第104話 「……またえっちなこと考えたでしょ?」

 夏の夜は蒸し暑く、何も対策をしていないと寝苦しい夜にだろう。

 節約なんて言葉は忘れた。冷房を最強にした俺の部屋は、温度がどんどん下がっていく。

 夏らしく机の上には氷が入った麦茶が乗っていて。水滴が浮き上がったコップの中で氷がカランと音を立てて動いた。


「蓮司のえっち……」

「すまん……」


 そんな夏らしくも夏に抗おうとする涼しげな部屋の中で、俺は今までにないレベルの冷や汗をかいていた。

 原因はもちろん、風呂でのぼせた早霧の水着を脱がせようとしていた所を見られた事である。

 つまり現行犯。言い訳も言い逃れも出来ない。


「蓮司のえっち……」

「すまん……」


 デジャブ、そして繰り返し。

 昨日と同じ、いやそれ以上に最悪な状況で裸を見てしまったせいで、早霧がへそを曲げてしまった。

 今回は昨日と違って上半身だけとも言えるが、それにしたって状況が最悪すぎた。

 

 だって、半分意識が無い早霧の水着を俺が脱がしていたんだから。

 普通に捕まってもおかしくないのである。


「蓮司のえっち……」

「すまん……」


 さっきからこれしか言ってくれないし、俺もこれしか言えない。

 そんな罵倒を繰り返すロボットになりかけている早霧は、俺のベッドの上に寝転がっていた。

 水着は自分で着替え、いつものダボダボ古着白Tシャツにショートパンツと涼しげな格好になっている。更に前髪をかきあげてヘアピンで留め、露出したおでこに熱冷ましのシートを貼り付けていた。長めの前髪が上げられて淡い色の瞳がいつもより大きく見えて新鮮だが、気まずさからあまり直視は出来なかった。


「蓮司、もうちょっとこっち……」

「すまん……」


 しかしそれでも、直視するしかない矛盾を抱えているのである。

 何故なら俺も一緒にベッドの上に寝転がっているのだから。しかも身体を横に向けて腕を伸ばし、ご立腹な早霧に腕枕をしているそんな状況がかれこれ三十分は過ぎようとしていた。


 せっかく淹れた麦茶を飲む暇なんてあったもんじゃない。

 俺の腕に頭を乗せた早霧から、本人お気に入りのシャンプーの匂いに混じって甘い匂いが漂ってきていてそれどころじゃなかった。


 俺の腕を枕にした早霧がモゾモゾ動く。ただでさえ近い距離はより近まりゼロになった。

 冷房の効いた部屋の中で身体が温かくなるのは、早霧と密着しているからだろう。


「ちゃんとしないと、許してあげないから……」

「すまん……」


 腕枕をちゃんとするって、何だろうか?

 正解は分からないが許してもらうにはこうして早霧の腕枕、兼、抱き枕になるしかなかったのである。

 早霧とくっつけるのは俺としても願ったり適ったりだと言うのは間違いないが、前提事象である罪の重さがとても大きく俺にのしかかっていた。


「頭、撫でて……」

「こ、こうか……?」


 更には早霧の頭も俺の腕に乗っかっている。だんだん腕が痺れてきた気がするけれど、我慢して要望どおりにその綺麗な白髪の頭を自由な左手で撫でた。

 サラサラの髪の奥に、温かさを感じる。


「あぅ……」


 モゾモゾ。

 頭を撫でると早霧がまた身動きをして、密着している全身がその全てを伝えてくる。

 ゼロ距離なのも相まって頭を撫でるのも何て言うか、こう、抱きしめる一歩手前みたいな格好にならないといけなかった。


 もうちょっと具体的に言うのなら、早霧は完全に俺の腕の中に収まっている。

 風呂場でも散々密着しまくっていたが、ベッドの上だとそれはそれで別にクるものがあった。


「……またえっちなこと考えたでしょ?」

「……すまん」

「……えっち」


 これが地獄か。

 逃げ場は無いし事実だしどうしようもない。

 俺が出来るのは早霧に腕枕をしながら頭を撫でることだけだった。


「……ぎゅってして」

「……だが、それだと頭は」

「……いいから」

「……分かった」


 俺に裁きを与える閻魔大王様兼、兼、ワガママなお姫様の指示に従って頭を撫でていた手を離し……そのまま背中に回す。

 元々くっついていたその身体を引き寄せるように力を込めると、感じるのは衣服越しの柔らかさと体温。

 すると今度はお返しと言わんばかりに早霧の方から足を絡めてきた。


「……ん」


 満足そうな声。

 キスはしていない。

 足だけじゃなく、早霧も俺の背中に手を回してくる。


「……もっと、強く」

「……こ、こうか?」

「……もっと」

「……おう」


 俺の方が熱を出しそうだった。

 力を込めれば込めるほど早霧という柔らかさが身体に引き寄せられる。それに反応するように足がまるで蛇のように動いて絡んできて、本当はもう怒ってないんじゃないだろうかとすら思ってしまうぐらいだ。



「……んんっ」


 甘い声。

 重ねて言うが、キスはしていない。

 けれどキスの時と似ている声だった。唇を通してじゃないその生の声は、可愛くありながらも色気がある。

 こんな声、他の誰にも聞かせたくないと思うのは当然じゃないだろうか。そう思うとより抱きしめる力が強まった。


「れん、じ……」


 身じろぐ。

 早霧が腕の中で身じろいで、足をモゾモゾと動かしている。抱き合っていると言うよりも、身体を押し付けているに近かった。


「離れちゃ、やだ……」


 消え入るようにボソッと呟かれたその声も、強く強く抱き合っていれば簡単に聞き取れた。

 離れるとは何だろうか。

 離れる気は無いし、離れる予定も無い。ていうか今もずっと、仲直りしてからずっと、くっついている時間の方がはるかに長い。


「……すぅ……すぅ……」


 それを聞く前に、返ってきたのは寝息だった。

 またかと思った。これで三回目だぞと思った。

 でも今回は、俺からもちゃんと抱きしめる事が出来た。ていうか抱き合えた。怪我の功名とはいえ成果は成果である。

 大きな進歩かもしれない。でも怒らせてしまったのでかなり後退した気もする。


「……おやすみ、早霧」


 何はともあれ。

 こうして信頼してくれてついには抱き合いながら枕にされて、一緒のベッドで眠るというまでに仲直りを出来たのはとても嬉しい。

 夏休み早々に大喧嘩をして、仲直りをしてから始めての土日が終わる。


 明日からはじぶけんの活動であるボランティアのラジオ体操が毎朝あって、水曜日には部活、木曜日には河川敷のゴミ拾い、そして週末には夏祭りが待っていた。

 予定がテンコ盛りで、慌ただしくなるのは間違いない。


 でも今は。

 冷房が効きすぎた部屋で先に寝てしまった幼馴染が風邪を引かないように、その柔らかな身体で暖を取るとしよう。


 明日の朝には機嫌が良くなってくれている筈だと信じて。

 俺は目を閉じながら、見えなくなった親友の身体をもう一度強く抱き寄せた。

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