第83話 「可愛いー!」

 悶々とした待ち時間はあっという間に過ぎ去り、俺と早霧はバスに乗った。

 通学路線のためか夏休み最初の休日だというのに車内はガラガラでほぼ貸切状態である。


「良いなぁ、ゆずるんと長谷川くん。毎日こんな景色を楽しめて」

「通学だと楽しむ余裕ないんじゃないか?」

「ぶぅ」


 早霧は窓の外に流れていく街並みを夢中になって眺めていて、未遂に終わったキスの気まずさも何処かに消え失せていた。

 俺はバス通学の二人の声を代弁しただけなのに不満げに頬を膨らませてしまう。

 この世は理不尽だと思うが、それはそれとして可愛いのでまあ良いか。


「うわぁ、人暑いー」

「……混ざってるぞ」


 バスに揺られて数十分。

 やってきたのはこの街で最も栄えている駅前の大規模複合商業施設、ショッピングモールである。

 何か欲しいものがあったらここに行け、何か食べたいものがあったらここに行け、何か遊びたいことがあったらここに行けと、何でもござれの大人から子供までお墨付きのスポットだった。

 駅前ということでアクセスが良く、バスから降りると立体に交差した遊歩道を歩く人で溢れていて、夏の暑さにものともせずに各々の目的地へと進んでいた。


「ほら、早霧」

「あ、うん……」


 はぐれないように早霧の手をギュッと掴む。

 流石の早霧もこの人混みでさっきまでの謎理論は展開しないらしく、大人しく握り返してくれた。



  ◆



「可愛いー!」


 大人しくなったかと思えば店に入って第一声がこれだった。

 ここは、ショッピングモールの中にあるぬいぐるみ専門店である。


「ふぉふぉふぉ、いらっしゃい……」


 店内には大中小様々な動物のぬいぐるみが並んでいて、店の奥には人の良さそうなおじいさんがずっと笑顔でこっちを見ていた。

 なんていうか、絵に描いたような店のおじいさんである。


「蓮司! 可愛いよ! ほら蓮司! この子も、この子も!」

「分かった分かったから! もうちょっと声のボリュームを落とせ他の人に迷惑だから!」


 早霧、大はしゃぎ。

 昔から病弱だった早霧を両親は寂しがらないように沢山のぬいぐるみをプレゼントしてきた。

 部屋のベッドの上にぬいぐるみが沢山あるのもその名残であり、早霧はぬいぐるみ大好きなのである。


「ふぉふぉふぉ、構わんよ……」


 店の奥からおじいさんが笑顔で呟いた。

 あまり大きな声ではないがよく通る不思議な声だった。


「あ、この子可愛い! ねね、蓮司蓮司! この子どう? どう?」

「……んん?」


 一匹、いや一体、それとも一人?

 ぬいぐるみの数え方って何だろうか。

 とりあえず動物なので一匹にするとして、早霧は沢山いるぬいぐるみの中から一匹のぬいぐるみを取って俺に見せてくる。


 顔が傷だらけで不愛想な、灰色で二足歩行のオオカミのぬいぐるみだ。

 お世辞にも、可愛いとは言えない。

 素人目に見ても他にもっと可愛いらしいぬいぐるみが沢山あるし、そのオオカミのぬいぐるみは早霧の部屋にあるぬいぐるみ達とは系統が違って見えた。


「可愛いか、コイツ……?」

「えー! 可愛いじゃん! 蓮司みたいで!」

「おいこら待て」


 俺にそんな顔の傷は無いぞ?

 お前にとって俺のイメージ、そのオオカミなのか?

 

「よし、今日から君の名前はレンジだ」

「まだ買ってもないのに人の名前をつけるな」

「どうしたの蓮司? レンジに嫉妬は良くないよ蓮司。ねー、レンジ?」


 ややこしい。


「……嫉妬なんてしてないが」

「ふーん? 本当に?」

「ああ、俺にはお前が……いる、しな……」

「あ……ぅ……」


 自分で言って、途中から恥ずかしくなってしまった。

 そのせいで俺の恥ずかしさが伝播したのか早霧まで顔が赤くなっていく。


「…………」

「…………」


 気まずさ再びリターンズ。


「な、何か言ってくれ……」

「あ、うん、えっと……」

「ふぉふぉふぉ……」


 おじいさん、アンタじゃない。

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