第25話 「き、気になる……?」

 早霧がマスクをつけて登校して来た。

 その名が示すとおり霧のように何を考えてるか分からない性格ではあるが、それが晴れた先では何も隠れていなくて、その見た目にハッキリと表れてしまうんだなと思った。

 

 雲を掴もうとしても届かない。

 けどその実態は冷えた水蒸気の塊で、水は身近にこれでもかと存在している。

 最初からそこにあって、手を伸ばす必要は無かったんだ。


 少々、詩的な表現になってしまった。

 まあ俺が何を言いたいかと言うと、だ。


「嘉永六年……一八五三年にペリーが黒船に乗って来航してきたのだが――」


「…………」

「…………」


 授業中であっても、隣にいる幼馴染が気になって気になって仕方がなかったという事である。

 教科書を開いていても、配られた教師手製の分厚いレジュメが手元にあったとしても、速筆のスキルでもあるのかってぐらいに高速で黒板に書かれていく文字が書かれては消されてもう板書が間に合わなかったとしても、早霧から目が離せなかった。


「…………」


 ボーっと黒板を見つめている幼馴染の横顔。

 元から色白の肌を隠した大きな白いマスクによってより白く染まり、それでも白く長い髪は同じ白の中でも一際目立っていて、綺麗だと思った。


 白は二百色あるとか、ないとか。

 それを俺は授業中に、親友の横顔で実感していた。


「……ん」

「っ!?」


 思わず声が出そうになった。

 授業中の教室で、チョークとシャーペンの走る音が響き渡る教室で、早霧に注目していた俺だけは、そのマスクの内側から漏れた吐息を聞き逃さなかった。


 それが例え極めて小さかったとしても、その行動と照らし合わせれば音声は自動でついてきた。

 サイレント映画でも音が聞こえてくるかのように錯覚してしまうような、いや実際に声は漏れていたのだが。


 意識的なのか無意識なのか、どちらかは分からない。

 早霧はマスク越しから自分の口を指で弄り出したんだ。


 そっと触れたり、少しだけ強めに当てたり、リズミカルに触れて離してを繰り返したり、つーっと指でなぞったり……。

 その度に、マスクに浮かぶ唇のシルエットが俺の胸をドキドキさせていた。


 意識、してしまっている。

 いやキスをされたその日からずっと意識をしっぱなしなのだが、それとは別だ。


 ――気持ちよかった。

 極めて短絡的でくだらない理由かもしれないが、それが俺の頭を支配している。

 いやそれに至るまでの過程と結果も、俺を悩ませるファクターだった。


 ――早霧を想ってしたキスが、とても気持ちよかった。

 

 これが、全てである。

 今までのキスだって気持ちよかった。

 柔らかくて、しっとりしていて、良い匂いがして、頭が溶けそうだった。

 だけどそれは全部早霧から不意打ち、もしくは夢中になってして来た事だ。


 情けないかもしれないが、俺はいつもされるがままだった。

 これは否定しようがない事実で、だからこそ俺が早霧に抱いてしまった想いを少なからず自覚してしまった時にしたキスが……忘れらなかったんだ。


「…………」

「……ん?」


 そんな劣情にも似た、決して言えない想いを胸に俺はずっと横顔を見つめていた。

 すると早霧が急にシャーペンを握って何かを書き出し、教師の隙を見て俺の机に手を伸ばしてペタッと貼ってきたんだ。


 それは、緑色の付箋で。


『見すぎ』


 と、書かれていた。


「っ!?」


 ブワッと嫌な汗が流れて俺は慌てて付箋から目を離して顔を横に向ける。

 その瞬間にプイッと早霧はそっぽを向いたのが動きを見て分かった。

 白い髪の隙間から見えたマスクの紐をかけた耳は、とても赤かった。


  ◆


 放課後までに俺が早霧と話した回数は脅威の一桁である。

 それも事務的なものというか、同じ教室にいて隣の席なら自然と発生してしまうような、会話と言って良いのか微妙なもので。


 俺は態度に出てしまいしどろもどろ、早霧は見た目に出てしまいマスクから小声で。

 そんな気まずい雰囲気のまま午後のホームルームが終わり、部活の時間となる。

 俺達は、特別教室棟一階一番奥にあるボランティア部こと自分らしさ研究会の部室に来ていた。


「…………」

「…………」


 二人っきりで。

 こんな日、こんなタイミングで二人っきり。

 会長のユズルは今日が補修テスト本番、長谷川はそれの応援で不在だった。

 ユズルはともかく長谷川はこの場にいてほしかった。


「……ねえ」


 この気まずい静寂を破ったのは俺の隣に座る早霧だった。

 隣り合って座っている俺達。

 今日も距離は近かった。

 話せないのに、気まずいのに、ピタッと早霧の方から俺にくっついていて。

 元倉庫の部室という狭い空間が、今日は余計に狭く感じた。


「き、気になる……?」


 チラッと、マスク越しに目線だけを俺に送ってくる。

 そんなしおらしい幼馴染の姿に、俺は昔を思い出してクラッときたが踏みとどまった。


「お、お前はどうなんだ……?」


 しかし踏みとどまれただけで、返事をせずに的外れな質問を返すという体たらく。

 誰か俺を殴ってくれ。長谷川帰ってこい。今なら一発ぐらいなら喜んで受ける。


「わ、私も気になるよ……?」

「んなっ!?」


 俯いたままの早霧から、不可視のボディーブローが炸裂した。

 一発で致命傷になるレベルだが、俺はマスクをしていないというのに、何が気になるんだ……?


「……ねえ親友」


 その言葉を聞いただけで跳ね上がりそうになった。


「親友の唇、さ……」


 マスクをしたまま、親友は俺に顔を向けて。


「触っても、良い……?」


 そっと、手を伸ばしてきた。

 相手の唇が気になっていたのは、俺だけじゃなかったんだ。

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