第112話 「蓮司のおかげだよ?」
耳元で囁かれた、王子様のキスがほしいと言うおねだりに思わず俺は逸らしていた顔を動かして早霧の顔を見つめていた。
ベッドの上に手を置いて無防備に前のめりになった幼馴染が俺を見る視線は、その体勢のせいで少しだけ上目遣いとなっていて、ただでさえ美少女なのに更に可愛さが上乗せされている。しかも期待の込められた眼差しで、その頬も赤かった。
そんな顔を見れば見るほどドキドキは増していって苦しくなるのに、まるで魔法にかけられてしまったかのように目が離せなくて。何かを喋ろうとして口を動かすと、自分の唇が緊張で乾いているのに気がついたんだ。
「……お、俺が。お、王子様で……良い、のか?」
声が、震えていた。
学園一の美少女である早霧をお姫様と呼ぶのにはそんなに違和感が無い。それこそ昔から幼馴染で一緒にいる俺じゃなくてもそう呼ぶ人はいるだろう。
だけどそのお姫様から、王子様のキスがほしいと言われた。そう、お姫様から王子様と言ってもらえたんだ。これが嬉しくない訳ないじゃないか。
早霧が俺のことを好きなのは知っている。
ここ最近の態度や言動、それこそキスをしてくるようになってから明確に分かり出して、それでいて告白を断る現場を覗き見た時に俺の事を好きだと言ってくれたのが決定打だった。
だからもっと先に、親友よりも前に進みたいと思ったんだ
けれど俺は、一度それで自分の想いを伝えて早霧を泣かせてしまった。
その後は喧嘩して、仲直りして、何ていうか有耶無耶になってからも何度も何度もキスをしているけれど、その出来事だけは忘れられる訳が無い。
だってこの世のありとあらゆる全てのものよりも、早霧の泣き顔が一番見たくないのだから。
「うん……」
恥ずかしそうに微笑んだ。
少し伏し目がちに、だけど上目遣いはそのままに、早霧が俺を見つめる姿はとても可愛かった。
「蓮司は私の、王子様だもん……」
俺の頬に、手が触れる。
幼馴染の細くて華奢な白い手だ。お風呂上りだから少しだけ熱っぽくて、シットリしてるのにスベスベで、冷房によって冷えた俺の頬にはとても心地が良い。
けれどそれ以上に、その言葉が嬉しかったんだ。
「早霧……」
頬に触れた手の上に、俺の手を重ねる。
ただでさえ近かった距離は、ほとんどゼロになっていた。
「さっきね、アイシャちゃん達を見て思い出したんだ……」
「……思い出した?」
「うん。忘れてたわけじゃないんだけどね、二人を見てたら懐かしいなぁって思ったの。身体が弱かった私に、蓮司が毎日会いに来てくれた時の事を……」
昔を懐かしむように笑うその顔は、まるでお伽話に憧れる少女のように純粋で綺麗だった。
目を閉じても目立つ、長い睫毛。薄桃色の唇の端が、少しだけ上がって。
その美貌を形作る顔の一部一部だけでも永遠に見ていられる。
けれどそれは無情にもすぐに終わって、代わりに少しだけ潤んだ淡い瞳が俺を覗いたんだ。
「蓮司のおかげだよ?」
一言。
そして一息置いて、言葉を続ける。
「でも、蓮司のせいだよ?」
笑う。
今度は悪戯に、少し楽しそうに。
「蓮司がいたから辛い毎日も我慢できたけど、蓮司がいたから早く身体が良くなりたいって、毎日が苦しかったの……」
初耳だった。
前者はともかく、苦しかったというのは初めて聞いた。
俺のせいで、早霧が苦しんでいたなんて夢にも思わなかったんだ。
「そんな顔しちゃ駄目だよ?」
そっと、今度はもう片方の手が俺の頬に触れる。
固定された視線の先では、悲しそうな早霧の顔があった。
「蓮司が隣にいてくれたから、色々と考えるようになっちゃったんだもん……良い事も、悪い事も、全部、ぜーんぶ……ね?」
「さぎ、り……」
早霧にゆっくりと押されて、俺の身体が倒れていく。
背中に慣れ親しんだベッドの感触が広がって、身体全体には慣れつつある早霧の心地良い柔らかさと温かさが覆い被さってきた。
「蓮司……」
名前を呼ばれる。
いつもなら見える部屋の天井は、お姫様の顔によって見えなかった。
「キスして……?」
おでことおでこがぶつかる。
いつかの体温測定と同じ、だけど今回は俺が下だった。
「……この状態じゃ、動けないんだが」
両側の頬が押さえられて、すぐ上には早霧の顔がある。
そして仰向けの身体も、一緒に倒れこんだ早霧にのしかかられていた。
「あはは、それもそっか……」
「ああ、そうだな……」
お互いの息が触れて、交わる。
可愛く短めに笑った後に、その笑顔が見えなくなったのは。
「――んぅっ」
唇と唇を、重ね合ったからだった。
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