第107話 「だめー?」

『一、二、三、四、五、六、深呼吸でーす』


 スマホから流れるラジオ体操の音声に従って身体を動かすこと数分。

 子供の頃は長いと思っていた運動が、実は約三分程度の短さだと知ってちょっとした驚きがあった。


『深く息を吸って、吐きまーす。五、六、七、八』


 リズムに合わせて指示があり、メロディと共に両手を広げて息を吸う。

 隣にいる早霧も、前にいる三人の少年少女たちも一緒になって手を広げて。


『一、二、三、四、五、六、七……八……』


 曲が終わる。

 最後だけ少し溜めて哀愁漂うようにゆったりとフェードアウトしていく音楽につられてか、息を吐ききった筈なのに終わったなぁと安堵の溜息がこぼれた。


「はーい! みんなお疲れさまー! スタンプ押しちゃうよー!」

「よっしゃー! 一番乗りだぜー!」

「あ! ちょっと待ちなさいよ!」

「あ、待ってよぉ……」


 間髪いれずに早霧がポケットからスタンプを取り出すと、ツンツン髪のワンパクセミ掴み少年が走り出した。その後をポニーテールで活発そうな少女と麦わら帽子で大人しめな少女が続く。

 早霧を含めて、みんな元気で何よりだ。


「はいはい順番にー、ポンっとー! 全部集めるとプレゼントあげちゃうから、みんな明日も来てねー!」

「マジで!? 何くれるんだ!」

「ふふ、それは最後まで秘密だよー?」

「えぇー! どうせくれるんだから教えてくれよー!」

「お姉さんを困らせないの! いらないものだったらアンタ来なくなるでしょ!」

「はぁ!? そんなことねーし! 来るし!」

「け、喧嘩は駄目だよぉ……」

「あはは、みんな仲良しで良いねー!」


 スタンプを押し終わった早霧が三人と楽しげに話している。

 早霧は基本的には無邪気で明るく子供っぽいので波長が合うのかもしれない。


「まあなー! じゃあ帰って家でゲームしようぜー!」

「もうアンタはゲームばっかり! まだお礼言ってないでしょ!」

「あ、ヤベっ! 美人な姉ちゃんありがとな!」

「ありがとうございました! また明日もよろしくお願いします!」

「あ、ありがとうございますぅ……」

「こちらこそ、来てくれてありがとねー!」


 思い思いに三者三様に頭を下げる三人と、それに優しく笑顔で手を振る早霧。

 それぞれの個性があって見てて面白い。


「兄さんもありがとなー! 明日も来るぜ!」

「ありがとうございました!」

「あ、ありがとうございましたぁ……」

「おお。こちらこそありがとな」


 早霧に頭を下げた後は三人揃ってこっちに走ってきて、今度は俺にお礼を言ってきた。ワンパクで元気いっぱいだが、礼儀正しい子供たちで関心である。


「じゃあ行こうぜ!」

「ありがとうございましたー!」

「あ、あうぅ……」


 ツンツン髪の少年とポニーテールの少女が笑いながら走って公園の外へと向かう。

 休むという言葉を知らない無尽蔵の体力は子供ならではの特権だった。


「あ、あのぉ……」

「ん? どうした? 二人と一緒に行かないのか?」


 しかし麦わら帽子の少女だけが走り出さず、まだ俺の前に立っていた。何かを言いたそうだが人見知りみたいでモジモジしている。


「そ、そのぉ……あっくんたちが……まだ……」

「あっくんたち? それは――」

「おーい! 何してんだ早く行こうぜー!」

「置いていっちゃうわよー!」

「あっ、うっ……す、すみませんすみません! ま、待ってよぉ……!」

「お、おぉ……転ばないようになー!」


 二人に大声で呼ばれた麦わら帽子の少女がビクッとして背筋を伸ばす。そのまま何度も頭を下げながら慌ただしく走っていってしまった。

 少しだけ危なっかしい子である。


「どうしたの? あの子と何かあった?」

「ああ。あっくんたちがまだ……って言ってたんだが、もしかしたら来てない子がいるのかもな」

「ありゃー! あー、そういえば誰が来るかとか聞いてないよね?」

「ちゃんと聞くべきだったな……名簿とかあるだろうか?」

「ゆずるんに聞いてみよっか?」

「頼む。俺も町内会長に電話してみる」

「りょーかーい」


 お互いに頷いてスマホを取り出す。

 俺は前もって聞いていた番号に電話で、早霧はメッセージアプリで連絡をした。


 しかしまだ八時前の早朝だからかどちらにも連絡がつかなかったんだ。


「寝てるのかなぁ……」

「まだ朝早いからなぁ……」


 やれる事が無くなった俺たちは並んでベンチに座る。

 徐々に上り出す太陽の日差しが地道に周囲の温度を上げていった。

 ベンチの後ろで生い茂った木々も日陰になるには微妙な位置であり、かといってベンチから降りて木の下に移動するのも億劫だった。


「暑くなってきたねー。どうする?」

「もう少し待つさ。せっかくの夏休みだし、初日から躓いたら楽しめないだろ?」

「……だよね」

「ん?」


 早霧が俺を見て、微笑んだ。


「ふふっ。蓮司なら、そう言うと思った」


 優しく微笑む早霧の顔に妙な恥ずかしさを覚え、反射的に俺は顔を逸らした。


「……暑いし、一回帰っても良いんだぞ? ほら、日焼け止め忘れたんだろ?」

「ううん、いーの。蓮司と一緒にいたいし」

「そ、そうか……」


 暑い。そして、熱い。

 夏の日差しのせいじゃない熱が胸の奥から湧き上がっている。それもこれも今朝にあんな夢を見たからじゃないだろうか……?


 ……夢?

 そういえばどんな夢を見たか、曖昧になってるな。

 夢とは意識しなければ徐々に薄れていくものだが、それに加えて朝の舌を入れる発言で全部吹き飛んだ気がする。


「…………」

「…………」

「……えいやー」

「っぁ!? さ、早霧っ!?」


 思考に夢中になっている時だった。

 早霧が俺の肩に頭を乗せてきたのである。

 突然の出来事すぎて理解がまるで追いつかない。


「蓮司はなー、優しいからなー……」

「な、き、急にどうした!?」

「別にー? いつでも待っててくれる蓮司に、寄りかかってるだけだよー?」

「だけじゃないが!?」


 だけというには大胆すぎた。


「だめー?」

「だ、駄目じゃ、ない……」

「やったー。えへへー、今日は暑いねー?」

「お、おう……」


 何だこれ何だこれ何だこれ!?

 外だからなのかラジオ体操で身体が火照ったからなのか夏のせいなのかはまるで分からないが、早霧がとても可愛く見える。

 肩に頭を乗せるなんて昨日同じ風呂の中で水着同士でやったにも関わらずもしかしたらそれ以上にドキドキしていた。

 それこそ今の早霧は彼らと接した後だからか子供っぽくて、それがさっきまでのお姉さんしていた姿とギャップを生んでいるせいなのかもしれない。


「二人っきりだし……手、繋いじゃう?」

「あ、あっくんたちが来るかもしれないだろ?」

「まあ、その時はその時でー……」


 と、早霧の腕が俺の腕に絡み出した。

 軽く汗ばんだ腕が触れ合う中で、ポロシャツ越しに押し当てられる大きな柔らかさに心臓が爆音をかき鳴らしていく。そのまま手首に手が伸びて、ベンチの上でお互いの手を握り合う……そんな時だった。


「お、遅れてすみませーんっ!!」

「……せん」

「うおっ!?」

「ひゃっ!?」


 公園の外から子供の声がして、俺と早霧はほとんど同時に跳びはねてベンチから立ち上がった。

 別のドキドキが止まらない中、誤魔化すように慌てて視線を声がした方へ向ける。

 するとそこには、先ほどの三人と同い年ぐらいの少年と少女が二人。手を繋ぎながら息を切らして公園に入ってきたところだった。

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