を脱げだなんて、流石の俺でもおかしいと思った。


「脱いでよ! 早く!」

「いやいやいや! どうして服を脱ぐ必要があるんだ!?」

「蓮司が思い出すのに必要だからだよ!」

「普通に教えてくれれば良くないか!?」

「それじゃあ駄目なの!」

「待て待て待て脱がそうとするな! 脱げる! 自分で脱げるからっ!!」


 早霧が俺のTシャツの裾に手を伸ばして引っ張ってきたので慌ててそれを制止する。

 何が何だか分からないが、こうなった早霧は止められない。それに俺自身も思い出したかったから、今は早霧に従ってTシャツを脱いで上半身裸になるしかなかった。


「こ、これで良いのか……?」


 俺はTシャツを脱いで。女々しくもそれを胸の前に置いて自分の胸元を隠す。

 ……普通、逆じゃないか?

 いや、この状況では逆もそれはそれで問題だが。


「うん! そのまま動かないでね!」


 そう言って早霧も自分が着ていたダボダボのTシャツを脱ごうとして……!?


「ま、待てっ! 早霧も脱ぐ気か!?」

「え? うん」


 腕をクロスして服を掴み、へその上まで捲り上げた地点で固まった早霧がさも当然のようにキョトンと目を丸くする。

 既に俺の頭の中を埋め尽くしていた罪悪感は、混乱の渦に消えさっていた。


「んしょっと……」

「うおぉいっ!?」


 それを早霧は待ってくれない。

 混乱した俺が固まっていると慣れた様子でサッとダボダボTシャツを脱ぎ捨てた。ベッドの上で露わになる早霧の白い肌と発育の良い大きな胸。そしてそれを覆う薄水色の下着……ブラジャーが晒される。俺の記憶が確かなら、昨日風呂場の脱衣かごで見たものと同じものだった。


「蓮司」

「え?」


 ベッドの上で互いに服を脱いだこの状況に思考はぐちゃぐちゃになっている。そしてここでも早霧は止まらずに、俺の両手を掴んで。


「ばんざーいっ!」

「はああっっ!?」


 そのまま、自分の腕ごと両手を挙げた。

 天を向く腕、隠されていた胸元は晒されてお互いにノーガードのこの状況。

 関係ないが、勢いをつけると大きな胸って本当に揺れるんだと思った。本当に関係ないが。


「からの……ダーイブっ!」

「うおっ!?」


 そんな早霧の胸やそれを覆う下着に目を奪われた一瞬の隙をつき、突進してきた。

 真面目な話だと覚悟を決めて身体を起こしたのに、俺たちはまたベッドに倒れこんで……ふにっと、胸元にとんでもない柔らかさと温かさが襲ってきた。


「さ、さっ、早霧ぃ!?」


 混乱すると早霧の名前を呼ぶしかなくなる男、リターンズ。

 似たような状況は多々あった。風呂場だったり、早霧の部屋だったり。でも風呂は湯船の中や水着という要素があって、早霧の部屋は俺が制服を着ていた。しかし今回に限っては俺の方が上半身裸で守るものは何も無い。

 それによって直に、そう直に早霧の身体や胸の柔らかさと下着の感触を味わっていたんだ。


「どう!? 思い出した!?」

「何でこれで思い出すと思ってるんだお前ぇっ!?」


 俺が百パーセント悪いと思っていても、この早霧のとんでもない奇行に叫ばずにはいられなかった。

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