第110話 「な、なんでぇぇぇーっ!?」
閑静な住宅街の中にある小さな公園の中で、スマホから軽快なラジオ体操の音源が鳴り響いていく。
爽やかな朝と夏の訪れを演出する三分弱という短い時間は、興奮と羞恥をひた隠す溜めの果てしなく長い時間に感じた。
『腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動~、はい!』
スマホから流れる声の良い男性の指示に従って身体を動かす。いや、動かされる。
何故なら後ろから早霧がこれでもかと密着しながら、俺の両手を自分の手に絡めて操っているからだ。
『一、二、三、四、五、六……』
「ん、はっ、ふっ、んんっ……」
スマホからの音声は全て、背後から耳元に囁かれるように漏れる早霧の吐息によってかき消されていた。これで集中しろという方が無理である。
白昼堂々、早霧に自分の身体を好きにされている中で聞こえてくる……ある意味で熱を帯びた吐息を、感じるなという方が不可能だ。
腕を前に、上に、横に、下ろす。
そんな単純な動作だけで、俺の背中に押し当てられた早霧の大きな胸が形を変えていくのが分かってしまった。
『手足の運動~!』
「アツキ、ちょっと遅い……」
「ご、ごめんよアイシャ!」
これだけ……いや、これだけでもかなりヤバいのだが、それ以上にヤバいのは今が俺と早霧の二人だけじゃないという事である。
俺達と同じ状況で向かい合うように、この変則的なラジオ体操を行なっている美男美女の少年少女が二人。
厚樹少年とアイシャである。
彼もまた彼女に背後から両手を絡められて仲睦まじく身体を動かしているのだ。
健全な少年少女の前で、あろうことか俺は今、後ろから密着している幼馴染の全てを感じて邪な気持ちを抱きつつある。しかもそれを隠そうにも身体を操られているので不可能という八方塞がり。
前の二人は楽しくラジオ体操をやっていてそれに夢中だというのに、まるで俺は自分の痴態を晒しているんじゃないかっていう恥ずかしさに襲われていた。
『腕を回しま~す! 一、二、三、四、五、六、七、八……』
「んぅ……んっ、蓮司も、ちゃんと、動いて……」
「す、すまん……!」
もう全てが意味深に聞こえる。
俺が恥ずかしさで変に身体を強張らせたせいで、後ろから囁いてくる早霧の指示も何か変な意味に聞こえてしまった。
いくら興奮で頭がどうにかなりそうでも、音楽に合わせて身体を動かし続けなければならない。けれど動けばすぐに早霧の吐息と柔らかさが熱と共に襲い掛かり、前を見れば厚樹少年たちに見られているんじゃないかと錯覚する。
そんな天国と地獄の狭間で死にそうになりながら行なわれたラジオ体操は、最後の深呼吸で息を吹き返すまで淡々としながら悶々と行なわれるのだった。
◆
「はーい! お疲れさまー! ふぅー……スタンプ押しちゃうよー!」
「あ、ゥ……」
「アイシャ、僕は大丈夫だから。早霧お姉さんにスタンプ押してもらいなよ」
「……ウン!」
まだ心臓がバクバクしている。
ラジオ体操が終わり、早霧は俺から離れてもう一度深呼吸をしてからスタンプを取り出した。それを見たアイシャが行こうとするが踏み出せず、すかさず厚樹少年が声をかけると笑顔で早霧の元に向かっていく。
この余裕は見習うべきだと思うが、俺には荷が重い気がする。
昔ならともかく、早霧が明確に俺の事を好きだと知ってしまった今では人前だとどうしても照れや恥ずかしさが勝ってしまうんだ。
そう考えると、早霧は恥ずかしくないんだろうか?
羞恥心が無い訳ではないだろう。だって昨日も一昨日も、裸を見られたらあんなに顔を真っ赤にして悲鳴を――。
「あの、蓮司お兄さん……」
「うおっ!? ど、どうした厚樹少年!?」
またしても邪な事を考えていると、純粋無垢な年頃の厚樹少年に話しかけられた。
どうやら俺の心臓は休む事が出来ないらしい。
「そ、その……お、お願いがあるんですけど……」
「……お願い?」
しかしそれも彼の態度が普通じゃないのを見ると自然と収まっていった。
ラジオ体操をしていた時は俺と違って仲睦まじく楽しそうにやっていたのに、今はまた気まずそうにチラチラと後ろにいる早霧とアイシャを見ながら何かを話そうとしている。
何か事情があるのは、今まで見てきた彼ら二人の様子を見れば何となくだが察する事が出来た。
「あ、明日もなんですけど……き、今日と同じ時間に来ても……良いですか?」
「……構わんが。それは、彼女と二人でラジオ体操をしたいという事で良いか?」
「は、はい……」
「それは、友達とは別で受けたいと?」
「す、すみません……」
ふむ。
一部憶測で言ったのだが、合っているようだ。
先に来ていたツンツン髪の少年や活発な少女と麦わら帽子の少女の三人組は友達で、友達だけどラジオ体操は別にやりたいと。
そしてその事情はおそらく、いや間違いなく。
ずっと厚樹少年にくっついていたアイシャにあるのだろう。
「良いぞ。明日も早霧と一緒に待ってるから、慌てずゆっくり来てくれ」
「い、良いんですか!?」
「もちろんだ。俺も早霧もインドアだからな。二回連続で体操ぐらいしないとなー、すぐ運動不足になってしまうし、ちょうど良いさ」
「あ、ありがとうございます!!」
俺は腕を伸ばしてストレッチをするジェスチャーをしながら軽い感じで答えると、厚樹少年は深く深く頭を下げた。
何とも良く出来た少年である。礼儀正しさはもちろんだが、彼女の事を想う行動は見習うべきものがあった。
もちろん本当なら全員同じ時間にラジオ体操をした方が今度の事を考えると絶対に良いのだが、人にはそれぞれ事情があるのとまだ今日が初対面だから深入りするべきではないだろう。
「アツキ!」
「うわっ!? も、もうアイシャはまた……」
「アツキのも! 押してもらった!」
「あ、うん。ありがとねアイシャ」
「エヘヘー!」
しかしまあ、今は。
満足そうに笑いあう二人の顔に免じて、少しだけ見ないフリをしておこう。
「それじゃあまた明日、よろしくお願いします!」
「……します」
最後に厚樹少年はもう一度深くお辞儀をして、アイシャもそれに倣って小さく頭を下げてから、二人して手を繋いで公園を出て行った。
仲良く話していた早霧はともかく、俺は厚樹少年としか話していなかったので微妙に彼女からまだ壁のようなものを感じたが一応喋ってはくれたのでまあ良いだろう。
「れーんじっ!」
「うおっ!?」
「えへへー、アイシャちゃんの真似ー! ってうひゃぁっ!?」
それより今は、この幼馴染である。
いきなり飛びついてきたその柔らかい身体に腕を回し、米俵のように持ち上げて肩に乗せた。
「な、なになになにーっ!?」
突然の出来事に早霧は、俺の肩の上でジタバタともがくが絶対に離さない。
「恥ずかしかったんだからな……」
「……え?」
思い出すのは、ラジオ体操の果てしなく長い時間。
ひたすら羞恥に晒されながら、興奮に襲われた俺は……。
「恥ずかしかったんだからなぁーっ!!」
「な、なんでぇぇぇーっ!?」
その想いを全部爆発させるように、肩にその華奢な身体を乗せながら、その場でグルグルと高速で回り続けた。
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