第74話 「――――」
「え、舌って、お前それは……」
舌を出して。
その甘い声に俺の心が全力でぐらついた。けれど最後まで崩れ落ちなかったのは、それが以前、早霧が駄目だと言ったからで。
「親友じゃ、いられなくなるって……」
「だ、だって……」
だって。
そこから続く言葉は無く、俺を見つめる瞳が逸らされる。
「……良いのか?」
「……うん」
深く聞かない俺は本当に甘いなと思った。
いや、もしかしたらここで聞く方が野暮なのかもしれない。
一度断られたのは間違いない。しかし早霧がしたいと言うのならそれを叶えてやるのが俺である。
決してこれからする事を期待している訳ではない。そう、決してだ。
思わず生唾を飲み込む。
さっき飲んだぶどうジュースの味がした。
「私が、蓮司の舌を……食べるだけだから……」
「…………」
……だけ、とは?
絶句する俺と、顔がどんどん赤くなっていく早霧。昨日部室で俺の膝に座った時といい、無理しなければいいのにと思ってしまう。
誰がどう見たって羞恥心のキャパシティを超えているじゃないか。
だがそれはもちろん俺も同じだ。
これから俺は早霧に舌を食べられるんだぞ?
言葉だけだととても猟奇的に思えるが、そんなの好きな人の前では無力だった。
ていうか食べるだけって……その理由でいけると思っているのかコイツは?
「ほ、ほうは……?(こ、こうか……?)」
それでいけてしまうから、俺はチョロいのだろう。
ていうかこれ、ヤバいんだが……凄く恥ずかしいんだが!
今、俺の顔……どうなってるんだ!?
「うわ、うわぁ……」
「はひひ!?(さぎり!?)」
そんな俺を見て思わず声を漏らした早霧を怒っても良いだろうか。
お前がやれって言ったのに、うわぁ、はないだろうが。
「すっごくエッチな顔してる……」
「ふぁっ!?(ふぁっ!?)」
何言い出すんだお前!
やらせたのお前だからな!?
「……ふーっ」
「わをぉっ!?」
舌に息をかけてきた。
その涼しいとも暑いとも言えないくすぐったさだけで、俺の身体は大きく跳ねた。
「さ、早霧ぃ!!」
「わわっ、ごめん、ごめんってー!!」
流石に耐えられなくなって口を閉じて、目の前で寝転がっている早霧の顔に手を伸ばす。しかし早霧もただやられる訳が無く両手を使って俺の猛攻を防いでいた。
「……ったく、次やったら仕返しするからな」
「……もうしてるじゃん」
「……お前の舌に息をかけてやるって言ってんだよ」
「…………エッチ」
「人のネクタイを引っ張るんじゃない。ていうかエッチ言うな」
クイクイと猫がネコジャラシを弄るように俺のネクタイが引っ張られている。突き放すような言動をしながら近寄らせている行為をしているのは本当に謎である。
「……ほら、早くしてくれ」
「……うん」
そして俺も怒りながら、口を開けて舌を出すんだから大概だ。
お互いの足が絡まる程に近いのに、もっと早霧が近づいてくる。
もうキスの距離。
だけど今回は唇ではなく、舌だ。
「じゃ、じゃあ……」
早霧の息遣いが、舌に触れて。
「い、いただきます……」
律儀にそんな事を言ってから。
「……あむっ」
「っ!!??」
柔らかな唇が俺の舌を挟んだ瞬間、頭の中に閃光が走ったんだ。
「……ぁっ」
本能がヤバいと警鐘を鳴らし、舌を引っ込めようとするがそれを柔らかな唇が逃がさない。先端から、もっと奥を咥えられて。
「……ん、やっ……ば……」
その結果、意図せずとも俺の舌は早霧の口の中に侵入していった。その生暖かさと震える吐息が当たる度に、俺の思考がチカチカと点滅をしていく。
「……ふぅー……はぁー……」
早霧もマズいと思ったのか口を開けて一度離れた。ちょっと舌を咥えただけなのに、長いキスの後よりも息が乱れている。
解放された俺の舌が外気に触れて、冷房によってひんやり感じた。
それなのに頭が高熱に犯されたかのようにボーっとしている。それは早霧も同じらしくて、トロンと垂れた瞳で俺を見つめていた。
「……んべー」
いや、正確には俺の舌を。
何を思ったのか、何も考えられないのか、早霧は俺と同じように口を開けて舌を出した。
口を大きく開けて舌を伸ばすその顔は確かにとてもエロい。そのエロい顔がゆっくりと近づいてきて。
「……れろ」
――舌と舌で、キスをした。
唇よりも敏感で、唇よりも硬く、唇よりもザラザラしている。
なのに唇よりも気持ちいい。
舌を下から舐めあげられた刺激で頭がどうにかなりそうで、でももっと舐めてほしくて。
「……んっ……ちゅぅ……れろっ……ちゅるっ……」
舐めて、舐められて、挟んで、絡めて、逃げて、追って、重なり合う。
お互いの境界線が無くなり一つになったかのような幸せな錯覚が、舌で触れ合う度に襲ってくる。
唇を貪り、舌を絡め、相手を求めて、吐息が混ざり、唾液が音を立て、思考が乱れた。
「……れんじ……んちゅ……れんじ……れんじっ……!」
「……さぎっ……んぅぁ……さぎり……さぎりっ……!」
頭が壊れないように馬鹿になって相手の名前を呼び求める。
名前を呼ぶだけで気持ちいい、声を聞くだけで気持ちいい、快楽に溺れる獣のように本能が理性をかき消していく。
「……やだ……んぁ……もっと……れんじぃ……」
当然のように絡んでいた足がまるで蛇のようにその力を強め、寝転がりながら強引に回された腕が互いの身体を引き寄せ密着させて。
「……れんじ……やぁ……すき……れんじ……すきぃ……」
まるで子供に戻ったみたいに甘えた声で舌をねじ込んでくる幼馴染の言葉に俺は。
「……ああ……おれ、も……」
俺は……ゆっくりと舌を、唇を離した。
このまま流されるだけじゃいけないと……思ってしまったんだ。
「……れん、じ?」
潤んだ瞳の火照った顔で早霧が俺を見つめるが、頭の中は何故か冷静だった。
「なあ、今、好きって……」
「え、あ、うん……好き、だよ?」
違う。
やけに鮮明に冴えた思考がそう言った。
「俺も、早霧の事が好きだ……」
「えへへ、うん、私も……」
違う。
好きだ、って早霧はずっと前から言っている。
「本気なんだよ……」
「えっ?」
違う。
早霧の好きと、俺の好きは。
「俺は本気で……」
「れ、蓮司……?」
違う。
早霧を好きになる度に、近づく度に、心の何処かでずっと思っていた。
「本気で、早霧が……!」
「わ、私も本当に……」
違う。
早霧が告白されるって言ってからずっと不安で、あの時に俺への想いを聞いて本当に嬉しかったんだ。
「なら、だったら……!」
違う。
早霧のしたいようにさせたいと言いながら、俺が、本当に望んでいたのは。
「親友【なんか】じゃなくて、俺は早霧と恋人になりたい!」
違う。
親友という免罪符を使わずに、正直に心から好きと言える関係になりたい。
好きという言葉が切っ掛けで、今まで考えないようにしていた想いがまるで決壊したダムのように飛び出していく。
一度曝け出した気持ちは、もう自分では止める事が出来ない。
「だから、だから俺は、俺、は……?」
そう、自分では。
「――――」
淡い色の瞳が見開かれ、絶望に染まっていた。
「――し、て?」
違う。
絞り出した声が震えに震えていた。
「――どう、して?」
違う。
潤んでいた瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれていく。
「――どうして、そんなひどいこというの?」
違う。
俺が見たかった顔はそんな顔じゃないのに。
「――ね、ねえ」
違う。
そう、違った。
「――し、しんゆう……?」
今の俺と早霧の親友に対する考え方は、何もかもが……違ったんだ。
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