第70話 「私には好きな人がいます」

 早霧が告白される現場を覗きに……見に行くと決めてからその後は何事も無く時間だけが過ぎていった。

 いつものようにホームルームをして、体育館で全校集会をしてから教室で担任から成績表が配られて夏休みの諸注意の後に放課後となり、あっけなく夏休みになった。


 用事があるというユズルと長谷川と、また部活で会おうと言葉を交わし、早霧に待ってるぞと言って教室を後にする。

 そして昇降口で草壁と合流し、早霧が呼び出されている場所に先回りして俺たちは姿を隠したんだ。


「……なあ、本当にここなのか?」

「……ま、間違いありませんよぉ。あ、明日の放課後に体育館裏に来てくださいって間違いなく言ってましたからぁ……」



 そう、体育館裏である。

 終業式の放課後だけあって部活の音が聞こえず静かなここは、人通りも無く告白するには打ってつけの場所だった。

 そんな王道とも言える空間の茂みの中に、俺と草壁は隠れながら息を潜め、まだ誰も来ていないのに自然と小声で話すようになっていた。


「……い、いざ本番を迎えると、悪い事しているみたいで緊張しますねぇ」

「……覗きは悪い事だからな。無理言ってすまない」

「……ま、まあ私も同志にあそこまで頼まれたら断れませんよ。ですが、そのぉ」

「……何だ?」

「……よ、弱味を見せるのは私じゃなくて八雲さんにした方が良いですよぉ?」

「……何故だ?」

「……お、女の子は頼りがいがあるなぁって思っていた男の子がふいに弱い所を見せるとキュンキュンしてしまいますからぁ」

「……そ、そうなのか?」

「……ですよぉ。わ、私も同志が同志じゃなかったら危なかったですのでぇ……」


 俺が俺じゃなかったらって、どういう事だろうか。

 草壁は同志というか友人である。そこに変な感情が入り込む余地はまるで無いのだが、慕ってもらえている事については悪い気はしなかった。


 でも早霧の前で弱い所は見せたくない。

 だって俺は早霧の為に強くなるって昔に――。


「……あっ! 来ましたよ八雲さんです!」

「……なにっ!?」


 前に夢で見た、昔の決意を思い出そうとした所で草壁が小さく叫んだ。慌てて茂みから覗いてみると、長い白髪の美少女、早霧がゆっくりと近づいてきていた。


「あれ、先に来ちゃった?」


 茂みの中に俺達が隠れているとは知らない早霧は立ち止まると周囲をキョロキョロと見渡している。いつも通りの早霧だが俺がいない時の姿はとても新鮮に感じた。


「……自分から呼び出しておいて、相手を待たせるとは何事だ」

「……同志って将来、お前には大事な娘はやらんとか良いそうですよねぇ」

「……何の話だ?」

「……た、例え話ですよぉ」


 茂みの中で草壁に視線を向けると物凄い勢いで顔を逸らされた。

 言いたい事は山ほどあるが、草壁がいてくれて本当に良かったと思う。俺一人だったら不安と緊張で絶対に押しつぶされていた。

 こうやって気を紛らわせる事が出来るのは話し相手がいてこそで、少しだけ俺の気が楽になった時である。


「せ、先輩っ! お、お待たせしてすみません!!」


 一人の男子生徒が全力疾走で早霧へと走ってきて、それを見ただけで俺の中に緊張が走った。俺が告白される訳じゃないのに、心臓はバクバクである。


「あ、やっほー。昨日ぶりだね」

「ぜぇ、ぜぇ……すみま、せん……先生の手伝いをしていたら、遅れちゃって……」


 急いできたのか、早霧の前で急停止すると肩を激しく上下させている。

 まだ中学生の時のあどけなさが抜け切っていない、童顔の少年だった。

 本当に早霧を呼び出してこれから告白をするのかと疑問に思う程、大人しそうな見た目の少年である。


「ううん大丈夫だよ。それより大丈夫?」

「は、はいっ! あ、ありがとうございます!」


 早霧が覗き込むと、少年は途端に背筋を伸ばした。その顔は一気に真っ赤に染まり、緊張しているのが丸分かりだ。


「……か、彼です。き、昨日会ったの!」

「……見たら分かる」


 俺の隣で草壁が補足をしてくれたが、残念ながらその必要はない。

 誰がどう見ても早霧に惚れている事が分かった。


「あ、えっと、その……来ていただき、ありがとうございます!」

「うん、どういたしまして」

「ほ、本当ならその……昨日お伝えしたかったんですが、その……」

「昨日は部活中だったし、友達もいたからね。気にしないで」

「あ、ありがとうございます!」


 少年は何度も何度もお礼を言って頭を下げていた。

 悪い奴には見えない。

 それはきっとそのお礼と謝りっぷりが草壁と似ているからだろう。


「……お、お友達……へへへぇ……」


 隣からご満悦な声が聞こえたが、俺はもう二人の同行から目が離せなくなっていた。


「そ、その……先輩っ!」


 少年はまた背筋をピンと伸ばし、真っ直ぐに早霧を見つめる。それはどう見てもこれから言うぞという前準備で、隠れて見ている俺にも緊張が走った。


「あの時は、ありがとうございましたっ!!」


 しかし、それは告白ではなかった。

 少年の口から出てきたのは、またしてもお礼の言葉。

 それも今までで一番深く、そして長く長く少年は頭を下げたんだ。


「ううん、私は何もしてないよ?」

「そんな事ありません! 先輩が僕の背中を押してくれたおかげで、バスケ部に入る勇気が出ましたし友達も出来ました! 今は毎日が楽しいんです!」

「大げさだよ。頑張ったのは君でしょ?」

「それでも! 先輩の言葉が無かったら、僕は多分今も一人ぼっちだったと思います! 先輩には本当に感謝しているんですっ!!」


 そう言ってまた何度も何度も、少年は頭を下げる。その声音は明るく、何も知らない俺にも嬉しさが伝わってきていた。


「……す、凄い感謝っぷりですねぇ」

「……ああ、そうだな」

「……な、何があったか知ってます?」

「……俺が知る訳無いだろ。顔を見るのも初めてだぞ?」


 そう、俺は何も知らない。早霧と少年に何があったかも、何処で会ったのかも、どう背中を押したのかも、何も。

 これは俺の知らない、幼馴染ではなく一人の少女としての早霧の日常の話だった。


「そ、それであの、今日お呼びしたのはですね、お礼を言いたかったのとは別に、えっと、もう一つ、つ、伝えたい事が、ありまして……!」

「うん」


 そしてお礼から一変、少年の雰囲気が明らかに変わった。

 お礼を言っていた時の流暢な言葉遣いから、途切れ途切れの、繋ぎ合わせた言葉へと変わっていく。

 誰がどう見ても緊張して見えるそれは、隠れている俺ですら見ていられなくなる程だった。


 それでも早霧はその続きを聞くべく、静かに頷いて言葉を待っていたんだ。


「ぼ、僕は……せ、先輩のっ、事が……」


 少年は真っ赤な顔で前を見て。


「そ、その……っ!」


 意を決し、言葉に詰まりながらも言葉を続けて。



「う、運動が苦手で引っ込み思案だった僕がっ、バスケ部に入れて友達が出来たのはっ、全部全部あの日先輩が僕の背中を押してくれたおかげですっ! あ、あの時からずっと! 先輩の事が好きでした! ぼ、僕と付き合ってくれませんかっ!!」



 ――今ある想いを全部、早霧にぶつけたんだ。


 誰かの本気の告白を見るのは初めてだった。

 早霧と一緒に見たゾンビ映画でも命がけの告白まがいの事はしていたが、アレは作り物である。

 今こうして一人の少年が真剣に自分の想いを伝えようとするその姿は、紛れも無い本物だった。


「…………」

「…………」


 二人の間に沈黙が流れている。

 告白をして頭を下げたままの少年と、それを受け止めて見つめる早霧。

 それはきっと、少年にとってこの世界で最も長い一瞬の静寂だった。


「ありがとね」

「は、はいっ!」


 そしてその静寂を破って、返事を返すのは早霧の役目だった。

 告白を受け止めた早霧のお礼の言葉に、少年は目を見開きながら顔を上げる。


「君にお礼を言ってもらえて、本気で好きって言ってもらえて、凄く嬉しい」

「あ、ありがとうございますっ!」


 その言葉を聞いて少年の顔がパアッと明るくなった。


「でもごめんなさい」

「えっ……」


 しかしそれは一瞬の事で、今度は早霧が頭を下げると少年の顔が一気に曇っていく。

 早霧はゆっくり顔を上げると少年と同じように背筋を伸ばし、いつもとは違う真剣な口調で言葉を続けた。


「君の気持ちは本当に嬉しいです。でもごめんなさい」


 少年が何度もお礼を言ったように、早霧は何度も謝っていく。

 それは一人の人間の想いを真剣に受け止め、受け止めた上で断る事だったから。


「私には好きな人がいます」


 嘘偽り無い言葉で、目の前の少年を傷つけると分かっていても、それでも想いを伝えてくれた相手に誠心誠意の気持ちを持って返事をする。


「だから君の気持ちには答えられません。ごめんなさい」


 そう言って早霧は、もう一度深く頭を下げる。

 それは一人の少年の、一つの恋を終わらせた瞬間だった。

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