第68話 「待っててくれる?」

 二人きりの部室でキスをした。

 夕暮れが差し込む視界を閉じて唇を重ねて、その熱と柔らかさを確かめるように。唇を通して大きく揺れ動いた早霧の震えが徐々に弱くなり、唇だけじゃなくて俺の背中にも手を回してきた。

 触れ合う身体の温かさを感じるのに比例して回す手の力が強くなっていく。お互いに離さないように、離れないように、強く、強く、強く。

 それでも唇は重ねるだけだ。それ以上はいかない。映画やドラマ、アニメや漫画のようにそこから互いの愛を確かめ合うような、舌の絡めあいは起きなかった。


 だってこれは親友の為のキスなのだから。


「……ぁ」


 ゆっくりと唇を離すと小さな吐息が彼女からこぼれた。淡い色の瞳が開かれて熱のある視線を俺に向けている。


「少しは元気になったか?」


 我ながらとんでもなくクサいセリフを吐いているなと思った。キスをしてこんな事を言う奴なんて、とんだキザ野郎である。でも他に言葉が見つからないのは、俺と早霧にとってキスが日常的なものになったからなのかもしれない。


「……まだ」

「……そうか」


 なら仕方ないなともう一度、唇を重ねた。ぶどうの香りがするのは昼に飲んだジュースのせいで、気持ちが安らぐのは間違いなく彼女のせいだった。


「……れん、じ」

「……あ、あぁ」


 次に唇を離した時、俺達はどちらも息を切らしていた。息をする時間が惜しくて、ただ相手を感じていたくて、ただ唇を重ね続けて、限界を迎えて、離れていく。


 触れ合うだけのキスが深くないと誰が決めた。


 そんな事は無いと俺は思う。それを証明するのはこの関係そのもので。


「んぅっ!」


 また唇を重ねた。

 今度は強く、ぶつかるように、片方はそれを受け止める。息も絶え絶えのそのキスはすぐに終わって。


「れんじ……んっ……れん、じっ……んんっ……」


 次第に早霧の方からキスをしてくるようになってきた。俺の名前を何度も呼びながら、そこにいる事を確かめるようにキスを繰り返す。

 それはどう考えても先ほどまで懸念していた一方的な甘え方に他ならないが、こんなに可愛い甘え方をされて拒む奴なんていないだろう。

 

「れんじ、れんじ、れんじっ……!」

「まっ、ちょっと、ま、待て!」


 そう思った矢先、キスがどんどん激しくなってきてしまった。

 ただ触れ合うだけだったキスが、湿り気を帯びてきた唇によってチュッ、チュッとリップ音を奏で出す。本当にこんな音するんだと感動する暇は無く、本能的にヤバいと感じて逃げようと後ずさるが。


「れんっ……待って!」

「うおわっ!?」


 それを許してくれる幼馴染じゃなかった。片足を浮かせた瞬間に引っ張られてバランスを崩す。幸いにも背後には机があったので、机の上に座っただけで済んだ。

 

「んっ……んぅ……はむっ……んふぁ……んんっ……」

「さ、さぎり……」

「もっと……んっ……もっとぉ……」

「さ……んぅ……」


 しかしこれ幸いにと早霧がキスを繰り返していく。さっきまで立っていたので軽く背伸びをしていたキスが、俺が机に座った事により背中を丸めるキスに変わった。

 下から上に変わっただけで勢いが段違いで、より前傾姿勢になったせいで止まる所を知らない。

 誰がどう見ても親友とかいう一線を越えまくっているキスの嵐に、俺の頭もそんな禁忌的な気持ち良さに溶けていきそうだった。


 そんな時である。


『キーンコーンカーンコーン……キーンコーンカーンコーン……キーンコーンカーンコーン……キーンコーンカーンコーン……』


「……あっ」

「……あぁ」


 リップ音と互いの吐息だけが支配する狭い部室という空間に、学校中をかき鳴らすチャイムの音が鳴り響いた。

 一音一音鳴る度に、熱と親友に犯されていた思考が冷めていく。それは早霧も同じようで、永遠にも感じられる短いチャイムが鳴り止む頃には俺の背中に回した手も離れていった。


「…………ごめん」

「…………いや、俺こそ」


 冷静になった俺達に待ち構えていたのは特大の気まずさだ。早霧は俺から離れ赤く染まる顔を手で隠し、俺も机に座りながら関係ない方向を向く。

 もしチャイムが鳴らなければどうなっていたのだろうと、見慣れた部室の中を見て思っただけに終わらずに……思考はグルグルと回転していって。


 ――恋人なら、こんな気まずさも無いんだろうなと思ってしまった。


「……元気、出たか?」

「……うん、ありがと」


 でもその気持ちに蓋をして、自分自身を誤魔化すようにさっきと同じ質問をする。もしこれでまた、まだと言われたらどうしようかと思ったが今度は本当に大丈夫そうだった。


「……唇、食べちゃったね?」

「や、やめろ! 思い出させるな!」


 やっぱり大丈夫じゃなかった。

 互いに夢中になって、キスの途中に自分の唇で相手の唇を挟むという行為に至ってしまったんだ。貪ると言っても良いかもしれない。

 親友的にはとてもグレーゾーンだと思うが、してきたのは早霧の方からなので多分大丈夫だと思う。

 思い出すと顔が爆発しそうになるぐらい熱くなるので、やっぱり大丈夫ではない。


「……ねえ、蓮司」

「……今度は何だ?」


 火照った顔を悟られまいと逸らしていた視線を戻そうとして。


「――んっ」


 唇が、触れ合った。

 けどそれは先ほどまでのような互いを求め合うような熱のあるキスではなく、一瞬触れるだけの優しいキス。

 それなのに俺の胸が一気に高鳴っていくのは、きっと恥ずかしそうな幼馴染の顔を見ているからだろう。


「ありがと」

「お、おぉ……」


 どういたしましてすら言えないぐらい、良い意味で胸が苦しかった。ただお礼を言われただけなのに俺の心臓は破裂しそうなレベルで鼓動を刻んでいる。

 早霧が差し伸べてくれた手を掴んで、ゆっくりと机から降りて立ち上がった。俺の手を通して震えと鼓動が伝わっていないだろうかと不安になる。多分、手汗とかめっちゃヤバい。

 さっきまでキスをしまくった相手とは思えない緊張の仕方だった。


「明日、さ」

「さ、早霧っ!?」


 だから正面から抱きつかれて、胸元に顔を埋められただけで驚いてしまう。俺の感覚はバグリまくっていて。


「明日!? 明日は終業式だな!?」

「待っててくれる?」


 慌てふためく俺とは対照的に、抱きついたままの早霧は淡々と言葉を続ける。

 そう、淡々と。


「……待つって? 朝、一緒に行くか?」


 けれどその言葉のどこかに、ついさっきまでと同じ違和感のようなものを感じたおかげで冷静になった。

 そして頭のどこかに引っかかるものがあって。


「ううん、放課後……いつもの公園で。すぐに行くから……」


 それは、その嫌な予感は見事に的中してしまう事になる。

 俺が早霧を公園で待つ、その意味は。


「明日、告白で呼ばれてるんだ……」


 幼馴染は学園一の美少女で、よく告白をされるんだ。

 それが一学期の終わりで夏休みの始まりともなれば、あわよくばと思う者もいるだろう。これまでも、去年も大勢いたし、それを全部断ってきていた。

 行かなければ良いのにと思う。それでも勇気を出して告白をする相手をむげに出来ないと、優しい早霧はちゃんと足を運んで自分の意志で断っていたんだ。

 そして必ず俺の待つ公園に笑顔で来るので、俺はいつもの事みたいにぶどうジュースを飲んで待っていた。


 今までと変わらない、それこそキスをするようになってからもあった事なのに。


 それを聞いた俺の胸の鼓動はすっかりと息をひそめ、新しく生まれた、晴れる事のないモヤモヤに包まれていたんだ。

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