第82話 「口にアイスついてるよ?」

 外に出たら夏らしい、快晴の空だった。

 照らす太陽、青く広がる空、点々と散らばる白い雲がコントラストを生みまさに晴れ晴れとした天気である。

 穏やかな風が閑静な住宅街を流れ、アスファルトで舗装された道はそれはとても風情溢れて――。


「……あっつい」


 クソ暑かった。

 ギラつく太陽、忌々しいまでに青い空、散らばった雲は影一つ作らず、生温い風がじんわりと吹き、アスファルトは熱を吸収し歩いている俺達人類を苦しめていた。

 俺の左隣を歩いている早霧もさっきまでの笑顔を忘れ去ったかのようにこの暑さにやられている。

 流石にダボダボのTシャツでは外出するのに適さないと判断したのか、朝に背負ってきた大きなリュックから取り出した薄手の半袖パーカーを着て、その頭にはキャップ帽子を被っている夏のボーイッシュスタイル。

 着る服が増えてもスタイルの良さは全く隠せておらず、猫背で歩いていてもその姿がとても様になっているのだから学年一の美少女というのは恐ろしい。


「蓮司ぃー、暑いよぉー……」


 そんな暑さで言語も思考も溶けかけている美少女幼馴染を横にして、俺は大きな溜め息を吐く。そしてまだ自由が利く右手で自分の頬をかきながらこう言った。


「……俺の腕に抱きついてるからだろ」


 そうなのである。

 左を歩く早霧は俺の左腕にガッツリと抱きついている。手を繋ぐのではなく腕を抱くようにして歩いているのだ。

 汗にまみれた腕が絡みながら、俺の腕には早霧の柔らかな二つの膨らみが押し当てられているこの状況……暑さ関係なく、熱が上がりそうである。


「これも私の優しさだよ?」

「……聞こうか?」

「こうやって腕を抱きしめておけば、キスしたくても出来ないでしょ?」


 物理的にはそうだろうが謎理論だった。

 確かにそうかもしれないが、代償が大きすぎる。


「それはそうだが、熱中症で倒れるなよ?」

「……熱中症ってさぁ、ゆっくり言うと」

「……言わんからな」

「……ケチ蓮司」


 罵倒と文句を名前の前に入れるの止めてくれないだろうか。

 抱きついているのに熱中症トラップをしかけてくる矛盾は、本当に暑さで頭が溶けているのかもしれない。


「はぁ……仕方ないな」

「うぇぇ?」


 俺の腕に抱きつき歩いたままの早霧を引っ張り、住宅街の道を抜けて大通りへ。

 そのまま道の途中にあったコンビニに入ると中はとても冷房が効いていて天国かと思った。


「すずしいー!」


 入り口で立ち止まろうとする早霧を引きつつ店の中をグルリとまわりながらクールダウン。

 アイスコーナーでバニラアイスを二つ買いながらまた引っ張って店を後にする。

 その間も早霧が腕から離れなかったので会計に手こずったせいか、店員から凄い意味深な視線を送られたのが気になった。

 後ろに人がいなくて本当に良かったと思う。


「暑いけどひんやりだぁ……」


 外に出て、また襲ってくる夏の暑さ。

 それを袋に入れたアイスの冷たさでカバーする幼馴染に腕を抱かれながら、ようやく最初の目的地であるバス停へとたどり着いた。

 屋根付きのバス停は簡易的な小屋のようになっていて、風通りこそ悪いが直射日光から避難するには最適だった。

 中には長いベンチが一つだけ、他に人はいない。それを見てようやく早霧が俺の腕を離して一目散にベンチへと座った。


「蓮司蓮司! アイスだよアイス! 早く食べよ食べよ!」

「……お前よくその暑さ耐性の無さでこの前学校に冬服で来れたよな…」

「へへへ、もっと褒めて良いよ!」

「……やっぱり暑さでやられたか」


 ベンチをバンバンと叩いてくる幼馴染に呆れながら俺も隣に座る。

 待ってましたと言わんばかりに早霧は袋からバニラのカップアイスを取り出してその一つを俺に手渡してきた。


「ありがと!」

「……おう」


 その満面の笑みに思わずやられそうになる。

 反則級の笑顔だ。夏の太陽よりも眩しく見える。

 受け取ったカップアイスは夏の暑さと早霧が押し当てていた頬の体温で溶け始めていた。


「んー! 冷たくて美味しいー!」

「久々に食べたが、良いもんだな」


 ご満悦の幼馴染が木で出来たスプーンを咥えながら感激で頬を押さえる。これだけ喜んでくれるのならコンビニに寄って大正解だと思った。


「え? 蓮司、普段アイス食べないの?」

「ウチは父さんも母さんも菓子類はあまり食べないからな」

「そうなの!? えぇー、でも私が遊びに行った時に出るオヤツは?」

「あれは早霧用に母さんが買い溜めてるやつだな」

「えへへ、そんな……なんか、悪いですなぁ……へへへ……」

「何だその変な笑い方は?」

「じゃあ私が来たおかげで蓮司は美味しいオヤツにありつけるって事?」

「図々しさの塊かお前……」

「うそうそ! 今度蓮司のママにお礼言うよ!」

「ああ、きっと母さん喜ぶと思うぞ」


 平和だ。

 喧嘩しているとは思えないぐらい平和だ。

 そもそも喧嘩なんてしたくない。言ってしまえば意地の張り合いだ。こんなに機嫌が良いならもしかしたら真剣に説明すれば聞いてくれんじゃないかって思うけどそれはしない。

 何故なら泣いて別れた早霧がきっと悩んで悩んで出した答えが喧嘩でありキス我慢対決なのだから。

 

 言葉にしたら馬鹿馬鹿しいが、どちらの想いが強いかをハッキリさせる良い機会だった。負ける気は全く無いが、もし負ける時は後悔の無いように全力で挑みたいと思っている。


「あ、蓮司。口にアイスついてるよ?」

「ん? まあ半分溶けてるからな、ここか?」

「ううん反対の方」

「ああ……どうだ?」

「あ、広がった」

「くそ、手ごわいアイスだな」

「待って、動かないで……」

「えっ?」


 不意に、隣から影が差した。

 座っていた早霧が俺の肩に手を当てて立ち上がる。

 そのまま俺の顔を覗き込み、小さな口を開けて俺の口元に――。


「…………」

「…………」


 ――触れる手前で、止まった。

 目の前にある淡い色の瞳が、徐々に見開かれていく。

 小さく漏れた吐息が唇に触れ、バニラアイスの甘い香りが漂った。


「……な、なーんてねっ! び、ビックリした!?」

「……あ、あぁ」


 バッと跳びはねるように離れた早霧が自分の口を手で隠して大げさに笑う。誤魔化しているようで顔が真っ赤なのは何も隠せていない。

 かくいう俺も心臓が跳びはねそうなぐらい鼓動を鳴らしていた。


「…………」

「…………」


 お互い無言になって、隣に座りあう。

 バスはまだ来ず、手には溶けかけのカップアイス。


「あ、あぶなかったぁ……」


 顔を逸らし、隣でボソッと呟く早霧の独り言は全部聞こえていた。


 そして俺も、危なかった。

 キスをしないと宣言してから不意に訪れたキスの未遂。

 それは普段しているキスよりも俺の胸を高鳴らせ、このドキドキが聞こえてしまうんじゃないかって……バスが来るまでの間ずっと頭の中で悶えていたんだ。

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