第71話 「うん、大好きだよ!」
「す、あ……か、顔……上げて、ください……」
たった今告白をして断られた少年が、震える声で早霧に声をかける。
きっと彼の頭の中はグチャグチャだろう。それなのに断った早霧の前では冷静でいようとするその姿はとても好感が持てた。
早霧が告白されるのが嫌で心配だから見に来たのに、気がつけば恋破れた後輩の名も知らぬ少年に同情していたなんておかしな話である。でもそれは告白が本気のものだったからに違いなかった。
「うん。ごめんね」
「い、いえ……」
そしてそれは覗いて見ているだけの俺達よりも目の前で告白を受けて断った早霧の方が間違いなく感じている筈だ。隠れている俺達はこの場においては部外者で、黙って見ている事しかしてはならない。
「あ、あの……先輩……」
「うん、何かな?」
告白は失敗に終わった。
時間というのはずっと続いていて失敗したからはい終わりという訳にはいかない。
このまま別れの言葉を言って終わらせる事も出来ただろうが、それを少年は選ばなかった。
「せ、先輩の……その……」
「うん」
必死に少年は言葉を続けて、早霧はそれに相槌をうつ。
「好きな人って……どんな人、ですか……?」
「え、えっ?」
しかしそれは予想外の質問だったみたいで、真剣だった早霧の声音が崩れた瞬間だったんだ。
「す、すみません……こ、断られたのに変な事を聞いちゃって……」
「う、ううん。私が断ったんだもん。君には聞く権利がある、はず?」
どうして疑問系なんだそこで。
「え、うーん、そうだなぁー……」
「あ、あの……言いにくかったら別に大丈夫ですから……」
「ううん、大丈夫だよ」
「え、大丈夫って……えっ?」
大丈夫に大丈夫で返す奴がいる。早霧である。
もう完全にいつもの早霧だった。
腕を組んで考える早霧に質問をした側の少年が困り出すという変な状況が生まれている。とてもさっきまで告白をしていたとは思えないような、緩い空気だった。
「――大切な、人だよ」
けれど早霧は、その自分が作り出したそれをたった一言でまた変える。その声を聞いた少年が、草壁が、そして俺が全員揃って息をのんだ。
「嬉しい時も悲しいときも、楽しい時も悲しい時も、怒った時や寂しい時でも昔からずっと一緒にいてくれるんだ。私がどんなにワガママや酷い事を言っても、自分の事より私を優先して隣で笑ってくれるの。君が私のおかげって言ってくれたみたいに、今の私がいるのも……彼の、おかげだから……」
胸がキュッと締め付けられる想いだった。
これは少年に同情したのではなく俺の気持ちだ。
俺と早霧は幼馴染である。
ずっと一緒にいて、距離が近い。近すぎるからある程度の事は言わなくても伝わるし、よっぽどの事が無ければ言わないぐらいには互いを信じきっている。
だから……そんな事を想ってくれていたのかと、俺は気がつけば何かに耐えるように自分の下唇を噛んでいたんだ。
「そ、その人の事が本当に……好き、なんですね……」
「うん、大好きだよ!」
それは屈託の無い満面の笑みだった。
俺は見返りが欲しくて早霧とずっと一緒にいたんじゃない。幼馴染で、外に出れないのが可哀想で、力になりたくて、笑ってほしくて一緒にいただけである。
それなのに、それなのに……その言葉を聞いた瞬間に何かが弾けた。
思わず茂みの中から見上げたいつもの夏の空が、こんなにも青く晴れ晴れとしているんだなと、弾けた何かが胸の内にストンと収まるような、不思議な感覚だった。
「あっ……」
鮮明になった思考に入り込んできたのは少年の吐息に近い声で。
「えっとごめんね? 君が呼んでくれたのに私が好き勝手喋っちゃって」
「だ、大丈夫です……その、敵わないなって、分かったんで……」
「えっ?」
「…………先輩! お、お時間いただき、ありがとうございました!!」
その声が、急に張り上げられた。
「ぼ、僕……他の一年にも言っておきますから! 先輩には長年ずっと大好きな、他の人が入る余地が無いぐらいに大好きな人がいるって!!」
「そ、そんな事しなくていいよっ!? ていうか大好きって二回言わなかった!?」
「そ、それぐらいさせてください! こ、断られて、辛くて、悲しいですけど……僕がこうしていられるのも、先輩のおかげですからっ!!」
「ひ、人の話は聞こうか!?」
あの人の話を聞かない早霧が、人の話を聞かない後輩に翻弄されている。
まるで腫れ物でも落ちたような心境の俺はそれを軽く笑いながら覗けるようになっていたんだ。
「僕、バスケ頑張ります! ですので先輩も頑張ってください!」
「しれっと巻き込んだね君!?」
「そ、それじゃあありがとうございました! 皆にはちゃんと聞かせますからー!」
「あ、ちょっとー!?」
失敗した告白の最後は笑顔で。
少年は手を振りながら体育館裏から去って行った。
「……す、凄かったですねぇ」
「…………」
「……ど、同志?」
「……あ、ああ、すまない」
同じ茂みの中で俺を下から見上げる草壁の姿があり、そこで俺はハッと気づく。
そう、これで告白は終わったんだ。真剣な想いのぶつかりあいから、いつもの早霧に戻り、知らなかった早霧の想いを聴けて、何処かスッキリとした少年の暴走で幕を閉じた。
まるで嵐のような出来事に、一人残された早霧は。
「はぁーっ…………」
大きく息を吐き出してその場に蹲ってしまった。顔は下を向いて俯き、ピクリとも動かない。
「……え、ど、同志……八雲さん、どうしちゃったんです?」
「……緊張の糸が切れたんだろうな」
「……こ、声をかけなくて良いんですかぁ?」
「……ああ。そっとしておいてやろう」
「……ほ、本当に良いんです?」
「……待ってるって、約束したからな」
可能なら今すぐ駆け寄って抱きしめたい。何かを言うのではなくただ抱きしめて、彼女を安心させたい。
でもそれは出来ない。それが約束だから。もう既に一つ約束を破ってここにいる。告白が終わった今、これ以上は見てはいけなかった。
「……約束、ですかぁ。あ、でも、八雲さんの気持ちは、分かる気がします……」
「……本当か?」
「……は、はいぃ。わ、私もぉ、昨日……入部のお誘いを断った時はとても苦しかったですからぁ……悪意が無くて、むしろ好意を断るのはとてもとても……辛い、ですよねぇ……」
「…………草壁」
「……な、何です?」
「……ありがとな」
「……ひょえっ!?」
早霧の気持ちを分かってくれて、早霧の気持ちに寄り添ってくれて、自分の事のように考えてくれて、ありがとう。
早霧はこれを今までずっと、一人で繰り返してきたんだ。嫌な顔一つせず、相手の想いを受け止めて断るという苦しい行為を……ずっと。
俺が思っている幼馴染よりもずっと、俺が知っている親友よりもはるかに、俺が守りたかった早霧は……強くなっていたんだ。
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