第24話 「シ、シラナイヨ?」

『……な、なに……今の?』


 夜になっても、眠っていても、朝になってもずっと幼馴染の顔と声が頭の中に残っていた。

 キスだ。いつもと同じ、キスだった。

 けどそのキスはとても心地良くて……その時を思い出すだけで、頭の中が煩悩に塗れるには十分すぎるキスだった。


 とんでもなく気持ちよかった。

 もちろん、キスの話だ。


「煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩……」

「いや怖ぇよ馬鹿」

「……長谷川、か?」

「他に誰がいんだよ、馬鹿堀」

「赤堀だ! 混ぜるな!」

「そこは普通に反応すんだなお前……」


 机に伏せていた顔を上げるとそこには大男長谷川が君臨していた。

 時計を見る。八時二十分。まだホームルームまで時間はあった。

 隣を見る。空席。まだ早霧は来ていないようだった。


「何だよ赤堀。また八雲ちゃんの事、気にしてんのか?」

「ばっ!? ばばばば、馬鹿な事を言うなっ!?」

「めっちゃ気にしてんじゃん」

「き、気にしてないっ!!」

「お前一回、鏡見てみ?」

「……スマホで良いか?」

「本当に確認すんじゃねぇよ。楽しようとしてんじゃねぇよ。何でたまに冷静になんだよ」


 俺はいつでも冷静だが?

 ただちょっと親友とのキスについて考えていたから思考リソースの大半を割かれていただけだ。


 キスとは不思議だ。唇と唇、同じ場所、同じ相手とするのにその時の気の持ちようで感じる想いが変化する。

 これはもうコミュニケーション、言葉のいらないボディランゲージではないだろうか。だから外国の人は挨拶レベルでキスをしているのかもしれない。


 つまり早霧が俺とキスをするのも挨拶の一環の可能性が出てきた。

 そう、ただの挨拶なら毎日するというのにも理由が尽くし、ご褒美と言ったり……した後に赤面してしおらしくなったりする、のも……。


「お前いつまでスマホで自分の顔見てんの?」

「俺の顔、こんななのか……」

「いやいつも鏡で見てるだろ」


 長谷川、そういう問題じゃないんだよ。

 キスをするって事は顔をマジマジと見られるという事だぞ。早霧はいつも目を閉じているが、一方的にされている俺はどうしてもその顔を見てしまう。

 閉じた瞳、長い睫毛、整った細い眉、スラッと高い鼻、美少女。

 

 いつ早霧が見ても恥ずかしくないように、表情筋を鍛えなければ。

 いつ、見ても……?


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

「今日のお前、情緒ヤバくね?」

「最近のお前もこんなんだったぞ、長谷川」

「何で俺にカウンター食らわせる時だけマトモなの?」


 マズい。これはマズい。

 期待しているのは先日から薄々自覚していた。

 だけどそれ以上に早く早霧の顔が見たかった。

 

 これは中毒だ。

 キスを媒介にした幼馴染中毒によって四六時中、早霧の事を考えてしまうんだ。

 こんな状態で早霧に会ったら俺は何をし出すか分からない。昨日みたいに失敗したらそれこそ大変な事になってしまう。


 なにか、なにか気を紛らわせるものは……。


「は、長谷川、お前……」

「今度は何だよ?」

「落ち着く顔、してるな……」

「俺はお前を殴ってでも病院に連れて行った方が良い気がしてきたぜ」


 体格差を考えてくれ。

 ガタイの良い大男が目の前で拳を握った事に戦々恐々とした時だった。


 ――ガラガラッと教室の扉が開く音がする。


「み、みんなおはよー」


 その声を聞いただけで、ドキッとしてしまった。

 凛とした声はまるで何かに遮られるようにこもって……ん?


「え、さぎりん風邪!?」


 と、学年一の美少女の変化に気づいて声を上げたのは我らが自分らしさ研究会の会長、ユズルだった。

 風邪、もしくはその予防の為の白いマスクを早霧がしているのが遠目からでもすぐに分かった。


「わ、わ、わ……ワタシの、風邪うつしちゃった!?」

「ううん大丈夫。ヘイキダヨ、ミンナ、ヘイキダヨ」


 夏風邪をひいていたユズルを筆頭にクラスの女子達が心配そうに集まっていく。それを裏声で陽気にあしらうのがなんともまあ早霧らしいなと思った。

 俺の幼馴染は人に不快感を与えない気配り上手だ。


 それはそれとして、俺は気が気ではなかったのだが。


「……あっ」


 俺の隣に座ろうとして、自然と目が合ってしまった。

 マスクによって顔の半分が隠れているので、目の動きがハッキリと分かる。俺を見た瞬間に目を見開いたのも、バッチリだった。


「……れ、蓮司……お、おはよ……」

「……お、おう……さ、早霧……だ、大丈夫か……?」


 めちゃくちゃ意識してしまっていて、これでもかってぐらいにぎこちない会話だった。


「八雲ちゃん風邪?」


 そこに切り込んでくるのが、長谷川という男である。


「う、ううん。ちょっとね……」


 ちょっと、でチラッと俺を見た。

 ……経験あるぞこれ。

 先週も俺が不可抗力で早霧の胸を見てしまったせいで夏なのに冬服を着込んできた事があった。

 そして今週はマスク。

 昨日はいつもと違うキスをして、それから様子がおかしくなった。

 もうこれしかないだろう。


「そうなん? まあ何かあったら赤堀にすぐ言えよ」


 ここで俺を出してくるのが、長谷川という男である。


「まあ赤堀も様子がおかしいんだけどさ。八雲ちゃん、昨日赤堀と何かあった?」

「長谷川ァっ!?」


 お節介なまでに余計な事を言ってしまうのが、長谷川という男である。

 けど早霧はそんな質問を飄々とかわすだろう。

 つかみどころの無い性格なら天下一だぞ、学園一より上なんだぞ。


「シ、シラナイヨ?」


 それはさっきと同じ裏声……ではなくて。

 めちゃくちゃ動揺したせいで裏返った、早霧の声だった。

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