第100話 「裸じゃないもん!」
「心頭滅却、煩悩退散、心頭滅却、煩悩退散、心頭滅却……煩悩退散……!」
暑い、そして熱い。
身も心も熱にうなされたような気分だった。
「何してんだ、俺は……」
そして、溜息。
目の前でポチャンと、波紋が広がる。
思い出すのは先ほどまでの夕食時のやり取りと、俺からしたキスだった。
どうも慣れない。キスにではなく、その後の微妙な気まずさに。何度もしているキスも、ことあるごとにしてくるキスも当然慣れないが……ていうか早霧、キスしてきすぎじゃないか?
早霧は俺のことが好き。
これはもう自惚れでもなんでもない事実だろう。
でもその、それの愛情表現がキスだけなのは思春期青春真っ盛りな俺にとっては劇物であり劇薬でもある。
キスをする度に幸せに包まれて、脳が溶けそうになる。そりゃあ俺だってしたくなる。何故なら相手が早霧だからだ。
「親友、なぁ……」
もうこれ、呪いの言葉なんじゃないかって思えてきた。
悩んで、悩んで悩んで悩みぬいて、爆発して喧嘩して勝負して仲直りして吹っ切れた筈なのに、早霧のことを想って好きに、もっと好きになる度に重りのようにのしかかってくる。
今さらだけど、親友って同じベッドで寝て同じご飯を食べさせあって、ことあるごとにキスをするのか?
いや、しないだろうな……うん。
「……あっつ」
思考が回らないのは熱のせいだ。
壁面に備え付けられたパネルを見る。湯船を満たすお湯は四三度を表示していた。子供の頃から変わらない我が家の浴室にも少しだけ文明の利器が加わった追い炊きや温度調整が出来るコントロールパネルは真実しか語らない。
俺は雑念やモヤモヤを吹き飛ばすべく、今日は熱々の湯船につかっていた。
「……身体、洗うか」
しかし逆効果。
茹で上がりそうになって少し身体が重い。
俺はぬるま湯に長くつかる方が好きなんだ。やはり慣れないことはするべきじゃないだろう。
反省しながら、ゆっくりと俺は立ち上がって――。
「は、入るよー?」
「どうおわぁっ!?」
――自分でも驚くぐらいの速度で、また湯船に身体を隠した。
何故かって? そんなの早霧が浴室に入ってきたからに決まってるじゃないか。
「うわっ! ど、どうしたの?」
「ど、どどどどうしたじゃないまたかお前またなのかお前はぁっ!!」
昨日あんなことがあったのに、またである。いや早霧にとっては勝負に勝った場とも言えるが、まさかまた入ってくるとは思っていなかった。
もうこれで早霧と一緒に入っていないのはトイレだけである……それはそれで大問題っていうか今はそうじゃなくて!
「何でまた入ってきた!?」
「だってご飯の後、蓮司が無視するから……」
「ぐぅ……っ!」
俺のせいだった。
気まずさと恥ずかしさに負けて爆速で風呂掃除からお湯をはり、その間に歯磨き皿洗いをしてなるべく早霧の顔を見ないようにした俺のせいだった。
これにはぐぅの音も出ない。いや、出たか。
「そ、それでもお前……昨日のこと!」
「大丈夫だから!」
「俺が大丈夫じゃないって――っ!?」
俺の言葉を遮りながら、早霧が唯一、身に纏っていたバスタオルに手をかける。
――そこからはまるで世界がスローモーションになったようだった。
タオルの結び目が解かれていく。
はらりと広がっていく大きなバスタオル。
早霧の手を、身体を離れて、重力にしたがって足元に落ちていって。
隠されていた早霧の身体を、すべて曝け出すように――。
「裸じゃないもん!」
「…………え? あ、え?」
現実だと、ストンってバスタオルが落ちた。
一瞬だった。
一瞬過ぎて頭が追いつかなかった。
「……水着?」
水着である。
色白の素肌や裸体はそこにはなく、よく見慣れた紺色の水着……そう学校指定の、いわゆるスクール水着に身を包んだ早霧が浴室の入り口に立っていたんだ。
「こ、これなら大丈夫だから!」
「…………顔、赤いが」
「大丈夫だから!」
それはそれとして顔は真っ赤だ。
それはそれとして理解が追いつかなかった。
多分お互いの共通点は、恥ずかしさじゃないだろうか。
「れ、蓮司のだって部屋から持ってきたから!」
「何してんだお前ぇっ!?」
また叫ぶし、叫ぶしかない。
浴室には叫び声がよく反響した。
早霧が見せびらかすように両手で広げたのは、俺が授業で履いている学校指定の海パン、水着とも言う。
そう、俺の部屋のタンスの奥に畳まれていた水着を何故か早霧が持っていたのだ。
「どっから持ってきたその水着!?」
「私の家から! 今日一度帰ったじゃん!」
「え……? いやお前のじゃなくて俺の!」
「……蓮司の部屋からだよ!」
「知ってるよ!」
一瞬会話が噛み合わなくて混乱したが、そのおかげで疑問の一つが解消された……されてしまった。早霧が今朝自分の家に帰って持ってきたのは、スクール水着だったのである。
これは俺の予想だが、朝一緒に見た海水浴場のニュースを見てよからぬ事を思いついた結果だと思う。
そのよからぬ事とは、今、正に、この状況、そのものだった。
……つまりこれは計画されたものであり、俺が無視したせいで早霧が風呂に入ってきたのではないんじゃないだろうか?
「お、お邪魔します!」
「……はぁ?」
悩んでいる隙に、影。
幼馴染と学園一の美少女と俺の親友は待ってくれない。
その白くて長い綺麗な髪を後頭部で団子みたいに丸めた早霧は、俺に背を向けて湯船に跨った。
頭上に、目の前に広がるのは、水着越しの、大きな、形のいい尻で――。
「あっちゅい!?」
「……あっちゅい?」
――それが降りてくる前に、湯船に触れた足が変な声と共に引っ込められた。
かと思えば、肩をすくめて身を丸くした早霧が半分涙目になりながら俺に振り向いて。
「……み、水で冷ましても良い?」
「……あぁ、おお」
なんか、もう。
マイペース極まるのにマヌケな幼馴染の姿に、俺は呆れるというか首を縦に振るしかなかった。
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