第38話 「手、つなご?」

「蓮司のママ、すっごい笑顔だったね……」

「言わないでくれ……」


 左手で顔を覆いながら天を仰ぐ。

 祝日の朝、閑静な住宅街の道を照らす朝日は憎たらしい程に夏真っ盛りの青空を作り出していた。


 思い出すのは地獄だった朝の食卓である。

 今まで見た事のない笑顔の母さんがバシバシと俺の肩を叩いていた。

 テーブルにはトーストとジャムとサラダと目玉焼きとコーヒーと、トーストが並んでいた。もちろん一人分の食事である。

 何でトーストが二枚あったのかは分からない。朝は弱いのであまり食べない俺にとっては二重の意味で辛い食卓だった。


「…………」

「…………」


 気まずさ全開のまま、俺と早霧は誰もいない通学路の道を進む。

 先週から続く気まずさは朝のベッド事件によって上書きされた。無かった事には出来ないのが現実である。

 俺からキスした事も、一緒のベッドでキスしようとした所を母さんに見られてしまった事も、全部事実なのだ。


 ……穴があったら入りたい。

 今風に言うのなら、消えたい、が正しいだろうか。

 

 俺の心は安寧を求めていた。


「……ねえ、蓮司」


 早霧の右肩が、ピトッと俺の左肩に触れて。


「手、つなご?」


 俺の安寧は一瞬にして打ち砕かれたんだ。


「手、手か!?」


 我ながらマヌケな返事をした気がした。

 何だ、手か!? ……って。


「うん、手……」

「うお……」


 何だ、うお……って?

 いや、これは仕方ない。だって早霧の奴が、俺の返事を待たずに右手を繋いできたんだから!

 夏の暑さにも負けない熱を持った細い手が、俺の左手に一瞬で絡みつく。

 

 初手、恋人つなぎと言う奴だった。

 何だ、初手って?


 学校に着く前から俺の頭は限界を迎えようとしていた。

 誰か、助けてくれ。


「……握ってよ」

「や、やめ……っ!」


 ――にぎにぎ。

 ――グッ、パッ、グッ、パッ。

 硬直する俺の左手を握る早霧の右手が、開いたり閉じたりしている。手のひらを刺激するくすぐったさが、継続的に俺を襲いだしたんだ。


「わ、分かったから……!」

「あっ……」


 堪らなくなった俺は早霧の細い手を握り返すと、隣からか細い吐息のような声が漏れた。それはもちろん幼馴染の、甘い声で。

 俺の体温が上昇したのは、きっと夏のせいだけじゃないだろう。


「……通学路でこんな事しちゃうと、ドキドキするね?」

「……手を、握ってるだけだろ」


 そう、昔は普通に手を繋いでいた。

 俺と早霧は、幼馴染だから。


「……さっきみたいに見られちゃったら、どうする?」

「……手を、握ってるだけだろ」


 そして今も、手を繋いでいる。

 俺と早霧は、親友だから。


「……また顔、赤いよ?」

「……お前こそ」

「……夏だもん」

「……なら、俺もだ」


 公園の横を通ると、少し離れた所からセミの鳴き声が聞こえた。

 それが余計に夏らしく、暑さをより際立たせる。


「…………」

「…………」


 セミの鳴き声がやけに響く。


「……大通りまで、だからな」

「……うん」


 今日も、暑かった。

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