第55話 「どうして?」
汗で濡れた幼馴染の素肌をタオルで拭くだけ。
言葉にすれば単純な行為がとても難易度が高いものだという事を俺は嫌という程に学んできた。いや、嫌ではないが……他にそれを表す言葉がなくて。日本語と言うのは本当に難しい。
「す、すまない……」
「う、ううん……ちょっと、ビックリしちゃっただけだから……」
上半身裸の、半裸と言っていい状態の早霧がか細い声で首を横に振ってから俯いて前を向いた。
細い背中が丸まり、ただその後ろ姿が俺の前に佇んでいる。続く言葉は無く、拭かれるのを待っているというのが分かった。
「じゃあ、拭くからな……」
返事は無くただ小さく頷いて。そんな反応をされるから余計に俺の胸はドキドキで高鳴ってしまう。それがこの静寂の部屋の中だと聞こえてしまうんじゃないかという不安を隠すように、俺は手に持ったタオルを華奢な肩に当てた。
「ひぁっ!?」
それだけで細い身体がビクッと震えて、言葉は悪いが可愛らしい悲鳴を上げる。しかし今度はタオルを離さずに肩に押し当てたまま、絹のようにきめ細やかで綺麗な肌をなぞっていく。
「んんっ……」
肩。
身をよじる。
「ひぅ……!」
うなじ。
背筋がピンと伸びた。
「ひっ……うぅー……!」
背中。
こぼれる声を、口を押さえて我慢。
「んぅぅ……ふぁ……っ!?」
わき腹。
我慢しきれず、高い声が漏れた。
「……はー……はー……」
そして、腰。
汗を拭いているのに、俺の方が汗をかく。それも熱を持った冷や汗という矛盾の塊みたいな汗を。
早霧の呼吸が早く、荒い。いや多分、俺も同じだった。
「……くすぐったいの、弱いんだな」
「……蓮司の……せい、だよ……」
だから思ったことがすぐに口に出てしまう。それに対して、息も絶え絶えに返事があって。
「……くすぐられた事、ないもん」
「……すまん」
拭いてあげたのに怨めしそうな声がしたので、謝った。
くすぐりなんて、俺もしたのは小学生以来である。いやこれはくすぐりではないが、それに順ずる行為は子供の時にやるのが主だろう。
しかし早霧は子供の時、病弱で外にすら出られない日々が続いていた。身体が良くなっても無理は出来ないしさせられないと暗黙の了解から周囲と距離があって、くすぐりなんてもっての他である。
そしてそれは幼馴染の俺だって、同じで。
「あ、ありがと……」
「え?」
「身体、拭いてくれて……」
「お、おぉ……」
くすぐりでお礼を言われたのかと思って焦ったのは秘密だ。
流石にここにきて新しい幼馴染の癖的な一面を垣間見るのは俺の心のキャパシティが持たない。
ただでさえ半裸の状態で会話をしているんだ。俺と早霧の関係じゃなきゃとっくに理性は限界になっていると断言できるぐらいに俺も限界だった。
「…………」
「…………」
最近、沈黙が増えた気がする。
だってこんな状況で何言ったら良いかなんて分からないから。半裸の幼馴染を前にして、気の利いた言葉なんて思いつかなくて。
「……ねえ、親友」
だから、まさか早霧から切り出されるとも思っていなくて。
「な、なななっ……何だ!?」
そしてその声音が、いつもの熱を帯びたアレだと気づいた瞬間に俺の頭は警鐘を鳴らしていた。
まさか。まさかまさかまさかまさかまさか、今この状況でまたキスとか前も拭いてとか言い出さないよな早霧っ!?
「どうして?」
「……え?」
けれど早霧は振り返る事もキスをねだる事もなく、ただボソッと呟くだけだった。
「どうして蓮司は……そんなに優しいの?」
「……早霧?」
熱を帯びていた筈の声が、震えに変わる。
早霧の様子がおかしい。顔を見なくてもそれは一目瞭然だった。
「……蓮司は私のお願い、全部聞いてくれるよね?」
「……お前のお願いだからな」
そんなの今さら過ぎる。子供の時から俺は早霧の力になりたかった。それが今は少しだけ形を変えたが、本質はそのままだ。
「でも、私……蓮司のお願い、聞いてあげられなかった……」
俺のお願い。それはきっと、昨日の出来事だろう。俺が今以上の関係を求めて舌を入れようとして断られた事である。
あれは俺の失敗で……親友じゃいられなくなるからと早霧が言ったんだ。
キスをして、ベッドで抱き合い、汗ばんだ身体を拭くような関係になっても崩したくない親友という関係。
自分で言ったのに、それについて悩む……ワガママの極致のような困った親友だ。
「……それを考えていて、寝れなかったのか?」
「…………うん」
本当に、コイツは。
俺が納得したというのに、自分で言った言葉に自分で縛られて自分で苦しむなんて、ああもう本当に、本当に……!
「優しいな、お前は」
「…………へっ?」
早霧はどうしようもなく自分勝手で、どうしようもなくワガママで、どうしようもなく、愛おしい。
そんな親友の身体を、俺は後ろからそっと抱きしめたんだ。
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