第28話 「だーれだ?」

「俺は、悪い子だ……」

「最近のお前、毎日弱ってね?」


 早霧に流されるがまま、背徳的なキスをしてしまった翌日。

 俺の頭の中は幼馴染の顔で埋め尽くされていた。


 大きく愉快に笑う顔。

 しおらしく伏せる顔。

 へらへらと惚ける顔。

 真っ赤に色づいた顔。

 口に指を入れられ、求めるように見つめる顔。

 キスの前に見せた優しい微笑み、キスの後に見せた悪戯な微笑み。


 二人きりの部室であんな事をして、あんなキスをして、あんな悪い事をしたのにその後は補習テストから帰ってきたユズル達と普通に部活をやって……頭がどうにかなりそうだった。


「おお、長谷川か……俺を裁きに来た閻魔大王かと思った……」

「どんな見間違えだよ!? 俺の事なんだと思ってたんだお前!?」

「俺の中の罪の意識が、お前を閻魔大王に変えたんだ……」

「お前の罪悪感で変わるの俺なの!?」


 教室に響く大男長谷川の大声も、脳のキャパシティが限界に近い俺に効果はいまひとつ。

 

「ったく、馬鹿真面目だけが取りえのお前が悪い子なら、全人類悪い子になるぞ?」

「長谷川……」

「何があったか知らんけど、気にしすぎなんだよお前」

「人類みんな悪人……それが、閻魔大王の判決か?」

「閻魔大王から離れろやっ!!」


 間近で浴びた怒声に皮膚がビリッと震えて、少しだけ心が引き締まった。

 新手のショック療法として流行るかもしれない。いや、無理か。


「まったくお前は、昨日からずっとさぁ……ゆずるちゃんが無事に補習テストを乗り切ったって言うのにボーっとしてばっかでさぁ……あっ」

「……ん?」

 

 さぁ、さぁ、と俺の情けない体たらくに不満たらたらの長谷川は教室の窓縁に寄りかかっていた。

 その状態で俺は奴の巨体に見下ろされていたのだが、視線がチラッと動いたのを見逃さなかった。

 それは俺の右側、具体的には廊下側へ。

 

 何だ何だと、俺も顔を向けようとした時だった。


「だーれだ?」

「うおわっ!?」


 突然、視界が真っ暗になった。

 それと同時に感じたのは目を覆う柔らかな温かさと、聞き馴染んだ笑い声だった。


「さ、早霧っ!?」

「わ、即答大正解!」


 パッとその手が顔から離れていく。

 そこにいたのは予想通り、ていうか隠してすらない、長い白髪と悪戯な笑みが似合う学園一の美少女、早霧だった。


「な、何してるんだお前!?」

「何って……クイズ?」


 首を傾げた時に人差し指を自分の唇に当てる仕草をして、俺はドキッとしてしまう。どうしても意識が、唇へと向かう。

 いや駄目だ、ここは教室だぞ……。


「正解できてえらいぞぉ。親友は私の指が好きなんだからぁ。うりうりぃー」

「おふぁっ!?」


 立てた人差し指で俺の頬をグリグリと押してきた。

 もう一度言おう、ここは朝の教室だ。


「はいご褒美おーわりっ。あ、ゆずるーんおはよー!」

「あ、おい……」


 俺の頬で遊び終わった早霧の興味は、たったいま教室に入ってきた自分らしさ研究会の小さな会長、ユズルへと向かった。

 最後にもう一度だけ言う、ここはホームルーム前の教室だ。


「お、おい赤堀! なんだ今の!?」

「めっちゃ羨ましかったぞおい!!」

「朝から何てもん見せてくれてんだ!!」

「ていうかあんなに笑う八雲さん初めて見たぞ!!」

「お前いったい何したんだ! 何があったんだ!?」

「やっぱり付き合ってんだろお前ら白状しろコラ!!」

「ご、ご褒美って何!? ご、ご褒美は首絞めじゃないの!?」


 目撃者は、クラスメイト全員だった。

 俺の近くにいた生徒達……主に男子軍団といつもの女子が一人だけ一気に俺に詰め寄ってきた。

 人混みの隙間から混乱を招いた張本人を見てみれば、早霧は早霧で女子生徒達に囲まれていて……あ、人混みの中からユズルが這い出てきた。


 小さいから必死な様子が逆に微笑ましく感じる。

 なんて、現実逃避をしたくなるぐらいには俺の周りには人が集まりすぎていた。


「テメェ……今、ゆずるちゃんを変な目で見てたか?」

「お前だけ理由違くないか長谷川!?」


 朝のチャイムが鳴るまで、長谷川を筆頭に俺はクラスメイト達から問い詰められてしまった。

 ワイヤワイヤと今日もある事ない事憶測が飛び交ったが、ユズル大好き長谷川だけが論点がズレているのに声も身体も大きいおかげで核心に迫られる事は無かった。


 いやそもそも、何をもって核心なのかは俺も分からないのだが。


  ◆


「しーんーゆっ?」

「うおっ!?」


 そして昼休み、特ダネを手に入れた記者と化したクラスメイトから逃げるついでにトイレで用を済ませてから外に出ると、早霧が笑顔で待ち構えていた。


「お、お前ここ……男子トイレの前だぞ?」

「知ってるよ?」


 知っててやってるなら、なお更だろう。

 トイレに行きたくてもお前がいたら入りづらいだろうが。


「流石の私もトイレはちょっと……」


 急にモジモジしだした幼馴染を、不覚にも可愛いと思ってしまった。

 元から可愛いとは思っているが、こんな突拍子もない行動をしても思ってしまったので、本当に不覚で……んん!?


「ま、待てお前……何をする気だ!?」

「……んー?」


 ニンマリと、笑顔を浮かべながら早霧は俺に近づいて。


「……朝みたいに、当ててみたら?」

「っ!?」


 背伸びをしながら俺の耳に、囁いてきた。

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