第80話 「……キスして良いよ?」

 短すぎる気まずい再会で早霧が我が家にやってきた。

 お互いに勝つと啖呵を切って別れた筈なのに一時間ちょっとで帰ってきた時の心境は、両親が旅行に行っていきなり二人きりになったという状況も相まってとても複雑である。

 

 リビングに用意されていた朝食を特に会話なく食べ、何を話したら良いんだと考えまくったせいであまり味がしなかった。

 もう家にはいない父さん母さんに心の中でやり場の無い文句を言いつつ食器を洗い、部屋に戻る。

 エアコンをつけっぱなしで来たので俺の部屋は快適だった。


 さて、問題は最初っから付きまとっているこの気まずさである。

 キスを我慢するだけでこんなに緊張感が走るのかと思いながら俺は、いや、俺達は――。


「……なあ、早霧」

「……んー?」

「……何で、くっついてるんだ?」


 ――めちゃくちゃ、くっついていた

 部屋の隅にある俺のベッドの上、壁に寄りかかって足を伸ばす俺の間にスッポリと早霧が収まっている。

 それも背中を俺に預けて全体重で寄りかかってくるものだから冷房が効いた部屋でも温かくて柔らかい。

 さらに頭が真下にあるものだからその綺麗で長い白い髪からこれでもかってぐらいにいい匂いが漂ってきていた。


「……優しいでしょ?」

「いや意味分からんが」


 振り向かずに喋った早霧の声だけが聞こえる。得意気な声だった。


「私の顔見ちゃうと蓮司がキスしたくなると思って。これなら顔見えないでしょ?」

「そんな節操なしじゃないぞ俺は」

「どーだろーねー?」


 後ろからその白い頬をつねってやろうかと思った。

 確かにこの状態なら顔は見えないが、その代わりに密着しっぱなしである。身体の前部分ほぼ全てに早霧が触れているんだ。もちろん衣服こそ着ているが、なんていうかラブラブなカップルが同じ風呂の中に入っているみたいな構図だった。


「私が本気出せば蓮司なんてイチコロだけど、それじゃ勝負はつまらないでしょ?」


 真剣勝負に楽しさを求めるバトルジャンキーである。


「……それはこっちのセリフだな」


 だからとりあえず乗ってやった。

 確かに早霧の言うとおりこの状況ならキスのしようが無いからである。


「ふーん……?」

「うおっ!?」


 面白そうな声。

 その後に両手が伸びて、下から俺の後頭部に回される。とても器用だ。そのまま俺の胸に寄りかかった早霧が顔を上げる。


 淡い色の瞳が、逆向きから俺を見つめた。


「私の事、好き?」

「な、何だ急に!」

「……答えてよ」

「……あ、ああ。好きだぞ」

「……可愛いって、思う?」

「……そりゃあな」

「……本当に?」

「……本当だよ」

「……キスして良いよ?」

「誰がするか」

「チッ!」

「下手くそかお前は!?」


 もうちょっと情緒というか、こう、何かあるだろう。

 話題の誘導が急カーブだった。

 ていうか舌打ちするんじゃない。


「……いけると思ったんだけどなぁ」

「よくそれでイチコロとか言えたな」

「…………」

「無言で頭突きやめろ!」


 後頭部を浮かせて俺の胸元にゴスっと叩きつけてきた。

 バトルジャンキーでバイオレンスな幼馴染である。


「じゃあ、だっこ」

「……は?」

「は? じゃなくて、だっこ」

「いや……は?」


 今度は何を言い出すんだコイツは。

 突拍子も無い事を言い出したのはもちろんだが、首が痛くなってきたのでそろそろ俺の後頭部に回した手を離してほしい。


「作戦が失敗した早霧ちゃんは深く傷つきました。だからだっこしてください」

「説明されても理解できないし、それですると思ったのか?」

「キスじゃなきゃいーでしょー!」

「ばっ! おまっ! 暴れるな! 首っ! 首がっ!?」


 俺の間にスッポリと収まり下から手を伸ばして後頭部を掴んでいる早霧がジタバタと暴れ、その度に俺の首が後ろから下に引っ張られていった。


「分かった! 分かったから! それやめろ! 首とか背中とか腰とかが大変な事になる!」

「よきにはからえ」

「くすぐってやろうか?」

「ごめんなさい」

「よし」


 調子に乗った幼馴染がすぐに黙った。くすぐりの力は偉大である。


「……ていうかだっこって、あのだっこか?」

「あのだっこじゃなくて後ろから抱きしめてくれるだけで良いよ」

「何で上からなんだお前」


 まあ文句は言ってもやるんだが。

 損はしない、むしろ得だらけである。


「ならもうちょっと姿勢を正せ」

「え? このままじゃ駄目なの?」

「俺の手の位置的に早霧の胸を抱く事になるが?」

「背筋ピンッ!」


 めっちゃ姿勢が良くなった。

 多分早朝の奇襲と胸を揉ませたのは勢いあってのものだったのだろう。ある程度冷静になった早霧だとそれは恥ずかしいらしい。

 背後から女子の、早霧の大きな胸を揉むなんて……男の、俺の夢ではあるがこの状況でそんな事をしたらいよいよ歯止めが効かなくなるだろう。

 もうこんな状況ならと本能の一部が暴れている気がするが、こんな喧嘩中にそんな事になればお互い傷つくだけだ。


 俺は、ちゃんと恋人になってからそういう事がしたい。


「……手、回すぞ?」

「……うん」


 まあ、後ろから抱きしめるぐらいは……キスよりもマシじゃないだろうか。


「……蓮司」

「……何だ?」

「……もうちょっと強く」

「……これぐらいか?」

「あっ……うん」


 喧嘩と真剣勝負をしているとは思えないムードだ。


「……蓮司」

「……今度は何だ?」

「……キスして良いよ?」

「だから下手くそかお前は」

「チッ!」


 ぶち壊しだよチクショウ。

 俺の幼馴染は駆け引きがとことん雑だった。

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